みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

映画の文字化け:ヴィターリー・カネフスキー特集上映『動くな、死ね、甦れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』 @九条シネ・ヌーヴォ

nomrakenta2010-01-02



正月二日だというのに、14:30のシネ・ヌーヴォは、ほぼ満員といえる入り。
映画の日」が、ずれてこの二日になっているのもあるだろうけれど、ヴィターリー・カネフスキーの伝説的な『動くな、死ね、甦れ!』Zamri, umri, voskresni!1989年ソ連)を初めて観るか、それとも何回目かに確認したい僕のような人が多かったか。

大阪でもやっと、今回の特集上映が回ってきました。
カネフスキー監督の主要作品三本を一日で、3000円台で観れたのは、とてもお得な気分でした。
いや、正確にいうと気軽に「お得」というよりは、いろいろと考えさせられる、という意味で良い特集上映でした。



下手な解説は要らないとは思いますが、念のため。

『動くな、死ね、甦れ!』(以下『動くな〜』)は、ヴィターリー・カネフスキー監督が、長い下積み人生のあと、53歳にして撮った初めての本格長編映画であり、自身の、強制収容所の傍の炭鉱町での少年時代をベースにした自伝的要素の濃い作品であり、カンヌでカメラ・ドールを受賞して伝説となってしまった作品でもある。蓮實重彦は、この映画を見逃すことは「生涯の損失につながる」とまで言ったのか書いたのか。
映画自体のあらすじは、こちらのHPを読んでいただければ、大体つかんでいただけるのかと。http://www.geocities.jp/vivacinema/dir_a/012.htm


そして、日本ではVTRが出た後はDVD化がされておらず、何年かおきに上映されている筈。
僕自身、映画館で観るのは三度目だと思う。購入したVTRでは一回くらい自宅で観ていますが、これはやはり、映画館で観たい、「映画的映画」だと思う。
そして、『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』については、日本で上映があったのかさえ、僕は知らなかった。当然今日が初見。


よく引き合いに出されるように、『動くな〜』を観ていると、『大人は判ってくれない』『小さな恋のメロディ』あるいは『僕の村は戦場だった』や『禁じられた遊び』だとか、いろんな過去の名作が想起されてしまう。「しかし『動くな〜』は、それらどの映画的記憶とも似ていない」と言い切るには少なくとも僕は能力不足です。
ただ、様々な要素が感じられるのは、もちろん狙った結果ではなく、カネフスキー監督が自分の少年時代に、映画という自分の人生をかけて修練を積んできた「方法」で、あまりにも深く、忠実に、作品として昇華してしまった結果だろうとは思う。それほどまでに、監督の記憶と映画は不可分のものになってしまっていたはずなのだ。「記憶」というものは、「記録」と異なり、再構成されて然るべきものです。

監督の少年時代とあまりにも似ていたというワレルカ役のパーヴェル・ナザーロフは自然すぎて演技などまったくしていないに等しい(褒めています)し、ワレルカと喧嘩しあいながら守護天使の役割も果たす(実際この映画はもともと「守護天使」というタイトルになるかもしれなかったそうfromパンフレット)少女ガリーヤ役のディナーラ・ドルカーロワは数度目かで見ると、ツボをおさえた演技をしているのがわかった。

個人的に何度観ても好きなのは、二人が広場でヤカンにいれた熱いお茶を売るシーンで、自分の先をいくガリーヤにあせってお茶を用意し、ガリーヤの茶に大声で難癖つけてしまうシーン、あるいはお釣りを渡せなくて困っているのをガリーヤに助けてもらったというのにお礼も言わない(言えない?)シーンは、「元ガキ」としては、何度観ても胸にぐうっと、来るんです。これは全世界規模の「元ガキ」に共感してもらえるんではないでしょうか。

というように、特定のシーンの映像としての衝撃ばかりがはじめは印象に残っていましたが、さすがにやはり何度目に観ていると、話の筋運びや演出的なものにもなんとなく注意が向くようになりました。


『動くな〜』は本人たちが回顧する部分もあるように、多分に喜劇的な要素がある映画だった。そこに粗いモノクロの画面作りと、ネオ・リアリズモのような演出とカメラワークがロシア辺境の寒村の空気をビリビリと伝えてくる、そこに小さなエピソードのコラージュ的なつなぎ合わせの中、幾分したたかに生きる主人公二人の自然な掛け合いが奇跡のバランスを保った作品だったと思う。イタズラを重ねるごとにエスカレートしていき、ついには強盗団に加わってしまうという典型的な非行少年の物語を、なにか別のものであるかのように、「映画的体験」にしてしまったのは、そのバランスだったのではないかと思います。


どうしても比べてしまいますが、『動くな〜』の後日談である『ひとりで生きる』Samostoyatelnaya zhizn1992年英仏露合作)は、ワレルカもそして監督自身も『動くな〜』の世界をシリアスに捉えすぎているように思えてならなかった。

ネタばれになってしまいますが、『動くな〜』の最後にガリーヤが死んでしまうシーンがあまりに唐突に起こるので、僕にはそれが列車にのりこんだ強盗団によって銃撃されたのだとか、筋運び的なものが、初見ではいっさいわからなかった。あまりにも突然に、映画的な衝撃として、少女の死が起こったのだと感じてしまった。監督の内的な衝動がそのまま画面に噴出したように思った。その後の本当に最後の素っ裸の狂女のシーンも、先の映画的衝撃のあとに残るのは、この荒廃しかない、という監督の言明なんだと思っていたし、じつは今も、そうであったほうがいいと思っています。
つまり、僕は『動くな〜』をちゃんとした物語映画としては享受してきておらず、もっぱら映画が自分の印象のなかで「文字化け」した姿を観てきたことになる。


『動くな〜』を引き継いだ作品『ひとりで生きる』では、当然この「文字化け」部分が是正されることになりました。
それは『動くな〜』を、より「正しく」鑑賞するには言うまでもなく良いことでしたし、そもそも、自壊装置を組み込んだまま進行するワレルカの「少年期の終わり」としての物語は、標準のレベルを遥かに超えた映画的体験になっている、とは思う。

思うのだけれど、本作でどうしてもひっかかってしまったのは、『動くな〜』で描かれた/『動くな〜』自体が体現していた物語/映画。それを、再話することの不可能性を、カネフスキー監督自身が、知ってか知らずか完璧なかたちで表現してしまっているんじゃないだろうかという、言葉にして書いてみるとなんだかよくわからないのですが、そう、よくわからない気持ちなのでした。

『ひとりで生きる』でも前作のガリーヤ役だったディナーラ・ドルカーロワは、ワレルカに対し守護天使のような役割を継続します(最後はワレルカに愛想尽かして、呪詛まで投げつけますが)。しかし、それは当然ガリーヤ役としてではなく、『動くな〜』ではそんな人物いたっけ?というようなガリーヤの妹ワーリャ役として、です。『動くな〜』の物語を引き継ぐのにワレルカだけでは物語自体が起動しないことはよくわかるし、ワレルカとワーニャ(≒ガリーヤ)の掛け合いを新たにスクリーンで観ることができるのは映画的祝福であったとも思います。だからこそ、極私的な感慨としては、「妹」なんていう無理な設定も持ってこずに、ガリーヤの死なんて起らなかった物語であってさえ、本当はよかった、という のが正直あったのです。物語の禁則を乗り越えて尚観客を納得させる力が『動くな〜』にはあったのだと思う。
「再話することの不可能性」なんていう言葉を使ってしまったのは、そういう個人的な願望からのものです。


しかし、『動くな〜』という作品が持ってしまった外延の物語(『ひとりで生きる』は、あくまで私見ですが、内在の物語を忠実に遂行しようとして頓挫した作品だと思う)の型破りなところが、確認できてしまったのは三本目の『ぼくら、20世紀の子供たち』(以下『ぼくら〜』)(Nous, les enfants du xxème siècle 1993年 仏) において、でした。
誤解ないようにすると、『ぼくら〜』は、物語映画でなくて、1991年のソ連の自壊後のサンクトペテルブルクの路上で生きる少年少女たちにインタビューを重ねたドキュメンタリー。自身も少年時代「泥棒」であったという監督が、犯罪少年たちとほとんど同じ目線で出会いを重ねる様子が痛々しい反面、ドキュメンタリーとしてどうやって「落ち」をつけるのかまったく予想できなかった(必要ないのかもしれないが)。観てるあいだ、この映画監督は、まさに小説でジュネがそうであったような「泥棒」映画作家だったのだろうか、というベタな想いがよぎりつつありましたが、やがて、作品は抜き差しならない展開を迎えました。

重度の犯罪(暴行、殺人)を犯した少年少女たちが次々と収容される施設で、檻を前にして、彼らに、諦念を通り越してしまって幾分からかいすら混じるような調子でインタビューを続ける監督の言葉が、ふいに途切れてしまう。強烈な戸惑いが、その声の断絶で伝わってくる瞬間がある。同時にカメラに映ったのはここにいるはずもない、と監督も観客も思っていたはずのワレルカの顔。ワレルカ役を演じたパーヴェルが、少しだけ成長した姿で、しかし相当に荒んだ生活を送ってきたであろう雰囲気だけは確実に漂わせて、カメラの前、檻の奥から出てくるのである。パーヴェル自身も一瞬、「まさか」という顔をしながら、監督との再会を果たす。

パーヴェル/ワレルカが、『ひとりで生きる』の最後のシーンそのままに生きてきてしまったのだ、ということに観ていてつらくなってしまった。やはり、「演技」ではなかったのか、と。監督に収容されたことを知らされてか、ガリーヤ/ワーニャであったディナーラが面会に訪れる姿が、パーヴェルと対照的に、もはや女優然としているのも、またつらい。
こう書いていると、自分としてはまったくこの作品にポジティブな印象を持たなかったのかと思われそうですが、必ずしもそうではなかった。

パーヴェルとディナーラの再会の親密さは、映画という虚構のなかで培われたものとするには、あまりに本物であるように思えた。ディナーラはまだ、パーヴェルに対して、過去2本の映画のなかでのように、守護天使のように振舞いたいと望んでいるのではないかとさえ、自分には思えた。
このドキュメンタリーが制作されてから、すでに17年も経っているわけで、二人がそれぞれどうなっているのか自分としてはまったく知らない(あるいは、あえて知りたくは、ない)。しかし、この時点で、『動くな〜』二部作に内包された物語が、映画から現実に、人間の関係を刻印していたことには、少なからず感動を覚えました。

それと同時に、なぜカネフスキー監督が、このドキュメンタリーを撮ったあと、わずか1本のドキュメンタリーを撮ったのみで、今に至るまで、映画制作から身をひいた状態なのかも、何かわかったような気がしました。