みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ドンとジョンの人間音楽:『HUMAN MUSIC』Don Cherry,Jon Appleton、『マンガと人類学』での諸星大二郎

どんじょん。なんか笑ってしまいますが。
しかも『人間音楽』と大上段です。
ここでのドンは、言うまでもなくオーネット・コールマン・カルテットでオーネットの双子のようなコルネットで軋むようにスウィングするジャズ(後のフリージャズと。)、その後は汎地球音楽的なアプローチにまで手を伸ばしたあのイーグル・アイ・チェリーとネネ・チェリーのお父さんドン・チェリーでして、ジョンの方は、コンピューター音楽のパイオニアの一人で、電子楽器シンクラヴィアを開発したジョン・アップルトという、フリージャズと電子音楽の「こんなのあったのか」的な共演盤です(日本でもなんどか発売されているらしいです。あくまで私が無知だっただけです)。
アップルトンについてはこちらの本人による波乱万丈なバイオを読むといいかと。こちらはご本人のHP。こちらの竹田賢一氏によるヒューマンミュージックに関しての記述(一番下までスクロールしてみてください)も示唆に富み興味深いです。
音の方は、少なくとも僕が聴くかぎりは、期待を裏切らないというか、アップルトンが即興的(おそらく)に作り出す電子音の奔流の中を『永遠のリズム』あたりの汎民族音楽ドン・チェリーが単身殴りこみをかけ、

Eternal Rhythm 永遠のリズム

Eternal Rhythm 永遠のリズム

得意のコルネットだけでなくアフリカのパーカッションなどあらゆる手管を使って泳ぎまくるというフュージョンちっくな洗練された融合など全く気にもかけない矢放図ともとれる即興性でねじ伏せ、『人間の音楽』を名乗ってしまうあたり、あらぶる志の高さを感じてしまうわけです。
先日から読んでいるIEプログラマーが書いた超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会には脳コンピュータインターフェースでインターネットに繋げてしまう日も近いという「ワールド・ワイド・マインド」や「接続された脳」という刺激的な章があって、そうなると「個人の境界」というのが曖昧になるのか、それとも新しい人間の倫理といいますか定義が出てくるのか、どうなんだろうこりゃほとんどSFだわ、などとぼんやりと思いを巡らしたりする昨今、この1970年という時点での「電子≒人工」VS「民族≒肉体」の構図。それをまた安易に融合してしまわない人類学的といってもいいような視点が今となっては目も眩むばかりでうらやましい。
おそらくチェリーの吹く管楽器がトリガーになって電子音が増幅されるようなシステムの「演奏」がありますが、チェリーは相当おもしろがって無邪気にやっているのが、なんだか可愛い(音はプリミティブですけど)。

人類学といえば、先日、京都の烏丸御池京都国際マンガミュージアムという施設が出来まして、メインギャラリーには世界のマンガが展示されているんですが、そのこけら落としのイベントで、その名もマンガと人類学という魅力的(?)なシンポジウムがありまして、いや、このごろはもう、あれほど漁るように読んでいたのがウソみたいにマンガ全般への興味が薄れているんですけども、ただひとり例外的に新刊が出るのがつねに待ち遠しいのが諸星大二郎さんでして、普段滅多に人前に姿を現さない諸星大二郎そのひとが、評論家の呉智英氏と『マッドメン』などの人類学的な視点と神話的な世界観について対談するということで、いそいそと行ってまいりました。

マッドメン 1 (ジャンプスーパーコミックス)

マッドメン 1 (ジャンプスーパーコミックス)

会場はおそらく最初で最後の「生諸星」を観るべく、熱心なファン(諸星氏と同年配らしき層が多いのもいい)ですぐに満員。異様な緊張と期待に包まれていました。
諸星大二郎先生そのひとは、やはりかなりシャイな人のようで、相槌を打つ他は殆ど呉氏が饒舌に語っておられましたが、その内容は「諸星大二郎」という唯一無二の才能を的確に射抜くもので、大変興味深いものでした。デビュー当時の掲載雑誌のスライドなども映写されましたが、これがもう、むしろよっぽど人類学的資料(笑)。
最後にシンポジウム聴衆から最近中国でドラマの『西遊記』の設定が中国文化を捻じ曲げたものだと批判されたことに関して、同じく西遊記をもとにした『西遊妖猿伝』(これは孫悟空が猿ではなく人間という設定)がある諸星氏に見解を求めたところ、

西遊記」自体、複数の語り部が様々なバージョンで接木して語り継いできたもの。自分はその中の一人として語り継いでいる意識でいる。

という主旨のことを仰れ、呉氏もすかさず

西遊記」自体に玄奘三蔵法師は誘惑に負けてしまったり、妊娠してしまったりする意外な描写が含まれている。女性が三蔵法師を演ずることに怒りを顕にする中国の人は実際「西遊記」のテキストを全て読んでいるのだろうか。

と援護射撃されていました。
(*私の聞き覚えによる引用です。念の為)

それはそれとして、僕の好きな諸星作品では、いつも独特の線のタッチが「モワモワ」としていて、輪郭がはっきりしないことに気づきました。この「輪郭ははっきりしない」モワモワした人物や生物の描き方は、結構モロホシ・ワールドの肝なんではないかと思っていまして、不安な心象だけではなくて、変幻自在なモロホシワールドを可能にしているのはこのモヤモヤの輪郭線ではないかと。言うまでも無くデビュー作『生物都市』は、生命・非生命に関わらず全てが溶解融合してしまう話でしたし。ところで、ご本人によれば、モロボシではなくモロホシが正しいとのこと。別にいいんですけど、とも。
スノウホワイト グリムのような物語

スノウホワイト グリムのような物語

これは、少し前に出た『トゥルーデおばさん』と同じ趣向で、グリム童話(ペローの長靴をはいた猫も含む)を下敷きにした作品の最新短編集。白雪姫が実はヴァンパイヤだったり、赤頭巾ちゃんが実は狼人間だったり等トリッキーな工夫もありつつ、諸星大二郎的としか言いようのない不条理世界は相変わらずです。メルヘンな物語の中に予期しないところから裏側の不定形な世界が漏れ出てくる。そういう味を知っているモロホシ患者にはまちがいなく効くでしょう。