みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

モリス・テッパー『A Singer Named Shotgun Throat』

2008年にいつの間にかリリースされていた4枚目のソロアルバム『Stingray in the Heart(心の鱏?)』が、元キャプテン・ビーフハートのマジック・バンドという面目も躍如する秀作だったので、また当分リリースはないのかな、と思っていたら、ジェフ・モリス・テッパーの5枚目のソロ・アルバムが、ひっそりリリースされていた。

A Singer Named Shotgun Throat

A Singer Named Shotgun Throat

『A Singer Named Shotgun Throat(ショットガン喉という名の歌手)』。ジャケから想像するに、おそらく20世紀初頭のアメリカの架空の人物を軸にした「物語=歌」アルバムとして制作されていたようす。そのせいか、『Stingray in the Heart』やその前の『HeadOff』ほどアヴァンロックはごくごく隠し味程度に抑えられており、そのためかえってオーソドックスにモリス・テッパーの「歌もの」としては統一された作品になったみたいだ。

もともと「元牛心隊長マジックバンドのギタリスト」として最初のソロ『Big Enough to Disappear』が国内で紹介(以後、国内盤なし)されたときから、トム・ウェイツとバーズが引きあいだされつつ、当時のテッパーの趣味だったフリーキーなカーニヴァル音楽の要素も織り混ぜて(このカーニヴァル音楽テイストは、1作目と同時にリリースされたサイド・ユニット『Eggtooth』で使い切ったのか、その後どんどん聴き取れなくなっていくのがかなり残念)D・ヴァン・フリートの抽象ブルース彫刻よりは常人にわかりやすい世界を歌ってきたモリス・テッパーなので、この新作は出るべくして出たもの、と受け取っていいと思う。

冒頭の「Redemtion Runs From Me」ですでに存分にテッパーのヴォーカルが味わえるし、「Pound of Flesh」では一筋縄ではいかない不気味な感覚があり、次の「Indeed」という曲はいままでテッパーが歌ったなかではいちばんオーソドックなバラードだろう(Nick Caveみたい、と書いているレビューがあった)。しかし塩辛い後悔が同時に途轍もなく甘美に感じられる独特の歌いっぷりだ。
90年代から質の安定したアルバムをリリースし続けるロビン・ヒッチコックのような時期に、ひょっとしたらモリス・テッパーも入ってきているのかもしれない、そう思わせてくれる。どの曲にも、楽曲との程良い距離感を感じとれるのだ。制御しつつ存分に奏で、歌っている。

そうはいっても、テッパーの描いた絵などを見ていると、かなり変わった感覚で、色彩や形態と(おそらくは)言語感覚のひとなのだろうなと感じてしまう。ほとんど即興的な筆のストロークから絵具の飛び散りからでも楽々と物語の形象を見い出して定着させることができるのだろう。とくに「queensway」と題されたコラージュの連作は、幾重にも貼り重ねられボロボロに破れた貼り紙と臭気を放つ地下鉄のコンクリート壁を思わせるテクスチャーがちょっと凄いものだと思う。
それに比べて、テッパーの歌はオーソドックスなフォーマットで魅力がでてくるものなのだろう。サウンドもアコギと絡む歌声だけで伸び伸びと「まっとうに傷付いた心」を伝えてくれるものだ。

音楽産業がどんどん斜陽に、なんていうぼやきの類は今では普通に耳にするが、テッパーにはもともとありつける「パイ」すらなかったようにさえ思える。メジャーからリリースされたのはソロ第一作とEggtoothだけだった。それ以降テッパーは主に自身のサイトhttp://www.candlebone.com/でこつこつ作りあげたアルバムを紹介し売ってきた(テッパーの描いた絵も買える(買ったことないけど))。

ここにきてテッパーのアルバムは芯の「歌」に回帰したような印象がある。それも単に円環を閉じたというのではなくて、螺旋階段のように一段上(あるいは深み)に達している気がするのが頼もしい。
ソロ第一作を自分のハートの集大成と語ったテッパーにとっては本作もまたその後の「歌」の集大成といっていいものになることだろう。
「贖いは、俺から逃げ去っちまう。」

もはやジェフ・モリス・テッパーに「元ビーフハートとマジックバンド」という肩書は不要だ。


モリス・テッパーのディスコグラフィ―は以下のようになる。

Big Enough to Disappear

Big Enough to Disappear

人とは少し感じ方が違うばっかりに、まっとうに世間と折り合えない、折あえていないのではないか、そんなジクジクとした青臭い痛みをいつまでも抱えて生きてしまう人間はかならず存在する。モリス・テッパーのソロ第一作は、そんなおのれのねじくれを引受けつつ、その向こう側に身体ごと投げ出そうとしたブルースの集大成だった。痛々しくもほろ苦い佳曲の合間に上記のカーニヴァル風味がビーフハート毒を忍ばせてもみる。下のEggtoothにもいえることだが、2000年前後に中古盤屋にいけば必ず置いてあった。今に至るまで愛聴しているだけにさみしい。

カーニヴァル風味がたんなるやっつけでないことを当時国内同時リリースで証明してみせたのがサイド・ユニットの「Eggtooth」。バンド名をレオ・コッケの曲から採ったのかどうかは知らない。チューバやフィドルバグパイプも登場して架空の主人公「Eggtooth」の冒険を描く、という意味では『A Singer Named Shotgun Throat』と同じく「物語=歌」アルバム。「チキチキ・ブンブン」など、奇妙な言語感覚が横溢した奇妙に懐かしい子供の悪戯書きのような世界に「No One's Mind」や「90Miles on an Hour」「No One's Mind」などのストレートで赤裸々で恥ずかしいくらいの泣きの歌が入るところが今聴いても飽きない。メンバーにはスクリーミング・サイレンズのミイコがいて、塩辛いテッパーのヴォーカルのあとに、嫌味のない華を添えていた。とくにミイコがリードをとる「No One's Mind」の素朴な歌とコーラスはこのアルバムのハイライトであり、いつ聴いても少し胸が痛む。

じつは、テッパーのソロもいつも楽しみにしているが、Eggtoothを再結成してほしいとは、10年来密かに思っていることだったりする。
Moth to Mouth

Moth to Mouth

このアルバム、部屋の棚のどこかにある筈なのだが…見つからない。テッパーのサイトでリリースされたことを知って、当時すぐさま取り寄せた記憶があるが、ちょっと印象が薄い作品だった…と思う。
Head Off

Head Off

テッパーのアルバムの中では一番「やさぐれた」ロックバンド然とした作品のように思える。フォークロック調は鳴りをひそめてここでのテッパーは平凡な怒りに身を任せているように自分には思える。
Stingray in the Heart

Stingray in the Heart

1年振りくらいで聴き直してみたら、かなり作り込まれた良いアルバム、という印象だった。「Wolf King」は、9.11以後「中世化」した世界への途方もない不安にむしろ踊り出してしまうような躁状態を表現している(のだと思う)。



かつての牛心隊長との1ページ。左側で白シャツを着てクネクネしながらギターと格闘しているのが若きの日のテッパー。
Doc at the Radar Station

Doc at the Radar Station

鈍らになることないパンクなエッジを持ったアルバム。レコード屋で裏ジャケにMoris Tepperのクレジットを見つけたとき「これか!」と思った。僕はビーフハートのアルバムを聴き進めるよりも先に、テッパーのソロ一作目に出会っていたのだった。
Ice Cream for Crow

Ice Cream for Crow

始末に困る隊長最期の音楽作品。
Mississippi Fred Mcdowell

Mississippi Fred Mcdowell

マジックバンド時代、新入りのギタリスト(テッパー)は、部屋に缶詰にされて、このミシシッピ・フレッド・マクドウェルの曲を長時間にわたって耳コピするよう強制されたのだ、とテッパーは昔インタビューで述懐していた。