みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

今夜なら大丈夫:千野秀一クインテット@ムジカ・ジャポニカ

仕事あがりに、梅田のはずれのムジカ・ジャポニカ千野秀一クインテットを観に行く。
7時半からの開演だったのですけれど、運良く2セット目に間に合ったみたいで、モンクの曲(?スティーヴ・レイシーもカヴァーしていた曲のように思えましたが、アヤフヤ。しかし、アレンジはもっとアブストラクトでした)からステージを斜にみるカウンター横で聴き始めて、たぶんオリジナルの「カトゥーン」という曲のアートジャズな曲想で、身体が音に慣れてきたので、ステージ前に移動すると、「ブロークン・シャドー」という曲が演奏された。これはオーネットの曲だろか?オーネットの「ブロークン・シャドー」を聴いたことがないので判断できなかったけれど、ちょっとオーネットっぽくない感じもした。
職場近くの広場では、ときどき大阪の警察の音楽隊がクラシックの演奏をお昼時に披露することがある。遅いシフトのとき(今日)などは、楽団のメンバーがそれぞれ勝手に音出ししている時と出勤が重なるのですが、ふと出会うその「合ってない」音の現れ、というのものには心が和んでしまう。完全にハーモニーに向かって統制されているわけでもなく(それを求めるときもある)しかし、好き勝手にメロディーが分散している様子はおもしろい、といつもおもってしまう。
ある種のジャズには、そんな和やかな不協和の状態が、そのままアレンジのなかに内蔵されているようだ。自分にとっては、それは、チャリー・パーカーではなくて、やっぱりオーネット・コールマンのアトランティック時代か、スティーブ・レイシーのプレスティッジ時代のCDで聴ける演奏、なのです。


すきっ腹に、ジャズはどうかな、と若干危惧してましたが、全身にクインテットの演奏を浴びると、そんなことは関係なくなる。アヴァンギャルドなアレンジにせよ、身体は知的な関心も担保しながら反応する。(ある種の)ジャズっていいですねえ。終盤近くのドラマーのソロに興奮する。リズムから曲のテーマが聴こえてくる。昔、「鼓童」を聴いた時に、打楽器もメロディーを出せるんだということを知って、なぜだかとてもうれしかったけれど、そのフラッシュバックが来たようにも感じました(いあ、「リ・パーカッション」とでもいうのか)。
久しくこんなことはなかった。
前に千野秀一さんを観たのは、ブログによれば去年の8月、グラフサロンで、トリオ+ 川端稔さんでのライブでした。http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20080831/ バイクモンドの西崎さん(といいますか、私のなかでは「ブラジル」の)からコメントを頂戴したりして嬉しかった。
それも、てっきり2年くらい前のことだと思いこんでる自分がいたので書きながら驚いてます。

ライブ終りに、誘ってもらったIさんと食事。いつも、お酒がおいしい。ありがとうございます。

帰宅後、今夜なら大丈夫、との確信をもって、ドン・チェリーの『即興演奏家のための交響曲』を聴く。

Symphony for Improvisers (The Rudy Van Gelder Edition)

Symphony for Improvisers (The Rudy Van Gelder Edition)

数年前に購入したはいいいけれど、運悪く、自分のタイミングにずっと合わないままに積聴(つんぎく)されていたディスクでした。
今夜は、千野さんのジャズを、もうちょっと自分のなかで「走らせて」みたかったのです。
思った通り、自分の耳と頭と身体のなかで、ドン・チェリーコルネットが軽快に転がりはじめて、ガトー・バルビエリファラオ・サンダース、ヘンリー・グライムス、エド・ブラックウェルの演奏が有機的に絡み合いながら、流れ始める。この「有機的に」というのを感じられるのが、いつもではないのが厄介で、身体のチューニングが合っていないときにはオールオーヴァーに拡散しているようにしか感じとれないリズムが、今夜は、あるセクシーな了解のもとに、統合されているのを感じる(言外に示されているのではない)。それでも、これは完全な集団即興というわけでもないことくらいは理解できる。まず、基盤として(おおまかなのかどうかは僕にはわかりませんが)チェリーらしいスタイリッシュな構成美があって、それは、アトランティック時代の黄金のオーネット・コールマン・カルテットの、そのまま、延長線上にあるといえるのかもしれない。

Something Else!!!!:The Music Of Ornette Coleman

Something Else!!!!:The Music Of Ornette Coleman

最高。フリーでもパンクでもないよ。ジャズだよ、ジャズ!
Evidence

Evidence

全面即興に至る前の、レイシーの演奏を歯がゆい、という人がいますが、そういう人はこの盤のムズムズするようなソプラノサックスの音色にもなにも感じないのだろうか。破綻や破壊がセクシーに思えるは、もしかしたらミュージシャンに依るのではなくてコンテクストに、より依存してるから、かもしれないないのに。大好きなモンクとエリントンをネタにしながら、自在互いに「さえずり」を交換しあうレイシーとドン・チェリーは、完全に自分の鳴りどころを心得て、自由だと思う。