みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

レインコーツ@十三ファンダンゴ

nomrakenta2010-06-18


大目にみて自分がはじめてレインコーツに興味をもったグリール・マーカスの『ロックの新しい波』を読んだ頃(1989−90年)を勘定にいれるとしても20年。

20年ずっと待ち焦がれていたのかといわれればきっと嘘になってしまうのだけれど、こんな日がくるとは思ってもみなかった、というのが正直な気持ち。

大多数の観客は明らかに20代〜30手前の、自分からすれば若いひとたちで、彼らにしてみれば(そして自分も含めて)レインコーツへの想いというのは、カート・コバーンから彼女らへ向けられていた(そして悲痛にも突然断ち切られた)熱いリスペクトが乱反射して転送されてきたようなものだったと思うのだけれど…。

…でも、なんだろうレインコーツが演奏しはじめた時に沸き起こってきた、この幸福な感覚は、きっとファンダンゴ一杯に入った観客みんなが感じていたに違いない、と思う。

一曲目はファーストアルバムからの「No Side to Fall In」だったけれど、そこからレインコーツらしさがつまった奇声コーラスではじまる「No One's Litle Girl」へのわずか数分の流れで、融けて崩れそうであったかいものが胸のなかにせりあがってきて、おもわず歓声をあげていた。
そのあと、数曲挟んでセカンド『Oddyshape』からの「Shouting Out Loud」。結構しんどい歌詞であることはアルバムの歌詞カードで確認でき、曲調だってそんなに明るいものとはいえないのだけれど個人的に一番楽しみしていた曲だったので、ジーナ・バーチの弾くベースラインが聴こえてくると同時に「俺はカートが死んじゃって観れなかった彼女らのライブを観てるんだなあ」という感慨に襲われてしまう。

フロントの女性三人ともがスイッチし合って、ベース、ギターどちらも弾いていた。
後半に機材の故障で、数曲の間アンのヴィオラの音が出なくて、マイクに向けて直接弾く場面もあったけれど、ラストの曲までには復活して、それがまた会場の親近感を増し、盛り上げていた。
デビューアルバムに収録されたキンクスの「LOLA」は、確かに、オリジナルを超えている出来かもしれない。高揚していく感じが止まらない。レインコーツのオリジナルであるかのようにしっくりと聴こえるし、アンコールでもういちど最後に「LOLA」を演ってくれたときは、会場も大合唱だった。僕の真後ろの少年は、全部の歌詞をレインコーツと一緒に歌っていた。

会場の盛り上がりにレインコーツ自身も多少驚いていたようにも見え、ジーナがMCで言っていた「20年も待たせて悪かったわね!でも来年からは毎年来るから!でも、そのためにはチケット買ってねー!」や客の「なんでこんな待たせたの」という質問に「だって誰も呼んでくれなかったから」。「次のアルバムは?」に対して「誰も知らない。あたしたちですら知らない(笑)」といったやりとりからも、素のレインコーツが窺えて微笑ましいのだった。

レインコーツサウンドには、ポストパンクのバンドには共通する特徴かもしれないが、リード楽器というものが存在しない。ベースがかなり曲をひっぱっていくところがあるけれど、これはたぶん当時のレゲエやダブの影響からアブストラクトな方向に開花してきたものであって(曲による)、やっぱりリードというわけではない。ヴィオラもガンガン弾きまくるけれどこれもリードじゃない。アナのギターは普通に弾いているより、引っ掻いている印象のほうが強い。どの楽器も伴奏みたいなのだ。交互にとるヴォーカルがメインかといえばこれも知っての通り、ジーナもアナも朗朗と歌うシンガーじゃない。要するに中心がないのでバラバラになってもいいくらいなのに、レインコーツの場合はそうならずに、バンドの全員の音にゆるやかな焦点が定まっていて、どもったり、つまづいたりする各パートがお互いを信じ合って出されているのが伝わってくる。
終始かんじた幸福感の原因のひとつは、そこにあるような気がする。

あと、最前列で観ている女の子たちがとても幸せそうな顔をしていたのが、なんだかとても良かった(男子だって幸せそうでしたが、もちろん)。

前のエントリーで書いた、最近読んでいる『ポストパンク・ジェネレーション』も当然レインコーツにページを割いていて、その中にいくつかいいなあと思う言葉があった。

僕らはアンチ・ロックだった。ロックはあまりに確かで、あまりに揺るぎないものに感じられた。僕たちはそうじゃない音楽を求めていたんだ。なぜなら僕たちは、強くも確かでも揺るぎなくもなかったから。
――『ポストパンク・ジェネレーション』p.138

これはスクリッティ・ポリッティのグリーンがレインコーツだけではなく当時の「ガチャガチャ壊れている」バンドについていった言葉だそう。
カート・コバーンが再発盤に寄せたという文章も引用されていた。

俺たちはみんな古い家にいっしょにいるんだけど、自分は完全にじっとしてなくちゃならない。そうしないと俺が上で耳をそばだてているのが彼女たちに聴こえちゃうし、もし俺が捕まったら――すべては台無しになってしまう、だってそれは彼女たちのものだから。
――『ポストパンク・ジェネレーション』p.143

今夜レインコーツを観るまでは、アルバムの印象としては全くその通りだと思っていたけれど、彼女らの古い家だか練習場だかは、けっして閉じられていなくて、それはたぶん、1979年からずっと世界に向けて開かれていたんだろう。

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984

ザ・レインコーツ [歌詞/対訳付] [解説付]

ザ・レインコーツ [歌詞/対訳付] [解説付]

オディシェイプ [歌詞/対訳付] [解説付]

オディシェイプ [歌詞/対訳付] [解説付]

The Kitchen Tapes

The Kitchen Tapes

ムーヴィング [歌詞/対訳付] [解説付]

ムーヴィング [歌詞/対訳付] [解説付]