みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

5月5日のライブのこと。4月末から5月までのこと。

 自分には特別に(特別な)音楽が好きだとムリヤリに思ってきたフシがあり、5月5日にはじめてライブを企画するようなことをしたら、肩のチカラも抜けてくれたようで、よい演奏を聴いたら素直に反応して興奮できればよい、それは今までもそうだったと思うしそれで充分だろうと、なんだか楽になったのでした。

 それも「やるぞ」と特別な決心をしてのことではなく、偶然にもそういうことを思いつけるような周囲のひとたちに出会えたからで、音楽好きのひきこもりだったのが、単なる音楽好きになれたという解放感が、若干ある。

 ライブの会場をおさえたのは1月の末で、それもライブとはまったく異なる目的からだったけれど、事情が変わってキャンセルする話になりかけた。しかし、せっかく5月のGWのいい時節にアメリカ村のビルの屋上を一日おさえてあるのだから、何かしない手はないと思い、それなら、昨年から自分が嵌ってしまっているチューバ奏者の高岡さんになんとかライブをやってもらえないかと思った。ここまではたぶん自然ななりゆきだ。
 奇跡だと思えたのは、KさんとIさんを通して高岡さんに話をしてもらったら、船戸さん・登さんとの「Plays Standard」トリオで出演していただけることになったことだった。そして当日、多くの友達やお客さんが観に来てくれたこと。

 たぶん、2月くらいにはミュージシャン側の了解がとれていたと思う。そして、3月11日があって、思考停止の数週間のあと、これは当然自粛なのかなと思った。しかし5月まではまだ時間があったし(スワンズが来日をキャンセルしたことに腹が立ったことと、楽しみにしていたNON BANDがテレグラフのイベントをキャンセルしたことが残念、しかしはこれは当然と感ずるという事もあったりして)、ここで自分が自粛したら、せっかく予定してくれたミュージシャンにも「被災」させてしまうなどと一瞬気負ってしまったけれど、じつはそれは居心地悪かった。
 率直にいって、自分はただ、あのビル屋上のスペースで、皆とリアルなジャズのライブが観たい/聴きたかっただけなのだ。

 で、以下はその感慨にいたる日録(笑)。

4月16日
 午前中は、たしか天満宮で日本酒祭りだった。
 主に東北の酒蔵が集まってお酒と料理。飲み食いに支払うお金が被災地に直結するのが目の前で確認できるのは好いことだし、それ以上にどの出店のお酒も食べ物もおいしかった。
 そのあと心斎橋のafuに行って、Iさんと5月5日のための音出しチェック、afuでは午前の日本酒祭りではじめて出会った人たちも休んでいた。いい天気だがこの日は午後から肌寒くなってきた。
 その後、Iさんと阿倍野ロック食堂に「ふちがみとふなと」を観に行く。「春一番」で配ってもらえるとのことで5月5日用のフライヤーをサイズをB5にして刷り足すことに。


4月22日(金)
 発注していた両面クロ1色刷のフライヤーの発送先を難波の職場に変えてもらい、受け取り。そのまま退社してからIさんに数百部お渡しし、自分もフライヤーを持ってコモンカフェに置いてもらいに(A4のものがまだ残っていたが)。
 自分がかつて印刷会社で働いていたこともあって、今回使った滋賀県の業者のWEBデータ入稿の手軽さには本当に驚いた。自分が兵庫県の会社で働いていたころはデータ入稿といっても外部メディアで送付してもらっていたことを思い出した。使っていたOSはMacだった。


4月23日(土
 京都一条寺で会食。フライヤーを配る。そのまま大阪梅田まで取って返してムジカ・ジャポニカで夜中まで呑み。翌朝定期をムジカに忘れてきてしまったことをツイッターで知らされて慌てる。
 この週。ECDの本を読んで、日本のラップ、もちょっとちゃんと聴こう、と思い立ちK2レコードでECDや「キミドリ」「スチャダラパー」「ブルーハーブ」「ライムスター」「SHINGO★西成」なぞを馬鹿レンタルして聴き直す。


4月24日(日)
 夕方、I佐さんと動物園前で待ち合わせて「田中屋」へ。
 数年前、メールでしかやりとりしていなかったI佐さんと初めてお会いしたのも「田中屋」だった。ここで、この店が「渚にて」のライナーでT坂口さんが触れておられた「田中屋」だ、ということを教えてもらい、よく飲みよく話し、そしてそのまま今はないブリッジまでライブを観に行ったのだった。「田中屋」はとてもいいお店、でも僕にはまだ敷居が高い、という気持ちがあったりもする。
 この日はそのまま堀江まで歩いて「futuro」で高岡大祐(チューバ)+ワタンベ(ドラム)+田中邦和(サックス)のライブ。田中さんの大阪ツアーに「ボイラーズ」が相まみえた形。高岡さんに5日のフライヤーを預けさせていただく。あとからきいた話では、次の日25日(月)にやった十三・宝湯でのライブは、プレイズ・スタンダードのトリオ+田中邦和さんの組み合わせで、脱衣所が共振するものすごい演奏だったらしい。


4月26日(火)
 ムジカに置き忘れた定期をやっと引き取りにいく。ついでに生ビールを一杯。飲み屋としてのムジカも、良い。



4月29日
 東北関東大震災復興支援・阪神淡路大震災復興支援 チャリティ・コンサート@芦屋山村サロン。2年ほど休まれていたT坂口さんの主宰するイベントが今年再開。芦屋の山村サロンにははじめて行った。
 会場ではMさんが物販のお手伝いをしていた。はじめからそういう話しではなくて、お客として行ったら急遽お願いされたのだそう。カセットテープやCDを購入。サロンのオーナー山村氏より、あいさつがあり、今般の震災と人災である福島原発についてのお話があった。

  1. 炭鎌悠  http://www.myspace.com/sumikamaharuka
  2. VETLZ http://www.vlzprodukt.com/
  3. 石上和也 http://www.jcdn.org/music/ishigamikazuya.htm
  4. 穂高亜希子 http://fmn.main.jp/wp/?p=2811

 初めて観る/聴くひとたちばかりだったけれどどなたにも鮮明な印象を持った。それぞれまったく異なる音楽性とはいえ硬質な質感のエレクトロだった炭鎌・VELTZ・石上三者のあとにステージに立った穂高さんの歌は、3.11からこの日までのあいだに様々な葛藤があったことを隠さず、「自分のためにしか歌えないのかもしれない」というそのひとことのなかに凝縮して聴く者に向かって開かれているものだった。
 art into life経由で知って興味をもっていた東京のVETLZを今回神戸で初めて観れたのも大きな収穫。以前このブログにも書いた変速のできるカセットプレーヤーを複数台使用しての演奏で、それにも静かなおどろきがあったのだけれど、それよりもじわじわとカオスになっていき最後のほうのメタリックな音が、こんな言葉を使うべきではないかもしれないけれどほとんどソウルフルに(もちろんいわゆる「ソウルミュージック」のように、ではない)聴こえてきたのには驚いた。小難しい音楽などではない、即時的な極めて訴求力があり、かつ音じたいの思弁に委ねられたような演奏。

 このあと、三宮に出てホルモン屋さんで、OさんとGさん、それとRさんに合流。この場で5月末に四国に讃岐うどんを食べに行く話が出た。最後は十三でつけ麺。


 あっという間にGWである。今年は3.11もあって会社は震災対応に追われていることもあり、カレンダー通り。


4月30日(土)
 服部緑地公園で恒例の「春一番」初日。ふちがみとふなと
「春一」用にB5サイズの1C/1Cフライヤーを2000枚ほど前回の印刷屋さんに発注していたが、今年の「春一」は、あべさんが急逝されたこともあって運営方針が変わったのだそうで、来場者ひとりひとりにフライヤーをセットしてビニール袋でお渡しすることがなくなったのだそう。
400部くらい会場外のフライヤーコーナーに置けることは置ける、ということでそれだけおねがいする事に。しかし、これでかなりフライヤー余ってしまうことが決定。
 フライヤーを大量に撒ける機会は失ったけれど、会場は不要なフライヤーのごみ捨てが無くなってそのぶんキレイになるし、それでいいのかな、とも思う。

 桜川唯丸一座。お客はステージ前でぐるぐる回りながら踊る。そのなかに昨年も一昨年もみた顔ぶれがあった。それにつけても河内音頭って難しい、かろうじて拍子のタイミングを合わせているだけで、ちっともうまくならない。
 テレビでしかしらなかった「ナオユキ」さんのスタンダップコメディ。このひとはやっぱりおもしろい。小谷美紗子。トリは夕凪。出演者はみな、あべさんに曲を捧げていた。
 このあたりで近所のスーパーで5日にafuで出すビールなどの酒類を調達。釣銭用の両替など、最後の準備。直前になって5日の予約メールがポロポロと入ってくる。テンションあがってくる。


5月3日(火)
 春一番。開演の11時を10分ほど遅れて入場したら、いちばんの目当てだった「東京ローカルホンク」がもう最後の曲を演奏していた。短すぎる!ペーソス、AZUMI、NIMAさんの踊りに寄り添いながらも20分以上ソロを吹きまくった坂田明さんなどの演奏に救われつつも、この日は黄砂が酷くて少し気が滅入り、最後の友部さんを観ることなく帰る。
 最寄り駅の北急緑地公園駅の近くには小さなたくさんの風車が、陽光を跳ねかえして回転していた。それを僕だけではなくていろんなひとが見ていた。

その光景は心が和むものだった。


5月4日春一番
 この日は天気もよく、最高の春一日和だった。お客も一番多かった(最終日を知らないのですが)。
 この日の目当てはとうぜん、坂田明(Sax)×Jim O’Rourke(g)×高岡大祐(チューバ)×山本達久(dr)。壮絶かつ爽快。春一番からフリージャズがなくなることは想像できない(個人的には)。


5月5日
 GW連休最後の日・ライブ当日。一番心配していた天気が晴れた!これでほぼ60%は成功の気分。あとはお客の入り。
 朝から酒類の車に積んで心斎橋に搬入。Iさんも車でDJ用機材レコード類の搬入。そのまま車で家が引き返して、午後一番に電車で会場まで。
 すぐにafu内のセッティングにかかる。そうしていると、高岡さんが、あらかじめ決めてあったタイムテーブルの時刻通りに来られた。船戸さん、登さんもぼちぼち会場入りしてそのままリハーサル。どうもサン・ラの「Space is The Place」を演る様子。レパートリーになってきている「Lonely Woman」や「ラジオのように」でも、このトリオは毎回前々違う演奏をしてくれる。これは・・・どうなるのか期待値がいやがおうにも盛り上がる。

 リハ中のトリオ。なんだろう、この三人がそろったときに感じるかっこよさは。 
 開場の15時半を過ぎると、お客さんもそろそろ来はじめる。僕は受付でモギリ役。ここから演奏開始の16時半まではIさんのDJプレイ。最終的にお客さんは34人のご来場。正直いって予想を10人くらい上回っていた。
 そして、演奏開始。定番になる気配のあった「ラジオのように」では始まらなかった。演奏が始まると同時に、テラスに日射しをよける屋根を張っただけでほぼ屋外の空間で、このトリオの発する音がこもらずに出たソバから散逸していく…その吹き抜け具合がとても似つかわしく清々しかった(手前味噌過ぎますけれども…)。
 一部最後の曲は「ラジオのように」。はじめ高岡さんのチューバのベースラインから始まって、船戸さんはコントラバスから手を離して座って休んでいた(!)ので、「ラジオのように」であるとは気付かなかった。
 特別な演奏だった、というのは何もこの日のライブを自分が企画したからだけではないはず。
 後半第二部では、はじめ外の街路で、パチンコ屋の電気を消せだとかそういうデモの音が次第に五月蠅くなってきていた。でも、トリオはそれに音圧で抗することをせずに、静かに「Song for Che」をやりはじめて、音楽のちからのなかにお客さんを引っ張っていった。そして外のデモの音はノイズからサラウンドになっていってしまった。これには忘れがちな何かを確かめさせてもらったような気がしました。
 ライブ後はIさんによるDJタイムで皆さんご歓談。何もかも片したら11時過ぎていて、これはもう箕面まで帰って翌朝難波に出勤というは不可能と判断。アメリカ村のカプセルホテルに宿泊してそのまま朝出勤。さすがに一日フラフラだった。

 ライブのあと、会場を後にする船戸さんのアンプを持ってビル下までお付き合いした。
 去っていく船戸さんはもう振りかえったりしなかったのだったが、船戸さんの後ろ姿を見ながら、なんだか急に、はじめてライブを企画したことがじわじわっと胸につかえてきてしまった。

  演者さんたちも会場のafuに良い印象を持っていただけた様子だったし、できればまた、やりたい、でも今はちょっとのあいだ噛みしめていたい。
 Iさんのお知り合いのYさんに演奏中の映像を撮っていただけました。公開される予定もあるようで楽しみです。


5月7日(土)
 丹波橋まで。5日イベントでバーで協力していただいたHさんは昨年から丹波橋の古民家に居を移していて、いろいろと改装しておられるので、そのお手伝い。壁パテ。天井にステイン塗り。白ペンキ塗り。実は昨年末にもお手伝いしていて二回目。


5月8日(日)
 丹波橋に他の皆さんと一緒に泊めていただき、京都市立近代美術館の「クレー展」。コラージュを日本ではじめて美術史の支流ではなく本筋として論じた著書『切断の時代』の著者 河本真理氏もキュレーションに加わったクレー展は、これまでにない、クレーの創作過程に焦点を当てたものだった。

切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史

切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史

 クレーがアトリエで自分の作品をみていたように観客に見せるというか。いったん完成したような作品でも、クレーは飽くことなく切断し、配置を替えたり、切り貼りして色面や構図としての強さを求めていく。
 この展覧会をみてから雑誌「ユリイカ」のクレーの特集号も読んだのだけれど、そこで河本真理さんは、クレーの技法としてのコラージュは、「断面」や「異和」のショックを求めてイーゼルを飛び出し異なる素材を求めていく原動力になったコラージュ原理ではなく、あくまで矩形の平面作品の内部に向かって解消していくタイプのコラージュであった、というようなことが書いてあり、なるほどなあと感心した。
ユリイカ2011年4月号 特集=パウル・クレー 造形思考のコンステレーション

ユリイカ2011年4月号 特集=パウル・クレー 造形思考のコンステレーション



5月12日(木
 仕事のあと、中崎町モンカフェで、Hacoさん×Ytamoさん、今西玲子さん×児嶋佐織さんの2デュオ+4人セッションのライブ。最初の今西さんの箏と  児嶋佐織さんのテルミンのデュオ、この二つの楽器がとても合うことにおどろく。テルミンで聴く「蘇州夜曲」に涙腺をやられてしまった。
 会場にはなんとあの「モーマス」が英「WIRE」誌の取材ということで来ていた!思わず「俺の背後にモーマスが座っている!」とツイート(新世界にお住まいなのか?)。




5月14日(土)
 afuで、Hさんのバー。Iさん達とささやかな5日の打ち上げ。ようやく「5日」が終わったという気持ちに。ご協力いただいたひとたちのおかげで、いいライブになったと思う。後半にKさん合流。天婦羅屋「若松」で解散。
Iさんは、高岡さんがサム・ベネットさんと組んでいるバンド「Smoke Benders」の金沢ツアーに車で出かけるつもりとのことだった。うらやましい。


 どうです、この「IKOIKO」。最高ですね。
 日々はつづく。音楽もつづく。 いや、つづけられなければね。