みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

共生進化なんだって&エリザベス・コットン『貨物列車とその他のノースキャロライナのフォークソングとチューン』

最近読んでいる本。もうすぐ読了。

共生生命体の30億年 (サイエンス・マスターズ)

共生生命体の30億年 (サイエンス・マスターズ)

地球上の最初の真核生物は、いくつかの細菌が合体したものだったのではないかとの説(ではないか、ではなくてほぼ断定ですが)。
著者のマーギュリス(カール・セーガンの元妻)は「過激な」共生進化論者と揶揄されたこともあるようだけれど、Wikiなんかをみると、この細胞内共生説はある程度は蓋然性が認められているらしい。
たとえば、真核生物の細胞内のミトコンドリアとか葉緑体、鞭毛などの部分が他の生物が合体したそのままの名残であるとのこと。
目に付くところでは、地衣類なんかも実は、菌類と藻類(シアノバクテリアor緑藻)との共生生物らしい。
ほほー・・・・って、それだけですが。なんだか『デビルマン』のデーモン族のようではないか。しかし、共生と寄生の違いよくわからん。そもそも違うのか。寄生し合っている様態を共生というのか。
ラブロックと共に「ガイア仮説」を展開したことになっているようだけど、そのへんの割り切りは科学者らしく、ちゃんとしている(ように思える)。

ガイア仮説は、多くの人が主張しているような「地球は一個の生物である」という考えではない。もっとも地球は、生物学的な意味において、複雑な生理的プロセスによって維持される体をもっている。生命は惑星レベルの現象であり、地球表面は少なくとも三〇億年生き続けてきた。私にとっては、人間が生きている地球に対して責任をとろうなどという活動はちゃんちゃらおかしく、無力な者のレトリックとしか思えない。この星が私たちを支えているのであり、私たちがこの星を支えているのではないのだ。道をそれた地球を導こうとか、病んだ星を癒す道徳的責務があるとかいう思い上がった発想は、私たちがいかに自己欺瞞に満ちているかを示す証拠でしかない。そうではなくて、私たちは私たち自身を私たちから守る必要があるのだ。
   p.176

ガイアは人間に対して、敵対的でもないし養育的でもない。地球規模の現象-気温、酸性度とアルカリ度、大気組成の調節-をあらわすのに都合のいい名称であるだけだ。ガイアは、相互作用する一連の生態系であり、地表で単一の巨大な生態系を構成している。それだけのことだ。
   p.185

自分のために働けない者は、他人の役にも立てない。

Freight Train And Other North Carolina Folk Songs and Tunes

Freight Train And Other North Carolina Folk Songs and Tunes

だいぶ前に買っていたのに、ゆっくり聴いたのは初めて。
一曲目の『Wilson Rag』からして洗練された淀みのない音が流れ出す。思考を停止して、素朴とかいって逃げてはいけない。
エリザベス・コットンは、1895年、ノース・キャロライナのチャペルヒルで産まれた。

エリザベスは8歳から彼女の兄のバンジョーの演奏を始め、すぐに、兄がエリザベスに見つからないように隠したつもりでいたギターもひきはじめた。エリザベスは、兄がどこかに行ってしまうまで待ってからベッドの下のギターを引っ張り出していたのだ。ギターは、膝の上に水平に置いて演奏していた。はじめは左利きのピッキング・パターンを練習し、次はコード、そしてついにWison Ragの簡単なパートのいくつかを演奏できるまでになった。
ライナーより:マイク・シーガーの解説

彼女は12歳で母親と同じように家事手伝いの仕事をはじめ、15歳で結婚して子供を産んだ。40歳の頃には孫がいた。その頃、迷子になったペギー・シーガーを彼女の母親のところまで連れていってやって、有名なシーガー家と知り合った。そして、彼らのために働きはじめた。そんな時、よく彼らの前でエリザベスはギターを壁から外して、昔の歌や曲をひとつずつ思い出しながら演奏した。そのいくつかはこのアルバムに収録されている。エリザベスは1987年6月29日にニューヨークのシラキュースでこの世を去った。