『管々楽々〜かんかんがくがく』:山内桂+藤田陽介@中崎町コモンカフェ、回想の蝶番:『笑いながら泣きやがれ』,小沼丹『埴輪の馬』、Z'EV『as/if/when』
昨日11月末日の30日は、退社後に地下鉄を乗り継いで難波から中崎町まで(また、この書き出しだ)。
コモンカフェではじめて山内桂さんのSalmo Saxを聴ける。Salmo Saxは、山内桂さんの音楽に与えられた独自の呼称。
共演の藤田陽介さんのソロ、山内桂さんのソロ、そしてお二人のセッションという段取り。
藤田さんのパフォーマンスは、自作パイプオルガン「11's Moon Organ」を使ったもの。こちらのサイトにこの自作楽器の写真がのっています。
手押しで「ふいご」に空気を送り込む、柔らかいガスコンカスコンという音の繰り返しが、はじめ演奏の前景にあって、やがて送り込まれた空気が次第に箱の上部に取り付けられた11本の金属筒を振動させて、魅惑的なドローンが聴こえはじめる。さきほどの手押しのカスコンカスコンが心地よいリズムにもなっていて、耳は、藤田さんが巧みにコントロールするパイプから出るドローンとのあいだを行き来して夢見心地になっていく。
山内桂さんのパフォーマンスは、奏法、というよりサックスという「もの」へのとらえ方が異なっていると思った。
サックスを吹くということ、折れ曲がった金属の管に息を吹き込み続ける、ということ。そこから始める演奏者は、たぶん少なからず即興音楽のなかに存在するとは思うのだけれど、山内さんの音楽は、単に還元主義的なものではない、とも思った。
金属の細かな震動がやがて共鳴し合って、ハウリングを起こし、おそらくは演奏者にも不随意な部分があるドローンが発生する。呼吸を吹きこむ音とそのドローンが併走して聴こえるなかに、キーを指でタカタカする音までがメロディックに響く。
サックスを楽器から管と捉え直してから、それでもやはり、より身体に近い存在として「楽器」へと引き寄せられているようにも。
山内さん・藤田さんのセッションは、ふたつのドローンがつかず離れず空間を満たしていく長いひとつの即興演奏でした。
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あまり期待せずにTSUTAYAで借りたサスペンスでしたが、秀逸。
主人公のスタンダップ・コメディアンが、明らかに酷く殴打されたものとわかる顔でステージに立つところから物語が始まる。
ちなみに、始まると書いたのは「物語」がはじまるということであって、「映画」自体は、主人公のジョーイが、浜辺でボトルを空けながらネタ出しに苦しんでいるところから始まっている。この冒頭でジョーイが出すネタの下劣さは意図して誰もが眉をひそめてしまう類のものになっていて、それは笑い本来の下品さと強さを最後には示してくれるものになる(のだけれど、それは見終わってからの感想です)。
話は変わるが、大抵の「物(もの)語(かたり)」というのは、過去を振り返り語ることにある。「いづれの御時にか、女御・更衣あまた候ひ給ひける中に」も、「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた 」も極々乱暴を承知で纏めてみれば「むかしむかしあるところに」とおなじことであり、ほとんどの人称は「回想」という「構え」がなければ、物語を重層化することが出来ないし、推進力を得ることも難しくなる。
映画の主人公ジョーイがステージで披露する「語り」も、どうやら彼のキャリアにとって重要なこの場にたどり着くまでの数日間に彼の身に何があったのか、何故自分は頭に殴られた傷があるのか?それを彼のならいとしての「ネタ」として、二重の観衆(劇中と視聴者)にむけて開陳し始めること、にある。曰く、12歳で士官学校に放火して逃げ出した。曰く、ひとを笑わせることを覚えたのは士官学校で生き延びるため・カマを掘らせないためだ。単なる噺の枕と思わせるものが、映画の最後には抜き差しならない物語自体の枕でもあったことに、映画の中の観衆と映画を見ている観衆(ぼくやあなた)に同時に示されて、映画は終わるが、ジョーイの酷いネタが、その後、上品なものに変わるとも思えないところが実に好ましい。
ただ、ジョーイはどんなことも「ネタ」に変えて、ひとを笑わせていくだろうこと、それが彼の生成変化そのものだということが確かな印象として残ってくれる。
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「回想」というものが何事かを語るときの非常に有効な手段だ、というのは認識としては浅い方なのかもしれない。ときには回想することこそが語りになる。
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冒頭の『煙』など、短い頁数のなかに、少なくとも2回の回想が織り込まれている。ここでも、上記の映画『笑いながら泣きやがれ』でのジョーイのコメディのネタと同じように、回想される過去の断片や細部、そして回想が生起するタイミングそのものについても、ほんとうに作家が原稿を書いているうちに想起しているのか、それともこれの細部を語るために、想起されるエクリチュールが用意されているのか、そういった事共の真贋について、読者が確かなものを持てるわけでは決してない。しかし、「語り」は実に精妙に、回想を蝶番として進んでいくのかもしれない。
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どのライブも聴いてるうちに野生が目覚めてしまったかのような客の絶叫が聴こえてくるのが乙。
ありがとうSubRosa。
Mother Tongueのアルバム『Open In Obscurity 』の音源はここから落とせる。
http://theebradmiller.blogspot.com/2008/06/mother-tongue-open-in-obscurity-1988.html