みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

この金色は保存できません。

nomrakenta2010-04-03


そんなメッセージが出てシステムの利用ができなくなったという問い合わせが入ったのでベンダーに調査を依頼すると、どうも変換される画像に含まれる金色の中から引き去られる緑色成分の値が問題らしく、存在しない色彩という認識になるので件のメッセージが表示されるのだそうだ。
なので、その深海魚の絵はご利用いただけないという回答になったが通らず、しかたなく魚を探す旅に出ることになった。しかし砂丘に深海魚がいるはずもなく、砂の女たちの集落があるだけである。

もっと詳細が詰まっていたと思うが、夢から醒めて1時間もすると、上のようなことしか書き起こせなくなっています。



目を休ませるために昼間は寝ながら音楽を聴いていました。
モンポウピアノ曲集と管弦楽集を買ったけれど、管弦楽のほうがあまり記憶に残らず、やはりモンポウ本人によるピアノ曲集の「沈黙の音楽」に耳が吸い寄せられるな、と思った。サティをもっとミニマルにしたような感触があるが、ミニマル・ミュージックとはもちろん違う。

モンポウ:ピアノ曲全集(4枚組)/Mompou: Complete Piano Works

モンポウ:ピアノ曲全集(4枚組)/Mompou: Complete Piano Works

とまどいながらまた紡がれていくこれ以外ではありようがなかったという凄味もある。全然異なることはわかっていながら、グルジェフの小型オルガンでのインプロヴィゼーションに最も近い感じ、と思ったりもする。
Orchestral Works

Orchestral Works

去年買った高橋悠治波多野睦美による「ゆめのよる」にもモンポウが入っていたな、と思ってとりだして聴く。「夢とのたたかい」と興味深く題されたモンポウとジョゼプ・ジャネス(詩)による3部作が冒頭にある。モンポウ、サティ、プーランク、プーランジェなどの「うた」。ただようようでいて息苦しいほど濃密な時間。「3つのジムノベティ」にうたがついていないのは何故か。


うたに導かれて松平敬さんの『モノ=ポリ』をあらためて聴く。

MONO=POLI (モノ=ポリ)

MONO=POLI (モノ=ポリ)

澄みきったバリトン、というのは表現がおかしいのかもしれませんが、冒頭の12,3世紀イギリスの作者不詳の歌から感じるのは、そういった感触。
現代声楽に精力的に取り組んでおられる松平敬さんのブログは以前から拝読させていただいたりしていましたが、本盤は氏のデビューアルバム。
ジェズアルドのマドリガルモーツァルトから、ストラヴィンスキーシェーンベルクリゲティ、べリオにケージ、そしてギャヴィン・ブライヤーズまでの声楽を列挙網羅してしているところにも爽快さがありますが、なによりも、多重録音という言葉に想像しがちな、不自然さはまったくない。
スタジオでの作業を経て構成された歌は、ひとつの<声>になり、共有される<みみ>に放たれている。そういて、声にも耳にも、<単>と<複>が自在に往き来する。たとえば、15曲目リゲティの「ルクス・エテルナ」での美しさは、そういった言葉でしか、自分には記述できない。
<声>に耳を傾けるという、聴くものの根源的な欲求に完全に応えきっていることからくる安心感がある。

今日は桜が奇麗だった。近所の桜坂の、今日がおそらく盛りだろう。