みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

LPを嫌いになる必要なんてなかったんだなあ:USBレコード・プレーヤーで録り込みつつ聴くJimmy Lyons『Other Afternoon』、David Cunninghamの『Grey Scale』

nomrakenta2010-01-11


昨日京都でアナログ盤をウホウホと買い込んできたものの、帰宅後ターンテーブルが動かないという大ズッコケをしてしまいましたが(ベルトが切れていやがったのですよベルトがベルトがベルトが…)、それでベルト買いに行こうと梅田に出る間の電車中、ああベルト単品で置いてないんじゃないかなあ…だとすりゃ新品買わないと、なのかなあそれは嫌だなあとクヨクヨ思うままヨドバシカメラの売り場に入るとその場にクギヅケに。
USBメモリーにデータを放り込めるタイプとUSB接続できるタイプのレコード・プレーヤーが売っていたのです。ご丁寧にも、CD化されていない昔の音源を店頭でUSBメモリーにしてもらっている愛好家の雑誌記事が目の前に貼ってあり、「ううむ!」とパンフを手にとり5分悩むフリ。一万円台である。こりゃ新品買うならこれしかありません。ということで、5分後にこちら↓のカードを手にレジへ。

audio-technica ステレオターンテーブルシステム AT-PL300USB

audio-technica ステレオターンテーブルシステム AT-PL300USB

これは本体に突き刺したメモリーにファイルを放り込むタイプではなくて、単にPCにUSB接続できる、というタイプのもの。RolandのUSBオーディオ・キャプチャーも使っているから、こちらの方が楽しめるんじゃないかと思っての選択でしたが、大成功。

いそいそと帰宅後、レコード・プレーヤーをセッティング、PCにソフトをインスト。どきどきしながら、昨日買ってきた一枚、2002年にGetBackからリイシューされていたBYGの『Jimmy Lyons/Other Afternoons』をPCに録音開始。かなり久し振りに耳にする針が落ちるピチッ音で、モニター上の録音ピークレベルがびくっとなり、フリージャズが疾走していく。次いで左から右へと鋸状の波形が頼もしく伸びていくのを確認しながら至福…と思っていると、いきなり針がブコッ!と跳んで仰天する。そのあと数秒同じところを針が堂々めぐりしている気がして戦慄しましたが、なんのことはない、Jimmy Lyonsのカルテットの演奏があまりに短いパッセージをこれでもかと高速でやるのでまるでリフレインに近い演奏になっていただけだった、と分かって安堵の苦笑。


Jimmy Lyonsは、もしかしたらジャズ・ミュージシャンとしてあんまり有名じゃないかもしれない。でも、フリー・ジャズ、特に、Cecil Taylorが好きな人なら絶対に知っているアルトサックス奏者です。個人的には昔CDで聴いたテイラーの『Live at The Cafe Monmartre』(TranceやCall、Neferteteを含む2枚組でLPでは何枚かに分割されてリリースされていたような気が)での演奏で、テイラーの鬼のような演奏に拮抗する野太い咆哮と喘ぐような歌にテイラーよりもわかりやすいロマンティシズムを感じて名前を憶えました。
ソロ盤はないのかなと思っていたら、たしかForced Exposureでこの盤がGetBackからリイシューされていることを知って、欲しいなあ聴きたいなあと思いはしたのだけれど、この頃は完全にアナログ盤を買うことを止めていたので見送っていたものでした。そのあと、リュック・フェラーリの映画フェスでセシル・テイラーのドキュメンタリーを観て、ロフトのような部屋に、おもむろにカルテットのメンバーが入ってきて演奏しだすシーンがあって、Lyonsのアルトがぶおっと吹かれたとき、ああ、このひとはやっぱり凄いと思ったりもしました。
本盤のパーソネルは、Jimmy Lyons:Alto Sax、Lester Bowie(!!):Trumpet、Alan Silva:Bass、Andrew Cyrille:Drums、という凄い面子になっています。
セシル・テイラーから解放された(という表現はどうなのか)ジミー・ライオンズの真価は、凄いアルト吹き、というシンプルかつ掛け値なしの事実。カルテットの演奏もダイナミックで、カオスが噴き出す時も一瞬で縮小するときも一種のジャズ的快感が充溢してる。アルト、トランペット、ベースにドラムスという編成は、オーネット・コールマン・カルテットのアトランティック時代を彷彿させてくれます(ドン・チェリーは「ポケット」トランペットでしたが)。語弊があるのは承知で「正統派」なフリージャズと自分が感じてしまうのは、そのあたりが原因かもしれません。

Something in Return

Something in Return

Box Set

Box Set

すいません。上添2枚は未聴です。いつか聴きたいですが…。
Unit Structures

Unit Structures

Nefertiti, Beautiful One Has C

Nefertiti, Beautiful One Has C

Trance

Trance

というわけで、ゆうに7年くらいはお預けをくらっていた盤を、PCに取り込みつつ聴くというのは、ああ、こういうツールを待っていたよなあ…という感慨を含み、このうえなく良い気分でした。また、昨夜、Tim Oliveと共演していたBusratchのモウリさんのターンテーブルの演奏と、去年グッゲンハイム邸で観たCarl Stoneさんの三味線とピパの演奏をリアルタイムで取り込みつつPC処理した音響としてフィードバックするやりかたを合わせて考えてみると、複数のターンテーブル奏者が、このUSBレコード・プレーヤーで盤を回しているのを、さらに真ん中のラップトップ担当が音響加工して投げ返す、というパフォーマンスも可能なんだなよなあ、と思ったり。
あ、聴いておもしろいかは別として。

録音終わって、ファイルの保存。まずはプロジェクトとしてオリジナルのデータ形式に保存をしてマーキングなどの編集が可能のようだったが、はじめなので気にせずWMAで保存。MediaPlayerで普通に聴けることを確認してひとまず安心。細かいことは後からだ。保存形式は普通にWAV、MP3、WMAの三つから選択できる。上記の「プロジェクト」として先ず保存しておけば、トラック分けなどの編集をした上でこの三つの形式にいつでも振り分け保存ができるという感じ。ユーザーのニーズを普通に捉えていることにも、ちょっと感動してしまう。レコードの音ってPCを通しても、丸っこく温かい基底があるように聴こえるし、それと同時にデータに出来ていることにこの上なく満足。


このあと、これも昨日のレコード市で手に入れた、David Cunninghamの『Grey Scale』も録り込みつつ聴く。


まずこのアルバムの存在を知ったのは、1990年に「ペヨトル工房」から出ていた『ur(ウル)』というサブカル雑誌の「アンビエント・ミュージック特集」の中で、庄野泰子、竹田賢一、武邑光裕(「テクノ・アンダーグラウンドにおける仮想環境」などという凄い記事)、秋田昌美、白石美雪などの記事の中で、細川周平氏によるデヴィッド・カニンガムへのインタビュー『もうひとつのポップミュージック』という記事が掲載されていたのを読んだからでした。表紙は、大竹伸郎の、船の部分を無数の円形でくりぬいた作品。「アンビエント」の記事が多い中で、このインタビューだけは、David Cunninghamのキャリアを網羅するような内容になっていて、興味深かった憶えがあります。David Cunninghamについて説明しておくと、現代音楽畑の出身で、段ボール箱をドラム音としてつかった「マネー」で「フライング・リザーズ」として話題になった人。
ところがこのインタビューでは、冒頭からいきなり「マネー」のドラムは段ボール箱ではないことが明かされてしまう。

DC―それは完全な失敗だったんだ。皆、「マネー」のドラムがボール箱だと思ったからね。
細川―私もそう思いました。
DC―違うんだ。あれはディス・ヒートのチャールズ・ヘイワードから借りたスネア・ドラム。コンクリートの壁の大きなガランとした部屋で録音したんで、マイクが届かなかったんだ。テープレコーダーは隣の部屋だったからね。マイクはドラムから12フィート離れていたんだ。それで、ボール箱が「サマータイム・ブルース」のトラックに使われたんだ。はるかに原始的だね。
――『もうひとつのポップミュージック』デヴィット・カニンガム×細川周平:「ur」4号:1990年12月ペヨトル工房


たしかに段ボール箱は叩いていない(笑)。

こっちはライブじゃありません。リザーズとは多分まったく関係のない素人が作ったクリップみたいですが、キュートでチープな感じは音と合ってますね。
ディスヒートの名前が出てきたとおり、いわずもがなではありますが、Cunninghamは、ディスヒートの1stの制作にも手を貸していたはず。
この『Grey Scale』は、Cunnighamの1976年のデビュー作で、雑誌のページの隅に印刷されたジャケット写真を頼りにかなり探したつもりだったけれども、出会えないまま忘れようと決めていたアルバムでしたが…昨日のレコード市でついに発見!Jimmy Lyonsは7年ですが『Grey Scale』は18年もお預け状態だったわけで…自分の執念にも呆れてしまいますが。
『Grey Scale』A面は、「エラー・システム」と名付けた、複数の演奏者が同じフレーズを反復していくなかで出てくるどうしようもない失敗。その失敗が出た時点で、今度は皆がその「失敗フレーズ」を反復していく、以下同文。英国実験音楽の神髄のようなユーモラスでミニマルな音楽になっています。実験音楽時代のギャヴィン・ブライヤーズも、似た趣向の「音楽的どもり」をネタにした作品を作っていたような気がする(違うかも)。

DC―1976年に『グレイスケール』というレコードを録音していたからね。僕は自分自身のレーベルでそれをリリースしていたんだけれど、それは一種のシステミック・ピースといったもので、とてもルーズに構成されていた。言語を使った反復のテクニックを数多く用いていて、フレデリック・ジェフスキーの『パニュルジュの羊』が使っていたのと同じような不確定なエラーを使っている。実際、僕はどれだけ日本に入ってきているかを知って驚いたよ。僕が思うに、プレスされたものの半分くらいが日本に入ってきたらしい。
 僕はいつもレコードの型のアイデアを練るのが好きで、ワーク・イン・プログレスのような、スケッチブックのようなレコードが作れるならいいなあと言っていたんだ。『グレイ・スケール』は僕が学生の頃の作品で、とてもシンプルで安いレコードで、かなりアコースティックだった。僕はちょうど雑誌のような感じのレコードを作るために、そのアイデアを未だに多く受け取っているよ。それは本のようなではないんだ。それは時間のある時点でのアイデアのセットなんだ。また、それはある意味において、本当に完結した記事ではなくて、多分新聞か何かのようなものなんだ。CDではなくレコードの形を使って、値段を安くして…
――『もうひとつのポップミュージック』デヴィット・カニンガム×細川周平:「ur」4号:1990年12月ペヨトル工房


この文章を読んで、猛烈に聴きたいと思った18年前の気持ちがよみがえります。
レコードが「記録」しているのは音だ。でも「記憶」しているのは、僕らの気持ちだ。

昨年このブログでもCDを書いた最近のプロジェクト。CDだとアンビエントな印象を持ったけれど、けっこうラウドな印象。

ミュージック・ファクトリー

ミュージック・ファクトリー

Secret Dub Life

Secret Dub Life

Yellow Box

Yellow Box

Greaves/Cunningham

Greaves/Cunningham