アマルコルド(わたしは回想します)。特にヤングゴッズのスキンフラワーズを。
週末、友人にきてもらって自作PCの具合をみてもらう。結局、パーツ選びをお願いして、マザーボードの取り付けまでは自分でできたものの、配線でこけてしまって手を借りたので、ほとんど面倒見てもらった形。自作でなくて他作、ですねこれは。
PCが使用できない間に、『チーム・バチスタの栄光』を読んだ。医療ネタとテンポの良さがおもしろかった。しかし、真犯人の動機はちょっとひねりがない、と思うのはミステリといえば京極夏彦しか読んでいないせいか。犯人探しも重要な部分ではある筈だが、この小説の主人公「田口センセ」のローファイぶりから終盤、記者会見でどうどうと仕切る場面の振幅が厚みをもたせていると思う。こりゃシリーズで読みたくもなる。
チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)
- 作者: 海堂尊
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2007/11/10
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ところで、このあたりのマイナーなロック話をするとエントリー的に反応がまったくもらえないことは重々承知で書くのですが、1990年くらいから1998くらいまでは、人生で唯一「洋楽しか聴きませんよ、ぼくは」という不遜な態度の時期なのですが、しかし当時投下資本も乏しい時代を振り返って言うのもなんですけども、「洋楽」の盛り上がりは特別なものがあった、ような気がする(いつだって誰にだって特別に思えるのだと今では思える)。
わかりやすいところでいえばニルヴァーナのブレイクなどが象徴する(のか?)「オリタナティブ」がシーンでメジャーと食い込んでちゃんとした市場になったことで、経済的にいえば左記のようなことで終わってしまうようなことですが、バンドをやっていたわけではないから回りに話が通じる人がいるわけでもないのに自分がリアルタイムで経験することのなかったサイケやパンクやポスト・パンク、ニューウェーブの音楽の鉱脈を遡って掘り起こしながら聴いていくことを始めていた自分としては、勇気付けられる環境が大学生の後半からまさに始まっていくのでしたが、高校生の頃はまったくそんな気配はなかった。
そのころ洋楽はやっぱり「洋楽」で、サザンオールスターズやB’zのように「知っていなければならない音楽たち」ではけっして、けっしてこれは無かったのであり、現在のように日本のアーティストを聴いていて「日本」をとくに意識せずに済むという考えてみれば贅沢な状況にあえて引き比べてみれば、みずから好んで飛び込んだ過剰な選択性が前提としてあったと思う。だからそのころのバンド、たとえばフィードバックノイズまみれだったころのジーザス&メリーチェインとか、2001年くらいに映画『ファイトクラブ』のエンディングで使われて狂喜したピクシーズの「Where Is My Mind?」や、アンコールをいっさいしなかったストーン・ローゼスの最初の来日コンサートとか、ソニック・ユースがメジャーに行く前のNYのジャンクとかスカムとか好き勝手に言われていたごちゃごちゃしたシーンなどのことで話が合う(合ってしまう)人との間に流れる空気の密度というのは、いつもこちらがはじかれるくらいの気恥ずかしさも伴う。
ソニック・ユースなどはかなりシーンの立役者として、様々なお茶の間圏外の音楽シーンの紹介者としても、上手く立ち回っていったように思うけれど、中には未だにこんな筈じゃなかったよなあ…と感慨してしまう人たちもいる。
インダストリアル・ロックというのか、要する割りとデジタルビートで激しく、硬質で無機質であることを本懐としていた(でも実はロマンティック)ような音楽をやっていたひとたちの元祖はといえば、ポストパンクのスロッビング・グリスルあたりになるようだったけれど、もはや僕の頃はサイキックTVとなっていて聴いても??????????×10という微妙なものだった。代わりに一番アンダーグラウンドでハードコアだといわれていたのがジム・フィータスで、これはデッドテックな音作りと今思えばスーサイドのアラン・ヴェガめいた「男くささ」満載の歌が、周囲の目を気にしないところが「オルタナ」なロックの最前線と認知されてもいて、要するにかっこよかった。いちどは来日するというデマが輸入レコード屋さん界隈でまことしやかに流れて(僕は来日予告をして、前売りチケットまで売っているそのビラを見ました絶対)、洋楽雑誌のコラムであっさり否定されるという事もありましたっけ。で、次のシーンは絶対フィータスやそのフォロワーが「来る」と思われていたし、実際ミニストリーなんかは僕のちょっと下の世代には支持されていたような気がしますが、終にメジャーでブレイクしたのがどこから出てきたんだというような(無知につきすいません)ナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンで、フィータスといえば長い長いシーンからの撤退(といっていいだろう)となってしまったのが、上記した「こんな筈じゃなかった」感の、自分にとって象徴的なところだった。実際はフィータスやノイバウテンやスワンズといった無慈悲なまでにアングラで無愛想な音楽をかなり忠実に引き継ごうとしているように見えた人たちもいて、僕としてはそんな人たちに極私的なエールを送っていたのだった。
そんな中で割と好きだったのがスイスのヤングゴッズだった。スワンズ直系(バンド名自体がスワンズの曲名で、アルバムの何枚かはスワンズのロリ・モシマン*1がプロデュースしていた)のノイズビートとドアーズのジム・モリソンを掛け合わせたような音楽性で登場して、ブレヒト/ワイルをカヴァーしたアルバムを作ったり、洋楽雑誌でも常に一定の評価は得ていた、と思う。少なくともパール・ジャムよりは好きだった。自分としては、その人たちのアルバムを全て聴いてきたわけではなくて、正直にいえば一曲だけ、ものすごく好きだった曲があった。リミックスという提供の仕方がものすごく新鮮だった時期にリリースされた曲で『SkinFlower』という曲があった。シングルに収録されていたこの曲の「BrainForestMix」という冒頭に熱帯雨林地帯のピグミー族かなにかの唱和が入ったヴァージョンは、山歩きするときiPodにいれてあるので今だによく聴く。
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結構年数経ってそうな映像ではありますが、全く知らなかった。いやあ…あらためてやっぱり本当に良い曲だなあ・・・。オリジナルのレコーディングは、僕たちインダストリアルロックです、という感じで、いまいち窮屈。この曲の深くておおきな呼吸を掬い取れていなかったのだと思う。長尺で変則的なBrainForestMixでやっと浮き彫りにされた、と当時のじぶんが感じていたこの曲のスケール感、というか「うたごころ」がまた新たに・・・という感慨です。ギターを演奏するYoungGodsの二人が、オーケストラが絡むあたりで、いたずらっ子のようにこのうえもなく「してやったり」なニマニマ顔をするところなんか、いいですね〜。オリジナルのノイズっぽいループもちゃんとオーボエがしっかり演奏してたりして・・・。オーディエンスの反応もいい。やっぱしEUではちゃんと評価されてるんだね。なんかとても嬉しい。
かれらのサイトhttp://www.younggods.com/cms/front_content.phpを見ると、アコースティック・アルバムを準備していて、現在はアコースティックショーをやっているみたい。とすると、この映像かなり最近か?ベスト盤が出たころなのか?(←というか、今動画のクレジットをよくみたら2005年のモントルージャズフェス!のものだった)アコースティックアルバムにこの曲が入るのかどうか、というか全曲新曲なのかどうかもまだ情報ありませんが、楽しみですね。
歌詞、聴き取りちょっと自信ありませんが。
gimme something skin,something like flower.
gimme something warm,something like forever.
gimme somethig hurts,something really distub.
gimme something strong,and I'll sing this song.
one for the skinflowes.おくれよ なにか肌のようなものを
なにか 花のようなものを
おくれよ なにかぬくもりのあるものを
なにか永遠のようなものを
おくれよ なにか心に痛いものを
なにか とても心をかき乱すものを
おくれよ なにか強いものを
そしたら僕はこの歌をうたう
スキンフラワーズにささげるよ
ちなみにこれは、オリジナルなヴァージョンの爆音ライブ。かっこよいですね。