みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

あんぷとみんぱくととーてむ。

nomrakenta2009-10-25


IEを8にしてから、未だに「お気に入り」と「クイック・タブ」を押し間違える、みみのまばたきです。
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昨日はVOXのアンプを買いに梅田へ。
「DA5」というとてもコンパクトなサイズのデジタル・アンプです。
ギターなど持っていないにも関わらずアンプを購入したのは、極私的ジョン・ケージ『枝々(including 樹の子供)』録音のため、です。
これまで、EDIROLのR09で落ち葉のカサカサやら折れ枝のポキポキやらを、素材集めのために録音してきたのですが、ケージがいっている「小さな音の増幅」ということ、『樹の子供』においては発想の源になり、必須の「音」のひとつと指定されている「サボテンの棘を、爪楊枝で弾く音」が達成できないので、やっぱし「アンプリファイ」されて、「空気震わしている」音が要るよなあ。と、半年悩んだすえ購入しました(亀の匍匐のような進みゆきでは、あります)。


買って帰ってきて、すでに用意していたコンタクト・マイクを繋ぐと、音が出ない。「んん?」と色んなジャックにつないだりして、エフェクタのスイッチなんかをかちゃかちゃしていると急に凄い音がして度肝を抜かれる。ちょうどエフェクタが「フランジャー」になっていたので、手軽に変な音になって思わずにニンマリしてしまった。当然、こういうエフェクトは録音には使うべきではないけれど、コンタクト・マイクを空中で動かすだけで、結構なノイズを発生させることができると知る。これは楽しいおもちゃを手に入れてしまいました。

mini5 CL

mini5 CL


買ったのはこれ。みかん箱を半分に切ったようなかわいいサイズで、そのわりには音しっかり(と、思います。なにせ初めてアンプを買うもんで)。部屋のスペースの問題も当然あります。
ギターも買おうか、こうなったら(…イヤイヤ)。


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ケージ絡みでもうひとつ。

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

第一線の研究者である白石美雪氏による、確実な著作が登場。
副題の「混沌ではなくアナーキー」が、本書の意図を正確に要約している。混沌とアナーキーのどちらに自分を置くかで、ジョン・ケージの音楽の聴こえ方はまるっきり違ってくる。これがわかるのに、どんだけの年月がかかったか(個人的に)。
本書が扱うのは、ケージの作曲の長い道のりのなかでも、ブラック・マウンテン大学、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ時代、チャンスオペレーションズ、図形楽譜、『4分33秒』(1952)や『ピアノとオーケストラのためのコンサート』(1958)などにしっかり焦点を合わせているので、残念ながら、後年の『樹の子供』(1975)や、晩年のライフワークとなった『ナンバー・ピース』については触れていないのですが、表層的な混沌のイメージでケージを腫れもの扱いするのではなくて、「音楽でなくてはならなかった」必然性を描きだしているところが、とても良書だと思う。「思想家」「発明家」としての側面ばかりが語られてきたジョン・ケージ受容は、やっぱり不幸だった。

自分が学生の頃には、手に入りやすい本は『小鳥たちのために』だけでした。『小鳥たちのために』はとても好きで今でもパラパラ読むと愉しいのだけれど、いまにして危険だと思うのは、ダニエル・シャルルという最良の知性相手であるといっても、「思想家」ケージと「音楽家」ケージが未分化な状態でのインタビュー集なので、音楽の輪郭をつかもうとしても当然素人ははぐらかされることが多い、ということ。そんな意味では、数年前にポール・グリフィスの『ジョン・ケージの音楽』が翻訳出版されたときにも感じましたが、本書は、そうはいっても注目すべき「音楽家」であるケージの音楽文法をちゃんと明らかにしようという世界的な動きに歩みを合わせているように思えて、頼もしい。
巻末資料の作品年譜も役に立つでしょう。
今年は、小沼純一氏によるちくま文庫ジョン・ケージ著作選』も出たし、ケージ関連の出版は、ラッシュといえばラッシュですね。

蛇足めきますが、混沌とアナーキーの違いがわかんない向きにはこちらの本がいいのかも。

市民の反抗―他五篇 (岩波文庫)

市民の反抗―他五篇 (岩波文庫)

名エッセイ「歩く Walking」も収められています。
資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)

資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)

他の著作もたいへん刺激的な高祖岩三郎氏による、とりあえずの「まとめ」?
チョムスキーの「アナキズム論」

チョムスキーの「アナキズム論」

アナーキスト人類学のための断章

アナーキスト人類学のための断章

事実上、政府が機能しなくなっても政府があるように演じ続けたというマダカスカルの人たちの話が興味深い。
サパティスタの夢 インディアス群書(5)

サパティスタの夢 インディアス群書(5)

マルコス・ここは世界の片隅なのか―グローバリゼーションをめぐる対話

マルコス・ここは世界の片隅なのか―グローバリゼーションをめぐる対話

軍隊であることをやめるための軍隊。
とはいえ、現状はかなり複雑微妙なものになっているようですが。

http://www.diplo.jp/articles09/0910-2.html
闘争のアサンブレア

闘争のアサンブレア

数年前、この「闘争の最少回路」の著者の講演をきいた。「我々のやっていることが、ワールド・ビジネス・サテライトのおもしろさに匹敵しないのだとすると、くやしいと思わなければならない」「憲法9条は、法律上ただひとつ残された文学」(というようなことを仰っていたように思う)。
ボタニカル・ライフ?植物生活 (新潮文庫)

ボタニカル・ライフ?植物生活 (新潮文庫)

くど過ぎました。すいません。


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今日は、秋冬用のスーツを買わなきゃいかんなあということと、万博公園民族学博物館「みんぱく」で、カナダ先住民(最近は「ファースト・ネーションズ」と呼ぶのが普通らしい)の特別展『自然のこえ 命のかたち ― カナダ先住民の生みだす美』が開催されていること、職場近くのジュンク堂で知ったので、行っておこう、と。

久しぶりに来た万博公園は、樹々も少し色づいていていい感じ。あと2週間くらいですっかり秋色のシーズンになりそう。バザーもあり、バーベキューしている家族もあり。途中、いつもなら白鳥の足漕ぎボートが水面をプカプカ浮いている池が、水をすっかり抜かれていて、初めてみる池の底はがっちりとコンクリート造りだったので、当然と言えば当然なのでしたが、これは産まれて初めて観たなあ、と驚いていました。残念ながらデジカメを持っていくのを忘れたのですが。

特別展はカナダ先住民だけではなくて、1Fでは北米全域のファースト・ネーションズの工芸品を展示していた。
2Fにあがると、イヌイットの可愛く美しいリトグラフが多数並びつつ(エントリ右肩の半券のイラストがそのひとつ)、目当てのカナダ先住民のハイダ族、トリンギット族、クワキュウトル族など、ブリティッシュ・コロンビア地方の先住民の伝統文様の美術が並ぶ。

人類学者フランツ・ボアズがその生活と美術と神話の一体感に瞠目し、レヴィ=ストロースが『アスディワル武勲詩』でその神話構造を精緻に分析してみせたのが彼らであり、僕が大学生の頃は「北西海岸インディアン」と一括されていた。とてもわかりやすくいえば、「トーテム・ポール」を建立していたのが彼らです。

キャプテン・クックの航海以降、トーテム・ポールがどんどん高くなっていった、という「ポトラッチ」なお話は、個人的な大好きなもののひとつです。


動物文様として最高のレベルにまで洗練させた美術を、この地方の人々は持っている。それも、わずか数種類の形態要素を組み合わせ、動物の身体を「分割表現」という造形論理に沿って展開しながら(文字通り「開く」のである。これは狩猟漁獲生活のなかで、培われた動物へのアナトミカルな視点がベースになっているのでしょう)、「ずらし」、「はめ込み」、ジャクスタポジションなど、これでもかとアレンジメントを繰り返して、空間を文様の論理で埋め尽くしていく。いや、空間が、支持体が、文様に合わせてその輪郭を変えてしまうまでやる。トーテム・ポールやトライブ・ハウスだけじゃなく、木箱、毛布、衣服、船、棍棒、釣針、スプーン…生活の隅々にまで、文様動物たちが潜り込んでいた様子が、写真などでも良く伝わってくる。
たとえば、彼らのワタリガラスの仮面には、アンバランスなほどに長大なクチバシがついているけれど、仮面についた紐を、仮面の装着者がひっぱると、嘴は左右と下にバックリと割れて、中に人間の顔を象った仮面が姿を現す。これは、彼らの神話では、あらゆる動物たちが、ふだんは動物の姿をしているが、家に帰ると本体である毛皮や羽毛を脱いで人間が姿を現す、という二重になった「動物人格」の表現になっている。

結構ハードなロック系の人が、この伝統的な文様で猛禽類を象ったタトゥーをしているのを時々眼にする。優雅かつ「魔除け」な感じもあるので気持ちはよくわかる。


大学生のとき、大学の図書館で手にしたビル・ホルム(Bill Holm)の『Northwest Coast Indian Art』という本はとても美しかった。http://www.washington.edu/burkemuseum/bhc/billholm.html

Northwest Coast Indian Art: An Analysis of Form (Thomas Burke Memorial Washington State M)

Northwest Coast Indian Art: An Analysis of Form (Thomas Burke Memorial Washington State M)

モノクロのページの中でさえ活き活きとうごめいているような文様のイラストのあらゆる曲線たちだけでなく、文様の要素と文様化のロジックを丹念に描き出してみせる著述が、ビル・ホルムの北西海岸インディアン美術への真摯な傾倒ぶりをわかりやすく伝えてくれる、美術書というよりも、「他者への敬意」の書だと思った。

それでも最近は、西洋美術的なタブローの間隔が沁み込んできているようで、平面を独特な「文様空間」と捉えるのではなくて、平坦な「絵画空間」としてとらえている、つまり、絵語り的な要素が見てとれるものも増えてきているようだった。しかし、これは単に個人的な好みだけれども、文様は文様であるさまが美しい。
中で一点のリトグラフが目を引いた。現代的なアレンジはまったくなくて、伝統的な文様をそのままに忠実に象っている。それでも、その文様は、図と地の絶え間ないせめぎ合いのなかで、蠱惑的な震えがあるよう思えた。
リトグラフの作者は、ビル・リード(Bill Reid)。白人の父とハイダ族の母との間に生まれたビル・リードは有名な彫刻家だった。うなりながら、帰ることにした。
また拝みに来ます。
12月まで、やってます。

Acadie: Goldtop Edition (Dig)

Acadie: Goldtop Edition (Dig)

スーツの方は、桃山台から歩いてAOKIまで行って、店員のお姉さんが、しろどもどろで必死にお勧めしてくれるのに苦笑しながら、2着購入。今年はウールなのか。暖かそうだから、いいな。

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Conditions

Conditions

世界的にブレイクしているオージー・バンドのアルバム。どのへんがレディオヘッドとかなんだか、僕には全然わかりませんが、U2っぽいというのはちょっとだけわかる。でも、カーティス・メイフィールドみたいなVo.はボノよりも体質に合っているかもしれない。Vo.のダギーはタイ?からの移民だそうな。いかにもバンドの音楽を演奏しているのが楽しくてしょうがないという感じのべーシストがいい。
一曲目が好き。

Vo.のルックスは、YouTube見る限り、進化してますからご安心を(そういう問題ではないか)。
アルバム最後の「ドラムソング」っていう曲が、僕には、ジョン・フェイヒーや元CANのダモ鈴木とも一緒にアルバムをつくったことがあるアメリカのポストロック・バンド、「カル・デ・サック」のように聴こえてしょうがない。
Fleet Foxesもそうなんですが、あいかわらずロックはロックなんだとしても、自分たちのやっている音楽が、なによりも先ず、とても好きなんだというのが伝わってくるバンドって、いいなあと思う(浅い感想ですけれども)。
キース・リチャーズは、彼らを聴いても「ロックはいいが、ロールはどうした?」って言うだろか?


Ecim

Ecim

「カル・デ・サック」の1stアルバム『ECIM』(逆綴りのMICE、きっとコラージュのジャケが出来てからつけたアルバムタイトルだろう)は、「グランジの年 The Year Punk Broke」1992年にリリースされたが、冒頭の『Death Kit Train』から、グランジとは異次元のジャーマン・ロックのような疾走感が妄想を掻き立てた。 他にも『ニコの夢』というタイトルの曲だとか、ティム・バックリーの『Song to Siren』をやってもいる。
"There's a group called Cul de Sac -- very ambient, very cool." -- LOU REED