河童たちの棲む洞窟:火野葦平『河童曼陀羅(抄)』とThe Deep Listening Band 『Troglodyte's Delight』
ポーリン・オリヴェロスは、何故か気になってCDを買ってしまう。
「ディープ・リスニング」というコンセプト(というより態度)は、単なるサウンド・メディテーションのようでいて、それでもつかみきれないところがある。「瞑想音楽」ならもっと心地よい音色にしそうなところ、オリヴェロスのアコーディオンは「異音」の感触がある。落ち着かないのだ。
その実践体であるThe Deep Listening Band (Pauline Oliveros, Stuart Dempster, Panaiotis)のデビュー作という『Troglodyte's Delight』。1989年の6月、NYの地下洞窟に篭って演奏した作品とのこと。
プレイボタンを押してから数分は、地下洞窟内にしたたる水音しか聴こえない。
その深いエコーの中、次第にこの水音と共演するかのようにポツポツとトロンボーンやホイッスルがうごめき始めて、洞窟内の「音楽」を増幅させる。
オリヴェロスのトレードマークのアコーディオンが鳴り始めるのは20分待たなくてはならず、しかもその入り方は極力アコーディオンには「聴こえないように」鳴らすことに腐心されているようにしか聴こえない。
これはつまり、「洞窟内で演奏する」という方向の行為ではなくて、まさに洞窟内の音響を聴きとり、最少の加担で増幅させてやろうという試みなのだと思う。
特にこの『穴居人の悦び』という凄いタイトルのCDでは「物音(環境音)」と「楽音」の差は、これ以上は不可能だろうと思わせるくらい埋められている(少なくとも最初の15分は)。
「ディープ・リスニング」は、まず己の居る環境に耳をすまして、演奏者の内と外を裏返して拡張するようなパラドキシカルな手法なのだと思う。その限りにおいて、「瞑想音楽」や「ヒーリング」の対極にあるのではないのか、とも思う。
昨夜、このCDをはじめて聴き始めていた時、部屋のそとで雨が降り始めた。
それはCDの水音と次第に区別がつかないものになっていって、とても不思議な感じだった。
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昨日読み終えたのが、火野葦平の『糞尿譚・河童曼陀羅(抄)』収録の『河童曼陀羅(抄)』の部分。

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『河童曼陀羅(抄)』は、火野葦平が長年書き継いでいた40数編の「河童もの」から12編を厳選して収録したもの。
実に人間臭い河童たちが主人公の大人の童話集といえる。
人間の泥臭さや業の深さが「河童」という憎めない半獣人称*1に仮託されて漉されているようにみえて、実は語り口をフル稼働させている。自分が子供の頃から親しんできた水木しげるの描いた河童たちに相当近いものがあると思った。
特に月光に攀じ登ろうとして失敗し笑い者になった河童の失踪(消失)を描いた『名探偵』と、読み始めて数ページで展開がわかるのに、その夢幻的な夜の情景が頭から去らない『魚眼記』がよかった。
「抄」でなく、『河童曼陀羅』全部読みたくなったけれど、「日本の古本屋」調べるとどうも8000円以下のものはないようで、そこまでいくとさすがやりすぎな気がして自粛することに。

河童の三平―貸本版 (下) (もん・りいぶる (MLC006))
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最近、帰社時は難波から梅田まで御堂筋を歩いています。
健康診断で週二日の「運動」では足らん四日にせよ、と書かれたのです。まあしかし、最近は涼しいのでなんぼでも歩けて苦にはなりません。
で、淀屋橋付近のウィズガス前でパンやら古本を売っているのに遭遇。
文庫本100円均一の中に
『逝きし世の面影』渡辺京二

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これを発見。帯付き美品・・・いいのか100円で?と思いながら即購入。
帰りの電車内で冒頭を読み始める。
幕末〜明治期の外国人たちの去り行く日本の面影への哀悼のコメントの数々が、ただの感傷なのではなく、江戸時代というひとつの「文明」があとかたもなく消え去ってしまったことのドキュメントなのだ、と書いてあった。ハリスの通訳だったヒュースケンが1857年に書いた「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。」という日記の言葉はどこかで読んだ記憶がある。