みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

苅部 直 『安倍公房の都市』、安倍公房『方舟さくら丸』、矢部史郎『3.12の思想』

苅部 直 『安倍公房の都市』

安部公房の都市

安部公房の都市

昨年の『安倍公房伝』等の資料の充実を受けてか、安倍公房のあまり陽があたらなかった中期の作品を軸に、通底しつつ変容していく作家の都市的感性を抽出した良書。
冒頭からページを割かれているのは、「笑う月」続いて「燃えつきた地図」そして「榎本武揚」「第四間氷期」。
作家が幼い頃畏怖と憧憬の想いを抱いた満州奉天の巨大なゴミ捨て場と化した沼。そこから誰のものでもない都会の死角であるごみ捨て場、通底する作家のなかのダイヤグラムを描きだしている。
安倍公房の都市とは、「都市性」であり、それは穴ぼこを生まずにいられないような、あたかも穴ぼこを中心として派生するような宙吊りの関係性だったのではないかとも思う。

安倍 公房 『方舟さくら丸』

方舟さくら丸 (新潮文庫)

方舟さくら丸 (新潮文庫)

この本を読んでから今まで手をつけていなかった『方舟さくら丸』を読んだ。これまで何度も2ページ目以降読み進みがたい原因不明の抵抗を感じてきたのだけれど、今回は進むことができた。
物語の語り手が語り手でなくなる(資格を失くす)までの話、と書いてしまうと乱暴かもしれないが、採掘が止められ打ち捨てられた地下の巨大な石切場を核の終末に備えた「方舟」とする主人公「モグラ」の見立てが何の障害もなく登場人物に波及していくところに安倍公房の魔術的な語りがある。
前述の苅部直『安倍公房の都市』で指摘される公房独特の都市空間性―ゴミ捨て場に表象されるような穴ぼこ・死角―は、この方舟の中でもしっかりと仕掛けられていて、始めはそれはまさにゴミ捨て場の中のスクラップ車から穿たれた方舟への入口かと思っていたら、底知れない不気味さを物語の最後まで発揮する「便器」が真打なのだった。しかしこの「便器」は方舟の密閉されたユートピア性とでもいえそうなものまで暗渠に向けて勢い良く排出しかねない凶暴さも備えているから、公房の都市は方舟においてかなりヴァージョンアップされたのかもしれない。
読み終えて、物語の中の時間はたった2日間ほどでしかなかったことに驚く。そして「核」というのも今現在読むと本書が執筆された時代よりさらに剥き出しになったというか、拡散した危機感になってもいると思う。現在色々と素材を入れ替えてみても成立しそうな物語だ。タイトルに含まれる「さくら丸」は、もしかして・まさかと思わせながら、読了して後やっと読者の頭の中で意味を形成し始める。口の中で永遠に溶けない氷のような作品。

矢部史郎『3.12の思想』

3・12の思想

3・12の思想

著者は昨年から東京を放棄して名古屋に住まいを移している。
その事に対する考えも著者の中でははっきりとしている。冒頭から切れ味がいいので頭の整理になること多々。
東電放射能漏洩災害事件を地震津波という自然災害に収斂させ人間を見えなくさせる「3.11」という記号を、検討し追求し続け腑分けするための「3.12」というマーカー。
大阪で、ガタリの紹介者として著名な杉村昌昭氏を聞き手として語られた内容を書き起こしたもの、との事だが、ガタリの『三つのエコロジー』は本書の内容においては何度も立ち返っていく参照点になっているから聞き手が杉村昌昭氏であるのも頷ける。
著者は、3.12以降の最大の問題が、首都圏自身が被災地であることを認めることができないための、政治と社会自身による、あらゆる要素の不可視化であると看過している。日本は、不可視化をめぐる内戦のとば口にいるのだといえる。この不可視に抗し問題を鮮明にし続けて『三つのエコロジー』を立ち上げていくためにこそ「3.12」という区切りが必要である、と自分には読めた。

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

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うおっ!Sprawlの10分をとりあえず体験してからその後のJose Gonzalezへの転換が感動的。SYの轟音の中の静けさとJose Gonzalezの静けさの中の激しさ。15分あたりのJose Gonzalezからのバトンを渡されたときのリーたちSYの嬉しそうな顔!疾走するHey,JONI。