みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ハイファイは高音質の概念、ローファイは生き様:ルー・バロウのSentidoh 『LoserCore』

nomrakenta2006-09-30




ローファイ(LoFi)は生き様・・・書いてみてちょっと怯む。
それでもダニエル・ジョンストンジャド・フェアーを、もしもローファイ(もちろん曖昧でいいかげんなただのジャンル呼称ですが)のオリジネイターと考えることが許されるなら、やっぱりそうだろう。ふんばろう。
ベックが、セバドーが、ルー・バロウがいなかったら、グレアム・コクソンのあんな形でのソロはあり得たか?・・・というのは言い過ぎだろうし関係無い話だし、あのころの業界がグランジ後のムーブメントをでっち上げることができればこしたことはない、という雰囲気にあったことは確かなところだけれども、当時毎月毎月輸入盤屋さんに出現する奇特なCD、LP、EPの群れにバイト代をつぎ込んでいちいち胸を焦がしていたんですよ、こっちは。わたしは。ホントに。
これらの音楽(ジャド・フェア、D.ジョンストン、キャロライナーレインボウ、ゴッドイズマイコパイロット、ビート・ハプニング、ハッピー・フラワーズ、ロイヤル・トラックス、ヤンデク・・・一緒くたにジャンク→スカム→ローファイとされていたもの)は「うたもの」であるロックの表現としては、根源的にして最終兵器的なもんだという認識が、少なくとも個人的なリスナーである僕としては、あった。だからメジャーでリリースを重ねる彼らに「音楽的成長が・・・」なんていうレビューが付いたら、「はあ?どこ聴いてんの?」だった。今思えば、同時期認知度が上がってきていた「アウトサイダーアート」とも気分的な連動があったんだろう。
どこまで壊われたままでそぎ落とせるのか、それなりに知的な興奮があったのだ。

とかいいながら、そんなムーブメントも去り、諾々と次の面白そうな音楽を探しにいく態度には、今も変わりはないのだけれど。

そんな当時に出会った曲で、大げさでなく背筋が凍りつきそうになったのが、セバドー(Sebadoh)のルー・バロウが同時進行で複数立ちあげていたソロユニット(そりゃもう買いきれないほどあったように記憶する)の一つ、この「Sentoridoh」の7インチEP収録の『ルーザーコア』という一曲だった。SYのスティーブ・シェリーのレーベル「Smells Like」からリリースされている。
レーベルにもジャケットにもリリース年が表記されてないので確かではないけども、多分『Smash Your Head on the Punk Rock』以後、いや『Bubble&Scrabe』以後、『ベイクセル』以前の92〜94年までのどこかのリリースだと思う。

実情はルーが書き溜めていた曲をアコースティックな形で好きなようにやる、というものだった様子(Acoustic Sentoridoh名義でCDがあったように思います)。だから曲自体が出来たのは90年以前かもしれない。
ハードコア世代だったルーがBECKの『LOSER』的世代感を含みこんで歌にしたのか、どうか確かなことはわからないが、元曲はセバドーの『Ⅲ』のリイシューのボーナスディスクの③にそれらしき片鱗が。
その簡素さは、切ないというより、いさぎよい。「無念」というより「無情で結構」。

B面には『Really Insane』という、これまたニック・ドレイクがとろけきって途中で人間をやめたようなせつない断片。

「負け犬のハードコア、ルーザーコア。僕はそいつが欲しいのさ」(歌詞より意訳)

初来日を心斎橋で観た時はほんとにひどかったなあ・・・歌詞を忘れて「F○○K!」ってアンコールなのに中断しちゃうし。その時、前座でダンボール箱かぶって唸りまくっていたのがパラダイス ガラージこと豊田道倫さんでした。

Sebadoh III

Sebadoh III