みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

読み始めている本:アレクサンダー・マスターズ『崩壊ホームレス』

3月になりました。やっと乗り切った2月でありましたが、3月は年度末プラス新人さん(9名)研修など、てんやわんやが予約済みです。いつも月初は暇とはいえないまでも、穏やかなんですが、今日は追われまくる。みんななんなんだこれは、と余裕の無い目線で語る。一ヶ月過ぎて、どうだと訊かれれば、まあやるしかありませんというしかない。
それにしても週末土曜の夜に見た日本VS韓国の卓球男子はものすごかった。とくに韓国の金メダリストと日本の18歳のカレのラリーはこのひとたちは人間なのだろうか、と唖然としつつ興奮してしまいました。卓球観て感動したのは初めてでした。

先週から読み始めているのがこれ。

崩壊ホームレスある崖っぷちの人生

崩壊ホームレスある崖っぷちの人生

原題は「スチュアート」。同名のパンクスくずれの「ケイオティック」(カオティック)ホームレスとの出会いを著者が限りなくルポに近い形で、生い立ちまで順番に遡るような形でつづっていく。
幸運なことに、吾妻ひでおの『失踪日記』と『トレインスポッティング』を掛け合わして割ったような安直な感じ・・・ではまったくない。
著者がアルバイトしていたホームレスの「憩いの場所」の監督者が、「憩いの場所」での麻薬取引を容認したという罪で告訴され投獄されてしまう。その抗議運動の中で著者が出会ったスチュアートという破壊的なホームレスの人間性に侵食されるようにして興味をもってしまう過程が進んでいきます。話の出だしもいきなりこれである。

スチュアートはこの原稿を気に入らない。
彼が持っている、テスコ・スーパーの買い物袋の色あせたストライプ越しに、私が書いた原稿の端っこが見える。二年間もお取材と、それを活字にした努力のたまもの。
「この原稿の、どこが問題なんだ?」
「クソ退屈だよ」
 p.5

この発言の直後、スチュアートは著者の肘掛け椅子にどっかと腰を沈めるのですが、その時、自分の片手をお尻の下に挟み込んだままで、それから腕を引き抜こうともしない。そんな細部がオープニングにして読者に警報を鳴らしている(笑)。
「クソ退屈」と取材対象にいわれて素直に書き直した二度目の原稿が本書。そんな気が利いているんだかなんだかわからない設定。いきなり語り手は「脱臼」しているわけで、この「いちど封じられた語りが出直す」という趣向が、単にテクニック的なものではなくて、「語り」と「読者」ともちろん、語られる「スチュアート」の互いの立ち位置を興味深いものにしていく。
生活の場や社会での関係を失うことに、まったく恐怖心を持っていないというのが、この本の出だしの数章と吾妻ひでおの『失踪日記』を読んで思ったホームレスの共通項だったけれど、このスチュアートはとにかくよく喋るようだし、『失踪日記』の極私的な無気力感とはかなり異なっている。
それはもちろん、イギリスということもあるだろうし、著者そのものがホームレスなのではなくて、「なぜ、あなたは、どの時点でそうなったのか」という問いを実際スチュアートに投げかけ、その「ケイオティック」な反応に翻弄されながら、浅はかな同情や、自分だけは安全なところに立って見下ろして与えるような(安倍公房が『密会』の冒頭で言い切った言葉「弱者への愛には、いつも殺意がこめられている」に包摂されるような)厚顔無恥なエキゾティシズムなど瞬時に破砕されてしまった後の、おそらくは呆れを通り越した敬服をもって、スチュアートへの人間的な興味を深めていくのがこちらに伝わってくるからなのかと。
MOBYとかが、露骨に合いそうだな。

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