みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

オーネット・コールマン『ジャズ来るべきもの』

久しぶりに聴いてみた。
パンク好きにとってジャズへの興味は多分フリージャズから始まるんではないかと思うが、パンク漬けの耳で本作の「自由さ」の起点を味わうのはちと無理な話だった。どうしてもフリーキーなトーンだとかサックスの爆裂だとか、そういう派手で過剰なところを(それも自分の尺度で)探してしまうのである。
フリージャズの誕生を告げるとされる名盤だが、冒頭一曲目「ロンリーウーマン(淋しい女)」は多くのフリージャズ初心者がホッとするように、それほどコンポジションから離れているわけではない。今となってはテンポやハーモニーの不安定さがちょっと気になる程度で、基本はむせび哭きフレーズがいたく胸に沁みるものであり、現在もカバーするミュージシャンが後を絶たない名曲であることは、いわずもがな。
でもここでは、カルテットの持っているノリ、というか演奏の熱量に注目(耳)。オーネットがフレーズを吹いた後に、トランペットのドン・チェリーだろうか、感極まって「ヒュー!」っていってるのが聴こえる。たしかに演奏自体には、殆ど浪曲の情念の塊のようなコンポジションに反して、今にも飛び散りそうな予兆がある。あと、ベースのチャーリー・ヘイデンの爪先立ちで進むような不穏なリフレインもすごい。
むしろ2曲目「イヴェンチュアリー」からの弾けっぷりがまことにヒップ。四方八方に威勢よく飛び散っていくような演奏で、オーネットが殆ど現代音楽みたいなフレーズを吹けば、ドン・チェリーがコルネットで双子のようになぞり直す。その昔(本盤リリースよりは当然あとだが)ジョン・ゾーンがオーネットの曲を高速ハードコアバージョンでカバーするアルバム(『Spy VS Spy』)があったが、十分速い。なのに、過剰ではなくスタイリッシュで矛盾しない。
オーネットとチェリーの音ばかりが大きくて、ベースとドラムの音が小さいように思ったりもするがその辺は想像で補ってみる。
ジャクソン・ポロックでいえば、オールオーバー、ドリッピングに行く前の、モチーフの力線ではじけそうになってその後の予兆になっている時期の絵にあたるか。
大阪のブルースマンAZUMI」さんの『混音』収録の「ものすごくさみしい女」も想いだしてみる。
インタビュアー:「あんな演奏を聴くのは初めてだよ。」
オーネット:「そりゃそうだろ。どこも演奏させてくれないんだから」
(なにかのインタビューより)*1

Spy Vs Spy

Spy Vs Spy

過剰というより不必要なぐらいに、速い。
ジョン・ゾーンにはフィジカルな感覚なんだろけど、
聴いてる方には諧謔的にも響く。そこを楽しめるかどうか。
おもちゃ箱をひっくり返した感じ。

*1:後日、ネタ元だと思っていた植草甚一氏の『ジャズの十月革命』をぱらぱら読み直してもこんな発言載っていない。さては他の本だったのか・・・いい加減で申し訳ありません。