ジョン・ケージ『44のハーモニー』
今に始まったことではないのだろうが(80年代が特殊すぎた)、ジョン・ケージは一般的な「趣味」としてはどうしても受け入れがたいものがあるようだ。代表的に思えるのが、菊地成孔氏が「200CD 菊地成孔セレクション―ロックとフォークのない20世紀 (学研200音楽書シリーズ)」でコメントした「ケージ不感症」宣言で、これは実は自分自身そうずっと感じつつも、「反芸術」だからコレでいいんだよ!と無理やり封じ込めてきた経験もあるので、割と多くの「特殊な音楽好き」のリスナーが感じている潜在的な意見なのではないかと思う。「踏み絵」として機能してしまうケージという意味で。
しかし今になって弁護するわけではないが(するんですけど)、ケージの音楽は美学的に空虚では全くないと最近思うようになった。逆に何とも言えないおぼつかない時間感覚で満たされているといっていいし、親しみ易いメロディーは無いにしても、その「親しみ易い」の鍵括弧外の音への情感が、短過ぎるとばかりに凝集してさえいるのだと思う。*1
それはケージが他の作曲家の作品を下敷きにした時、非常にわかりやすく浮き上がってくるのではないかと思え、その種の作品で手に入り易いと思われるものを2つ挙げるとすれば、一つは、割と有名なエリック・サティの交響詩「ソクラテス」を易経の手法で脱臼させた①「チープ・イミテーション」(1969年)になり*2、もうひとつは、アメリカの古い賛美歌を集めてケージ流に「断片的」に仕立て直した②「From Apartment House 1776」(1976年)になるのである、その二曲ともが、本CDにアルディッティ・カルテットの演奏*3によって収録されているのである。さらに蛇足的に付け加えると、本CD収録の②は、連作である「From Apartment House 1776」の一部である「44 Harmonies」であり、このCD以前には、ステファン・フッソングとマイク・スヴォボダが、ハーモニーの中からの十数曲とフレスコバルディの曲を混ぜて、アコーディオンとトロンボーンという70年代以降のケージの美学にぴったりな取り合わせで演奏した「Obras De John Cage」があったが、全44のハーモニーが見事にまとめて録音された形は初なのではないかとも思われる。
ここで2CDというボリュームを敬遠してしまっては、全く損をすることになる。先ほど書いたように、いったん嵌まると無性に居心地の良い種類の「退屈さ」が、風呂あがりの貴方をニュートラルにしてくれるだろうし、これは、物語の「欄外」にいつでも記述可能な感性なのだ。Disc2「Cheap Imitation」の22track目の最後の数分、ヴァイオリンでまるで気の抜けるソプラノサックスみたいな音を出すのが、すごい。
*1:もちろんそれはナム・ジュン・パイクが、ケージの中の「退屈さのモメント」と形容したもので、美術では「コラージュ」に接続し、もう一つには「逆説のモメント」があり、これは「マルセル・デュシャン」に接続する。
*2:サティの原曲「ソクラテス」と「チープ・イミテーション」をご丁寧にカップリングしたCD「Socrate / Cheap Imitation」もWERGOの定番だった(もちろん今でも入手できますが)。
*3:Cheap Imitationはアルディッティのソロ