みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

NHKでcobaを見て、Pauline Oliveros『The Roots of the Moment』を聴いてみる。


NHKの『クイズ 日本の顔』に世界的に活躍するアコーディオン奏者coba氏が出演していました。
アコーディオンを分解して内部を見せてくれて、「リード楽器」であることの証明に、普通では滅多にみれない「リード部」を見せて、湿気は大敵なので嫌ですがと何度もほんとうに嫌そうに(笑)ことわりながら、その大きなハーモニカのようなリード部を、口で鳴らしてみせていました。このリードが人間でいえば「声帯」で、フイゴが「肺」にあたるのだと。音楽に特化して外部化した人体ともいえるのだなあ、と妙な感心を。
coba氏の演奏もスタジオの空気を情熱で震わすような、すさまじいものでしたが、回答者ゲストの片岡鶴太郎氏のコメントが、ひとつひとつ真摯で、同じ「芸」を究める者としての共振がこもっているようでこれにも感心。coba氏も感銘を受けていた様子。
で、アコーディオンといえば・・・と風呂上りに自室の棚を漁ると、最近購入した、これが。

Roots of the Moment

Roots of the Moment

同じアコーディオンとはいえ、こちらは真逆の世界かと。アコーディオンはドローン発生装置となって(といって機械的な冷たいニュアンスではないです。手の温もりの感じれるドローン??)、長く引き伸ばされ続ける自らの残響をアコーディオンが追いかけるように演奏していきます。
女性作曲家ポーリン・オリヴェロスは、電子音楽からスタートして、アコーディオンを駆使した演奏活動を継続しています。その独自の「瞑想音楽」を探求し続けるそのキャリアはすでに50年とのこと。
自ら提唱する『ディープ・リスニング』は、独自の音楽概念っといっていいもので、ジョン・ケージ的な『聴取』とも位相が異なっている雰囲気(きわめて乱暴にいえば、ケージは即興演奏を「作曲」と区別して避けましたが、オリヴェロスは反対に即興から初めている、ような感じ)。このアルバムは、以前HatHutからリリースされていた音源がhatLOGYからリイシューされたもの(だと思います)。
テリー・ライリーなんかと同時代に実験音楽家として即興演奏にも取り組み始めたこのオリヴェロスにかかっては、アコーディオンという楽器自体「ふつう」のままでいられる筈もなく、純正調に調律し直され、デジタル・ディレイを施した「拡張されたアコーディオン」になっていて、Peter Wardが作る電子環境音に混じり合いながら展開するその演奏は、全部即興なのかの判断はもちろんできませんが、僕には「未だ存在していない宗教のための瞑想音楽」のようにも思える。この音楽時間は、おおむね、ゆったりと回遊するクジラのようで(ただし巨大で全長を見渡すことができない)、時々さえずる小鳥のようになり、時には求める音を探りあてるまでは一歩も引かない行者のような印象を与えてくれます。
もしNHKでのcoba氏の演奏と何か共通するものがあったのだとしら、それは多分、アコーディオンという楽器自体に、音楽のコンテクストを超えたところで、「世界の呼吸」というアレゴリーにも耐えうる何かがあるからなんじゃないのか、と。
そんな気がしました。

それにしても、オリヴェロスは、初期の電子音楽にしても、多くの電子音楽の作曲家がそうしたように綿密にコンポジションするのではなく、機材のセッティングだけを決めて始める即興的なアプローチだったらしい。そういう人が、ある意味受動的なものに留まる危険もある態度から、観客を前にした瞑想的な演奏、それから、その後の洞窟や貯水槽など、実際深い「残響」を与えるリアルな演奏場所を求めていった「ディープ・リスニング・バンドDeep Listening Band」などの活動を通して音楽を作っていく中で、このアコーディオンという楽器は、少なくとも即興性と拡張性、そして「響き」の特性において完璧な楽器だったんだろうなあ、と思う。
アコーディオン」を拡張しつつ、すべてが「アコーディオン」に収斂させてもいるのだな。

Primordial / Lift

Primordial / Lift

Tony ConradやDavid Grubbsとコラボしたこれも強力な音でした。