みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

Gavin Bryars「イエスの血は決して私を見捨てたことはない」(Jesus' Blood Never Failed Me Yet)

キャリアの初期デレク・ベイリーやトニー・オクスリーと「ジョセフ・ホロブロック」という名のトリオを組んでジャズのメソッドから自由な即興演奏を探求していたブライヤーズですが、その音楽的関心は次第に「即興」から距離をとり「作曲」へと向かっていったそうです。*1
未聴の方ためにどんな曲かマイケル・ナイマンの名著から引用しますと・・・

録音された声と器楽伴奏のために書かれた。声は、ある年老いた浮浪者が、十二小節から成るゆっくりとした感傷的な宗教歌を歌ったものである。(右上写真マイケル・ナイマン著「実験音楽―ケージとその後」p.314)*2

また、その制作方法は、

ブライヤーズは、この曲のテープ・ループを作り、それが(最低)三十分以上再生され、それと一緒に楽器奏者のグループが演奏する
(同書・同箇所)

となります。
もっとも興味深く、また効果をあげていると思われるのは、この背景の暖かい和声的な器楽演奏が、老人の歌唱の不安定な調子に特に優しく寄り添うようにして奏でられる点だと思います。その微細な変化が、織りあげられるようにして感動になっていき、テープ・ループという反復手法に関しては、むしろ聴き進むに従ってはるか後景に忘れ去られます。

Bryars: Jesus' Blood Never Failed Me Yet

Bryars: Jesus' Blood Never Failed Me Yet

そしてこちらは、1993年に改めて再作成された決定版といえる盤で、まずオリジナルの老人のバージョンが、伴奏がストリング・カルテット→低めの弦→弦なし→フル・オーケストラの順番で演奏された後、この「イエス・・・」がラジオから流れるの聴いて涙が止まらなかったというトム・ウェイツをボーカルに迎えてのバージョン、そしてコーダで締めくくられるという、ある意味よくもここまでマクシマムに・・・という程の壮大な仕上がりになっています。

ライナーでの自身の解説によると、当時ブライヤーズは、浮浪者のフィルムを制作していた友人に請われて、音響面でのヘルプをした際に、この老人の歌の音源に触れたらしい。自宅でこの歌のテープに合わせてピアノを即興で弾いているうちに何ともいえないアトモスフィアが出てきたようです。そして、当時働いていたレコーディング・スタジオで、この歌のテープ・ループを加工していた時、たまたまコーヒーをとりに下の階に降りていたブライヤーズがスタジオに戻ると、他の職員がなぜかいつもよりゆっくりと動いていて、しかも中には座って泣いている人までいるのに気付いた。なんとミキシングルームのドアが開けっ放しになっていて、製作中だったこの歌のループが人々を感動させていたのでした。そこであらためてブライヤーズはこの音楽のエモーショナルな力に気付いたという事です(訳責:のむら)。
典型的な漸次変化の手法と言ってしまったとしても、この曲の豊かさは説明しきれないでしょう。またその逆に、安易に「現代の賛美歌」と形容するより、(同じように文学的な感想が許されるならば)この曲が流れるたびに、「現代」がフラジャイルな姿で再生していくのだと感じる方がふさわしい気がします。

*1:そのあたりは、デレク・ベイリー著「インプロヴィゼーション」に詳しいです。

*2:この本は邦訳されてから随分経つが、未だに実験音楽への最適な手引書と個人的に思うし、ナイマンだけに、AMM、コーネリアス・カーデュー、MEV、フレデリック・ジェフスキなど特に当時の実験音楽シーンに関する記事はデレク・ベイリーなどのフリー・インプロヴィゼーションのシーンへの影響も含めて考えるとかなり興味深いものだと思います。