鈴木志郎康映像作品『風を追って』,『オブリク振り』,『風の積分』,『隠喩の手』,『時には眼を止めて』,『角の辺り』を観て、風/ななめ/手/メタファーについて考えさせられる
(注)右の画像は映像作品とは無関係です。あまりにテキストばかりで殺風景なので自分で撮ったものです。
鈴木志郎康さんが発明した「極私的」という言葉のことをブログに書いたとき「映像作品観たいなあ・・・」などと最後に書き付けたところ、ご本人からコメントを頂いてDVDをお貸しいただけたという、幸せな体験をレビューするのも今回で3回目になります。
前回書いたレビュー(らしきもの)では、伊藤比呂美さんやねじめ正一さんといった当時デビューした新しい詩人の貴重な姿を捉えた『毛を抜く話』や『荒れ切れ』、そしてアジサイの花に思いと映画の構造までを託した季節の移り代わりが美しい『あじさいならい』など、「極私的映画」が他者のことばを招き入れることで「まなざしそのもの」へと蒸留されていくという道筋が自分なりに見えて、それに感動を覚えました。
今回の下記の6作品も制作年順に観ていきました。
それは、ひきつづき「極私的」な「まなざし」の変遷を追う、という視点でみていきたかったからですが、次第にそれはどうも自分の狭い見方だという気がしてきました。
『15日間』では内破するようないきおいで追求されていた「極私的表現」が『野辺逃れ』ではまったく自然に「まなざし」の中に消化されていったような気がして、そのギャップに驚いたのでした。
今回のいくつかの作品では、そのミッシングリンクが次第に埋まっていくような感覚がありましたし、どうもこれらの映画は、「極私的」に留まることを目的にしているのではなく、「極私的」から出発して、映像のより本質的なところを指し示しているように思えてきました。
70年代はじめから始まるこのフィルムアーカイブも80年代になり、もう90年代の作品もでてきています。時代がだんだん自分のほうに迫ってきて、自分の生まれた頃を映像を見るときのカーテンの向こうの情景を既視感のような想いをもってみることができなくなってくるのは、これは当然のことといえますが。
とはいえ、映像自体にも、詩人としての鈴木志郎康氏が『プアプア詩』を必要としなくなったように、はっきりとした変遷が感じられます。
これ以上、ゴニョゴニョと抽象的な感想を綴ってもよくないので、以下は具体的な説明を通して鈴木志郎康さんの映像作品から受けた私の印象について考えてみたいと思います。よろしければおつきあいください。
1:『風を追って』42分(Run after the Wind.1985 16mm)カラー
2:『オブリク振り』22分(Au mode oblique.1988 16mm)カラー
3:『風の積分』102分(Integration of Winds.1989 8mm film 420m)カラー
4:『隠喩の手』10分(Metaphorical Hands.1990 16mm) カラー
5:『時には眼を止めて』20分(Sometimes, watching contemplatively. 1994 16mm) カラー
6:『角の辺り』15分(Sometimes,at the exclusive point,,, 1995 16mm 15m) カラー
まずはこちらの鈴木志郎康氏ご自身によるHPのフィルモグラフィーご覧ください。
1:『風を追って』(1986年 42分)
この『風を追って』は、風を追いかける映画です。工事中の隣の家にブルーシートがかけられています。
シートが音をたてていたんですね。
風が、ふいていたんです。
そんな言葉から、カメラの中で起こる風、シートをはためかす風、音にひきつけられて、風を映画のなかにとらえることを思いつきます。
ただ、僕のような映画の素人でもすぐに思いつくのは、「風」というものを撮るには、「風」そのものではなくて、ものがはためくサマやその音など、「風」が作用しているものを撮らなければならないのだということ。
そして、そういえば「映画」を撮ること自体も、できるだけ無意図な映像を撮ろうとするのであっても、最低限自分から「もの」に作用し関係していかなければ何も起こらないのだ、ということです(このことは8年後の『時には眼を止めて』の中で作者によってもっと正確に語られることになります)。
この2項の類似が、この「風」を追うフィルムの構造におだやかに作用しているとは考えられないか、などと雨に打たれながら風にプルプルとふるえる葉の映像をみながら思いました。
具体的には、作者は自分の中で「風」の起こりがどこにあるのか思い出そうとして、どうやらその起点が知人で詩人の藤井貞和氏の
昔、ひとは身体をもっていなかった。いうなれば風のようなものだった。
ということば(テキスト)と、藤井氏の撮った『風』という8ミリ(映像)にあることに気づいていきます。
そうやって、『あじさいならい』と同年の制作になるこの作品も画中画「入れ子細工」の手法をとっていくわけですが、この『風』という8ミリは、おどけた寓話めいた小品でなかなか興味深い味わいもの。それはこんなことばで始まります。
突然、風が失われた。
風を知らない子が増えてきた。
気象庁は閉鎖され、
風速計は壊された。
辞書から「風」文字は抹消された。
そのあと、夢子という微生物みたいなキャラ(僕は空を見つめていると、目の上でうごくのが見えるホコリを連想しました)が「風」を探しに行くという映画なんですが、この不思議なもどかしさのような感覚が、この『風を追って』の動機になっていることは確かに腑に落ちることです。
もうひとつの「入れ子細工」は、言語学者の西江雅之氏が収めたアフリカへの船旅を撮ったフィルムで、何年も前にもらったフィルムを映写してはじめてアジアを経由して次第にアフリカの方に情景がうつっていくことがわかります。
まさにカメラの中の風からブルーシートにはためいてアフリカまで飛んでいったわけです。このあと地下鉄の構内の風から江戸川の河原の風へ映像的連想はなめらかにつながれて一旦エンディング、となりますが、後日談が入ります。これがまたいい。
アフリカ旅行の8ミリを撮ったときの話を西江雅之氏が語り、家の前で「指笛」を吹く家族の姿(実際はこの笛の音は、あとで鳥笛の音を重ねたもの、と解説されますが)が映され「指笛は吹く息、鳥笛は吸う息。どちらも口の中で起こる風。ことばの一歩手前というわけです」と見事につながれていき、最後には
ついでに、
洗濯物が風に
揺れて、陽に
遊んで
という、冬の昼のとろけるような陽光を映した言葉と共に、これで本当のおしまいになります。
なぜこの映画にこのように釘付けになってしまうのか、よくはわかりません。素朴でユーモラスな鈴木さんの手による「書」のエクリチュールや、アフリカの音楽も効果絶大なのも確かです。
しかし、こうしてみると、さまざまな記憶と言葉と映像とが、「風」を追うことで「風」によってつながれていること。それが作品と観る者のあいだに「風」を孕ませているからだということが、わかってきます。
そこには以前の「極私的」へのこだわり/こわばりが捨てられていて、気持ちのよい風が吹いているように思えます。
2:『オブリク振り』(1988年 22分)
表現すること自体が「外側」と「内側」を区別してしまうのではないかという危惧がまず存在し、沖縄のハイビスカスの花が東京の自室でも咲くという事実がこの構造から抜け出すヒントではないかということからこの映画のはじまりです。
ハイビスカスの花は散らずに次第にしおれてひからびて最後にポトリと落ちます。作者はこれを年老いた男根あるいは「天使のミイラ」と呼びます(このあたりはさすがにプアプア詩人の面目躍如のように思えます)。
極私的で文字通り極限まで煮詰められた内部への問いかけが、こんどは外を対象化していこうとする時、どんな参照点(というか角度)がありうるのか。それを作家個人にひきつけて探った作品だといえそうです。
主体と客体をはっきりとさせて関係性を際立たせていくいき方の典型として冒頭で参照されるのは、あのマルキ・ド・サドとマイブリッジの連続写真。
サドは、極限まで際立たせた対象に直接的・暴力的に働きかけることで内部と外部というものを破壊しようとした(ので、投獄された)。エドワード・マイブリッジは、人間や動物の「うごき」を連続写真のかたちで、キュビズムに対するデュシャンの「階段を降りる裸体」のような対象を徹底的にみつめるやりかたで分解し、写真に時間を導入、つまり映画的な対象というものを揺り起こした、といえるかもしれません。
この二人に対する鈴木志郎康氏の態度は、もろ手を挙げての直線的なオマージュ、というわけにはいかないようで、それこそ「ななめ」にスライドさせていこうとしているようです。
そこで次に参照点として呼び寄せたのは知り合いの二人の詩人、撮影当時円ドルの売買のディーラーをやっていた川口晴美さんと、もうひとりは山形で酪農をしていた岸利春さんで、この二人の詩人への親密なインタビューを通して、対照的なくらしぶりが語られそれぞれの詩が朗読されます。
その詩も、川口さんは都会的で鋭敏で神経症的、岸さんのものは土と動物への共感がつまったもの、と全く正反対の両極にいるような詩です。
ここで、すぐに思い当たるのは、この両極の二詩人の「対角線上」に、それこそ、「斜め」に結ぶ直線を意識し、思い描くこと、またそのように「映画する」こと自体が『オブリク振り』によって目指された作法なのではないか、いうことです。
最後のカットは、手のひらにのった枯れたハイビスカスの花。
その余韻は、決して不気味というバイアスは無いのですが、「衰退」とそれが自然に導きだす「死」とを連想させます。
映画が、その方法自体が、なにかを擬態(イミテート)する。それが一貫して鈴木志郎康さんの映像作品の特性になっているように思えます。ここでは「ななめ」や「よこしま」といった、いずれにせよ一筋縄ではいかない精神の態度に託されているように思えました。
3:『風の積分』(1989年102分)
このフィルムは、隣の空き地に魚眼レンズを合わせて、コマ撮りで一日数本(はじめは一日一本)のフィルムで収めたもので、全体が420分もあるフィルムですが、今回拝見できたのは隣の空き地に一戸建てが建つまでを7月1日から8月までの2ヶ月を収めた102分の分で、この部分が撮られた後、「昭和」が終わっていることにはなにかとても深い示唆があるようにも感じます。
固定したカメラで延々と写したスタティックな作品といえば、A.ウォーホルの『エンパイヤステートビル』などが想起するのは簡単ですが、この『風の積分』ではそういう事例は忘れた方がいいようです。
夜明けとともに絞られた露出から光はあふれ出して真っ白になる。
一定間隔で繰り返されるそのサイクルが、世界の呼吸のような雲の流れと相俟って、世界のリズムのように見えてくるから不思議です。
『あじさいならい』『風を追って』『オブリク振り』や後の『隠喩の手』などの作品が、ある意味被写体に何か「託す」広義のメタファーの機能を持っているのに対して、この『風の積分』には、そういったメタファーが入り込む余地があらかじめ封じられているように思えます。
5年後に制作される『時には眼を止めて』で、作家は「映画を撮るということは、時間を関係に置き換えること。そして関係とは欲望を実現すること。」と、決定的なことばを語りますが、ただただ飛ぶように流れていく雲と繰り返される一日の明滅は、なにかのメタファーを滑り込ませるには、たしかにあまりに巨きすぎ、茫洋としすぎていて、そこには、ひたすら観るものの目が吸い込まれていくだけなのでしょう。
魚眼レンズを固定して昼夜のシャッター間隔をセットする。フィルムを入れ替える・・・最小限に抑えたコントロールが、むしろこれほど人間臭く、手数多いものに感じられるのが逆に不思議に思われてきます。
以下は全くの余談です。
かなり前の映画でポール・オースターの小説を下敷きにした『スモーク』という映画があって、これは、大好きな映画なんですが、その中でニューヨークの街角を一つの角度から毎日写真にとる日課を持つ煙草屋のおやじオーギーが、作家にアルバムを見せるんですが、「なんだ、どれもおんなじ写真じゃないか」といわれてしまう。
ここからが好きなんですが、オーギーは落ち着いてこう説明するのです。
「街をゆく人のなかには新しい人、見かけなくなった人がいて、いつもちがう顔ぶれだ。
一日一日、季節は変わっていくし陽の向きは変わっていく。同じ一日、同じ写真なんてないんだよ。」
別の映画のことを長々と書き出すのは一体どうなんだと思われているでしょうが、この『風の積分』という映画の不定形な魅力を意図的にわかりやすい話に落とし込もうとすると、上記のような切り口なるんじゃないだろうか、と思うわけです。
4:『隠喩の手』(1990年10分)
本屋をあるけば「ナントカする脳」「脳のナントカ」などとにかく「脳」ばかりが目に付き、脳学者さんも活躍が華々しく、犬も歩けば脳にあたる、といいますか。
他方、僕の「手」といえば、今やキーボードを叩くかマウスをクリックするかで、どうも「脳」のたのしみの下働きをしているかのようで陽があたらないような・・・・。そういえば『手ざわり』という言葉に特権的な印象がなくなって久しいような気もします。
今や「脳」全体主義の世の中なんでしょうか。
ところで、「手」です。
手癖・手並み・手管・手当・手形・手習・手品・空手・手術・手相・手腕・上手・下手・・・
思いつくままに「手」のつくことばを並べてみたんですが「手」ばかりならべていると異化作用が起きて、なんだか「手」って一体何なのかわからなくなってきます。
実際のところ手を使う作業だけでなく、その人のもつ技術から熟練ぐあいや人格を規定していくような言葉も多いような気がします。語弊あるでしょうが、これを「手ざわりの世界」といっていいんじゃないでしょうか。
見慣れた手もまじまじ見ると、なんだか見知らぬ生物みたいに思えてくる。
そのとき、実は「手」自体がひとつの「文脈」になって、なにか別の感覚が代入されているんじゃないでしょうか。これはいってみれば、そんな感覚の短編です。
例えば、いわずもがななことですが、題名にある「隠喩」とは別名「暗喩」ともいいまして、佐藤 信夫の『レトリック感覚』をめくってみると、
あるものごとの名称を、それと似ている別のものごとをあらわすために流用する表現法が「隠喩」−メタフォール(メタファー)である。
・・・・・・佐藤 信夫『レトリック感覚』p.101
と書いてあり、乱暴にいうと、言葉のイメージを別の文脈の中で活用する「代入」の手法といえそうなのです。
それでは、この『隠喩の手』(『暗喩の手』ともいいかえられます)というフィルムは、「手」をもって何のメタファーとしているんでしょうか?
手をじっと見ても、手をみることはできない。
人生は何を手が持つかで決まるのではないか。
そんな詩人の言葉を追いかけて、パイプにタバコをつめる手、原稿によどみなく字をうめていくペンを持った手、カメラにフィルムを装填する手、と続いていきます。
ことばを書くのも、手がペンを持ったから。
映画を撮ったのも、手がカメラを持ったから。
頭では自分でやっているつもりだが、
実際は手がやっている。
次々に「手」に未知のタブーを「代入」して、日常とは異なる段階にスライドさせる試み、といえるのかもしれません。
脳に電極をさして微量の電流から直接コンピュータを動かす脳・コンピュータ・インターフェースを持ち出すまでもなく、21世紀になってから最後のフロンティアとして脳の世界が喧伝されていて、それはたしかにそうなんでしょうが、その反面、どうも「手ざわりの世界」は分が悪い。むしろ、後退しているような気配です。
でも、脳に電極をさして何をするのかといえば、いまのところ、医療目的といわれていますが、ロボットアームに代表されるように身体機能の拡大・増大−つまりは、「手」の拡張なのだそうです。
何がいいたいのかといいますと、たとえ何十年か後に、脳がインターネットにつながったり、サーバーを経由して他人の考えていることが直接伝わってくるような「直脳時代」になったとしても、「手」は新しい「手ざわり」という実感の地平を持つんじゃないのか、ということです。
このフィルムはそんな時代になる前に一度振り返ってみるべき作品です。
そういえば「手話」はありますが、まだ「脳話」というのはありません。
5:『時には眼を止めて』(1994年 20分)
咲き誇り今にも形が崩れていきそうな臨界点になるバラの花を「うつくしい」というところから始まります。
前年に制作された『野辺逃れ』に続いて、植物、特にご自宅の中庭の植物たちに対して、コマ撮りも駆使して注がれる「まなざし」は、植物たちの固有の時間を目の当たりにさせてくれる柔らかい力があります。
欄の花をエロチックな見立てで採り上げるところも「鈴木志郎康」らしくておもしろい。
裏テーマとしては、「衰退」というものがあるようです。
ですが、この作品で注目したいのは、以下のような詩人の発言を含んでいる点です。
映画を作るっていうのは、
その時間を関係に置き換えていくことだって
いえるんじゃないかと思うんですね。映画を撮るっていえば、何か対象を探し求めて、
それを撮影しなければならない。
そうするとそこに関係が生まれてくる。まあ、頭の中に生まれてきたものを実現しようとするんであっても、
現実に撮影するためには、それを表す対象物を
そこに持ってこなければならないわけで、
で、そこで関係が生まれてくる。関係するって、その基に欲望が働いているわけですよ。
関係するっていうのは、欲望を実現することなんですよ。
これは「極私的」映画へのガイドラインとして究極といえるかもしれない、とても腑に落ちる言葉のように思えます。
空に向けて開いた月見草の花が、別の天体の建造物のように美しいです。
6:『角の辺り』(1995年15分)
ここに、今目を覚ましたばかりの男がいます。これが私です。
天気を気にする。根が百姓だからでしょうね。
と還暦の朝を迎えた詩人の寝起きをナレーションしてはじまる導入部は今まで観た中でも一番軽やかなものですが、すぐに映像的思考は、還暦という人の人生の「曲がり角」にあたって、「角をまがる」ことへの思考につながっていきます。赤い頭巾ならぬ真っ赤なパンツを穿いて、おどけてみせる部分もありますが、
私はここにのんきな構えで立っている。
でも、この私の存在を憎んでいる人がいるんでしょうね、きっと。
私はもうすぐどこにも居なくなりますよ。
そんなドキッとするような言葉が出てきます。「不在になること」を想像すること、それと角を曲がること。ここにはメタファーとか、物語的構造への擬態だとか、そういった「手管」がまったくありません。率直な「極私的」ドキュメントですが、ありがちなバイアスが蒸留されているように思えます。
とはいえ、こんな言葉で終わられると、こちらとしては大変困ってしまうのも確かなことです。