みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

年明けから数日

寝床にとどく凍えで目を覚まし玄関から出たら、案の定世界は白だった(写真なし)。

昨日4日は仕事はじめだった。といっても代理店はまだお休みのところが多いので入電は普段の3分の1。暇な時間を利用して新年早々チームミーティングをして、こちらの部署でも案内が始まる新しい商品の説明をしていたら、メンバーから、代理店が計上するときの事務処理のフォローの仕方はこの場合どういうべきか、などいろいろと厳しくも熱心なつっこみをいただいて、新年早々宿題をいただく。こういうメンバーに助けられて僕の仕事が成り立っているわけです。


昨夜、3日にIさんSさんIくんとスタジオ入りした時の2時間のセッション(?)の録音を聴いた。まあ自分の部分は酷い(予想通りなので落ち込みませんが)…ギターの人三本は結構おもしろく聴けてしまった。トゥルーマンズ・ウォーターmeetsノー・ネック・ブルース・バンド(わかんないよね)…いや…。さすがにバンドをやっていた人たちや音楽活動している人だなと。こちらは単に大きな音が出せて嬉しいだけのおサルでした。後半の30分、Iさんが隙間多めでやりましょうと言ってからの演奏がなかなか聴き返しているとおもしろかった(自分で書いてりゃ世話ないですが)。
二時間のあいだ、他の三人の演奏も耳に入っていたはずなのですが、こうして聴いてみるとそれぞれおもしろいことをしていたのだった。何にも聴けてなかった。
数年前からこのブログでやるやると書きつつ、音を溜めるばかりで一向に動かせていないケージの『枝々(Branches)』(もしくは『樹の子供(Child of Trees)』)も、スタジオでやってみたらおもしろいかも、と思いました。このままだと多分PC上でミックスするだけになってしまう…。

Trees Outside the Academy

Trees Outside the Academy

昨夜、上記の2時間の音声ファイルをDLする間に、久々にこのアルバムを聴いてみたら、やはり、この人の歌心の詰まった傑作だなと思う。BECKがプロデュースした直近のソロよりも断然にこちらが味わい深いと個人的には思う。サーストンの歌心の最初の爆発が聴けるのは、ソニック・ユースのセカンド『Confusion is Sex』のなかの『She's in The BadMood』で、だったと思う(つい最近、このブログを自分で読み返していたら、同じ表現をしているエントリーがあった。成長というのはないらしいです)。そこから一直線ではないけれども途切れずにこのアルバムまで突き抜けてくるものがある。音の質感が、90年代後半にグレアム・コクソンが発表していたロウなソロアルバムに近くてそれも似つかわしい。
The Sky Is Too High

The Sky Is Too High

Folio & Four Systems

Folio & Four Systems

監修の現代音楽シリーズが昨年も充実していたアール・ブラウン。数年前にTZADIKから出ていた「Folio」と「Four Systems」のMerzbowも演奏に参加したアルバムを聴きなおすとかなり良い。
同時に、
Various: Music for Merce

Various: Music for Merce

  • アーティスト: John Cage,David Tudor,Takehisa Kosugi,Maryanne Amacher,David Behrman,Earle Brown,Stuart Dempster,Morton Feldman,Jon Gibson,Toshi Ichiyanagi,John King,Annea Lockwood,Gordon Mumma,Bo Nilsson,Pauline Oliveros,Michael Pugliese,yasunao Tone,Christian Wolff
  • 出版社/メーカー: New World Records
  • 発売日: 2010/12/14
  • メディア: CD
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こちらや
Burdocks

Burdocks

こちらも聴き返す。
マース・カニングハムのための音楽のボックスは、かなりの時代に渡るいろんな作曲家による舞踏団のため音楽が納められているのだけれど、個人的にはDiSC1が一番嵌まっている。
このジャンルで自分の好きな楽曲・演奏というのはかなり的が絞れていて、具体的には上のクリスチャン・ウォルフの『Burdocks』に収められた演奏のように、各楽器の出音の隙間が割とたくさんあって、どの部分も何かに従属していないようなもの。
このあたり、また集中的にぶり返しているのは、年末に読んだこの本のせい。
とくに、ロバート・アシュリーなどとデトロイトONCE Festivalを運営していたロジャー・レイノルズとの二つの対話「沈黙の思想」10数年後の「沈黙の思想その後」が読み応えのある内容。
第一の対話は丁度、ケージの主著『沈黙(サイレンス)』が出版された直後でその内容についての話が重点が置かれている。
サイレンス

サイレンス

この時期のケージの美学が割と厳しい側面も強調されて語られ・共有されている。次の二つ目の対話は、前回からかなりの時間を空けて、前回の対談内容を振り返りながらされたもので、この間のケージ自身の変化がわかりやすく語られている印象。
その中にケージが徹底的に嫌っていた「即興」についての部分的な態度変更が含まれていて、ある時間枠をチャンス・オペレーションで設定しておいて、その中での「即興」を許容するというのが、たとえばこの二つ目の対話の場がもたれた1年ほど前に書かれた作品『樹の子供(Child of Trees)』であり、ホラ貝を使った『入江(Inlets)』だという話。
ただし、ケージの言う(許容する)「即興」というのは、たとえばフリージャズの場合のような、楽器演奏に精通したミュージシャンによるものではなく、あくまで「はじめてその音の鳴るものに触れるかのように」音が出される事を前提としている。