みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

リュック・フェラーリ・フェスティバル 世界のざわめき 音の記憶 1

今日は船場アートカフェでの上記に2日目に行ってきました。6月のシネ・ヌーヴォーでのフェラーリの上映会からチラシで知ってからというもの、ずっと期待して待っていたイベントです。本町のampmの地下にあるところで僕は初めていきました。
整理券は上映一時間前に配られましたが、僕は3番目くらいでしたが、すぐにいっぱいになって立ち見の方もいたみたいです。\1000のパンフの中身は良く出来ていて、「大いなるリハーサル」に関して当然仏語字幕なしなので、このパンフの椎名亮輔氏の解説がなかったらと楽しみ半減どころではなかったでしょう。

一回目上映
■「リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像」
 前も書きましたが、フェラーリの手法特に「ほとんど何もない」の手法は、現代音楽の臨界点に映画的編集知で接した極めて「具体的」な思考方法だと思います。ま、それが音符という抽象から効果を想定せず素材からの発想でいく「ミュージック・コンクレート」ということなんだとは思いますが・・・先日のシネ・ヌーヴォーでも観たものなので、新鮮味はなかったですが、やっぱりエリックMとの共演は耳に残ります。会場でこの音源のCDが売られてましたが、一足違いでディスクユニオンで発注したところでした。届き次第今度はじっくりヘッドホンで聴いてみたいと思っています。
パンフの解説の指摘通り、フェラーリのPCのデスクトップ画像はなんだかやらしい画像みたいでした。まったく、こういう細かいところの演出なのか素なのか徹底ぶりがポイント高い人です(邪道な見方?)。
■「大いなるリハーサル オリヴィエ・メシアンの『我死者の復活を待ち望む』」
 メシアンが時の文化大臣マルローより委嘱された作品のリハーサル風景。モノクロ。第二次大戦の死者を弔う趣旨のもの。
音の印象は重く不協和な部分もありながら荘厳に響く音楽にやはり「ヨーロッパ」を強く感じました。
指揮者の不必要なほどのマッチョぶりも気になりましたが、これはどうでもいい。

清水穣氏  講演
「抽象と具体」をキータームに、「音楽=建築」側である器楽と、「音楽=プロセス」側である電子音楽、そしてそれに架橋する「声」や「打楽器」の事など、音源や映像なども交えてとにかく興味深い見取り図を与えてもらえた内容でした。
後半シュットクハウゼンの「ヘリコプター協奏曲」の練習風景の映像なども見せていただき、笑いもあってからにノッてこられた様子で、拝聴しているこちらもグイグイ引き込まれました。この後のシュトックハウゼンの映画に向けての最高の前説でした。

二回目上映
■「大いなるリハーサル シュトックハウゼンの『モメンテ(瞬間)』」
本日一番の収穫でした。とにかく30代のシュトックハウゼンの指揮ぶりだけでも見飽きません。殆どパフォーマンス。音源だけ聴いていたら、素通りしてしまいそうなところもシュトックハウゼンのリアルな身振りに同調して聴いていると、ものすごくダイナミック。
清水穣氏が講演で仰られていた「抽象的音でも具体音でもない中間・過程そのもの(ちょっとニュアンス違うかも)」を持続しつづける意思が漲っていましたし、オーケストラとのやりとり(特に大柄な黒人女性との)やり取りはユーモラスでした。
個人的にこれまで苦手意識の高かったシュトックハウゼンに向き合うことができて嬉しかったです。
短編映画としての出来も良かったのではないかと。

■「大いなるリハーサル ヴァレーズ礼賛」
65年に没したエドガー・ヴァレーズを悼む企画。冒頭から超有名な「電離(Ionisation)」の演奏から。
その後、延々と仏語字幕なしの関係者インタビュー(クセナキスブーレーズメシアンシェフェール・・・)が続き、言葉がわからない身としたは少々つらかったです、せめて英語ならな〜と。最後は、NYにいるデュシャン(動いている!)に中継で、「砂漠」の演奏を聴いてもらうという趣向。
若きフェラーリからヴァレーズとともに業績を讃えられたデュシャンがはにかんでみせるのが、思いがけず、ある意味意外でした。もっと仏頂面で受け流す人だったのかと・・・この頃すでにコツコツとあの遺作「1)落ちる水 (2)照明用ガス、が与えられたとせよ」を密やかに作成していたんだろうなあ・・・
・・・とにかく、この最後の演奏、ノイジーで硬質かつ音響的で素晴らしかったです。同時代人ヴァレーズ!!!!

Varese;Cpte.Works Vol.2

Varese;Cpte.Works Vol.2

と、こんな具合で、かなり充実でした。これでパンフ代1000円のみというのは・・・いいんだろうかと思ってしまいますが。