みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

水音を追って、河を。:Annea Lockwood 『A Sound Map of the Hudson River』

nomrakenta2006-12-24


さすがに寒くて7時前に起きれない。寒さは睡眠を要請するようで、10時くらいまで寝ていた。箕面の瀧まで歩き。最初こそ寒いが、枯葉がもはや姿をとどめないくらい粉のようになった遊歩道を通って瀧の上まで出ると、さすがに汗ばんできた。
帰る途中、用水路の水門(現在は使われていない)の上に、みかんが自然なかたちで鎮座ましているのを発見。なんだか微笑ましい。


帰ってシャワーを浴びてベーグルを齧り、パソコンでごそごそやっていると3時半。
うわ見逃したか!と思って下階に降りると、ディープ・インパクトのラストランが丁度出走のときだった。

最後の会場の熱いディープ・コール、ディープインパクトに届いていたろうか。
武豊のコメントも簡潔で感情がこもっていた。

観てると熱くなったので、こちらで冷やす。

Sound Map of the Hudson River

Sound Map of the Hudson River

これ、題名の通りCD一枚70分・丸ごとハドソン河の水音を録音したもので、合計15箇所の録音ポイントでのトラック編集くらいしか手が加えられていない。楽音は一切ない、フィールド・レコーディング作品である。
アニア・ロックウッドは1939年ニュージーランド生まれの女性作曲家でパフォーマー。60年代はダルムシュタットの夏期講習にも参加したりして、電子音楽と作曲を学んだとのこと。ガラス詩人や舞踏家などとジャンルを超えてコラボレーションしながら、様々なガラスの音を使った「ガラスのコンチェルト」や古いピアノを水につけたり土に埋めたりするパフォーマンスを繰り広げたらしい。1973年アメリカへ渡る。それからアメリカの環境音−地震の音や、ラジオ波、カエルの鳴き声なんかを多チャンネルで即興的にミックスするパフォーマンスをしたらしい。
このハドソン河の音の旅もそんな文脈ででてきた作品なのかもしれない。
さて、そういえば、ハドソン河って?という向きには(私も、ですが)Wikiのこちらをペースト

ハドソン川の公式の水源はアディロンダック山地のLake Tear-of-the-Cloudsである。オールバニー付近でモホーク川と合流し、南に流れてスタテン島とロング・アイランドとの間で大西洋に注ぎ、ニューヨーク湾でニューヨーク港を形成する。ニューヨーク市を流れるハドソン川はノース川と呼ばれる。

ブックレットに載せられているまさに「サウンドマップ」をみると、録音の15ポイントはこのニューヨーク州の大部分を流れる川の水源からスタッテンアイランドまで網羅している。それにしても、「Lake Tear-of-the-Clouds」とはいい名前。「雲涙湖」か。それとも「むらくものなだのみずうみ」か。
せせらぎから奔流まで様相を変えながら続いていく水音に時折、リバーボートの警笛や列車の音や鳥の歌が絡むところなどは、ちょっと感情とは別のところを刺激してくれる。
それにしてもロックウッドはなぜハドソン河の音を水源から辿ろうとしたんだろうか。そこにはコンセプチュアルなもくろみよりも、もっと自然な動機があるようです。

1970年から多くの国で川の音を録音してきました。
それは、河のドキュメントをつくることがが目的なのではなくて、むしろ流れる水の音がつくりだすこんなにも複雑なリズムとピッチの延々と続く奔流を聴いたときにわれわれの心と身体に起こる特別な状態、それがおもしろかったのです。

ハドソン河のそれぞれの地点は、それぞれの音のテクスチャーがあります。
それらは河の音へと丁寧に織り込まれた天候や季節、人間社会の環境などに影響されて形作られているのです。

   ライナーより

小賢しいコンセプトなど大河はすぐに呑み込んでしまう。メタファーさせようにも相手には意図も文脈も、ない。ただただ流れるのである。行く河の流れは絶えずして・・・とすぐやってしまうのも単に人間の意識の点滅に過ぎない。
「なぜ?」に加担して転落したり、「どう?」にこわばったりもしないロックウッドの態度はまったく賢明だといえる
最近、DVDをお借りして観ることができた詩人の鈴木志郎康さんのフィルム『風の積分』では、昭和最後の空をコマ撮りで収めたものだった。一日の光の明滅と雲の奔流がまるで世界の呼吸のように感じられるものだったが、このロックウッドの異邦の河の水音を真空パックしたような「作品」は、僕の中で『風の積分』の音版のように聴こえるのだった。


 * * * * *

そうそう、M1グランプリでは「チュートリアル」が優勝。この人達の漫才、実は初めて観た。
自転車のチリンチリンのネタはわかりやすかくてよかったが、最後に相方のチリンチリンをガメたのは俺だった、とかもうひと押し(落ち?)畳み掛けてくれたら、個人的には昇天ものでしたが。