みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

2009年の「みみのまばたき」

nomrakenta2009-12-31


紅白でスーザン・ボイルのあとに上地雄輔シマシマの頭と黄色い衣装で歌う(この曲は良い曲、と素直に思う)その後ろで観客が手に持つひまわりの群生が揺れているのを観ていると、来年の干支の虎とひまわりが色彩的精神的親戚に思えてきた(いや、思いたいと願うこころの動きがあった)。ひまわりで虎をつくってみるのもいいかもしれない。あるいはぐるぐる旋回する虎たちが、ひまわりになってしまうのはどうだろう。

2009年は、忌野清志朗、マイケル・ジャクソンピナ・バウシュマース・カニングハムそしてレヴィ=ストロース(大往生)…今年も重要な人たちが旅立ってしまった。でも身近では新たにやってくるひともあった。

池田信夫氏のブログをここのところ続けて読んでいますと、日本経済の行く末の困難を思わざるを得ませんが、
個人的な感想でいえば、書こう書こう、と思っていたけれど準備ばかりで終にエントリーにまで至れなかった本、CDもいくつかございますが、まあ今年は多方面に盛りだくさんで満足のいく年だった、と言えるのかと。


では、今年、とても印象深かったことを挙げてみます。
夏に盆休みをズラして取得し、諏訪へ行ってから東京へ行ったこと。そして、前橋に行って、萩原朔太郎賞を受賞された詩人の鈴木志郎康さんの回顧展をみて講演をきいたこと
同時に出版された初期詩篇集『攻勢の姿勢』の凶暴なほどの分厚さのその頼もしさ。asin:4879957704
極私的であることは閉じない。極私的であることで、自然と他者に出会うのであって、そのなかには自分の内の他者も含まれる、ということ。
ブログについていえば、自分の極私は極私に違いはないのだけれど、もう自分のなかに書きこむような思いはない、ということ。成功しているかどうかはわからないけれど、書く、ということは多分、他の人の中に言葉を置いてみる、響かせてみる、というような意識が必要なことだとは、改めて気付いてきたこの頃です。
5月の末に箕面の瀧道でおもいがけず雨宿りをしたことは、何か懐かしいけれど新しい感覚を呼び覚ましてくれました。
京都の古書肆『砂の書』さんで、昔の『ミュージックマガジン』(「ニュー・」が取れて間もない時代の)を大量に安く(一冊100円…)譲ってもらい、昔の音楽批評の熱気と現在に通じるどうしようもなさを再確認できて興味深い。この作業は来年も続きます…。
10月以降は、万博の民族学博物館(みんぱく)で開催された『自然のこえ 命のかたち ― カナダ先住民の生みだす美』展が、学生時代に夢中になっていたカナダ北西海岸ファーストネーションの文化・芸術への熱を10年振りくらいにかきたててくれました。


印象に残ったライブは、
●富田の小さなカフェで聴いたアキビンオオケストラ。ブリッジの夢を拾うような心地だった。
●「マウリシオ・カーゲル〜無国籍料理〜」@梅田・ザ・フェニックス・ホール
SAKANA@京都烏丸shin-bi
●「春一番」での、「坂田明(sax)ちかもらち / ジム・オルークと恐山」の爽快なカオスジャズ。「東京ローカル・ホンク」の「カミナリ」が日本のマーキームーンだ、という気持ちは今も変わりません。そして会場を熱狂させた「桜川唯丸一座」。
●「ある風景の中でin a landscape」presents 鈴木昭男『耳の道場』@京都芸術センター
●『John Cage 100 Anniversary Countdown Event』@京都芸術センター
ニシジマ・アツシ、村井啓哲両氏によるケージの『Branches』を聴けたのが一番の収穫でした。
千野秀一クインテット@ムジカ・ジャポニカ
ソルマニア 25周年ワンマン@難波ベアーズ
2009年のベストライブであったかもしれない。Mさんの「良いノイズは混じりけがない。気が散らない。」発言が今年のヒット。「ノイズ」にひさしぶりに向きなおすきっかけになりました。
ヴァーミリオン・サンズ@十三ファンダンゴ
「ライブ」のかたちについて考えさせられた。


恒例のベスト・アルバムを。もはやいうまでもなく、今年制作発表されたものという括りは放棄しており、今年聴いて感銘を受けた盤、ということになります。
●Miguel de Cervantes, Don Quijote de la Mancha: Romances y Músicas [Hybrid SACD]

Don Quijote De La Mancha Romances Y Musicas

Don Quijote De La Mancha Romances Y Musicas

  • アーティスト: Alonso Mudarra,Anonymous,Antonio Martín y Coll,Antonio de Cabezón,Antonio de Ribera,Cristóbal de Morales,Diego Pisador,Enríquez de Valderrábano,Francisco Fernández Palero,Francisco Guerrero,Francisco Salinas,Francisco de Peñalosa,Henri Le Bailly,Juan Arañés,Juan Vasquez,Luis de Milán,Luys de Narváez,Hespèrion XXI,Solistas de la Capella Reial de Catalunya
  • 出版社/メーカー: Alia Vox Spain
  • 発売日: 2006/01/10
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
●These Are Powers『All Aboard Future』
All Aboard Future

All Aboard Future

がんばれ、「ゴースト・パンク」。
Loren Connors, Jim O'Rourke『Two Nice Catholic Boys』
Two Nice Catholic Boys

Two Nice Catholic Boys

いろんな意味でいろんな懐かしさを呼びこんでくれる演奏。
●町田良夫『スティールパンインプロヴィゼーション
スティールパン・インプロヴィゼーション

スティールパン・インプロヴィゼーション

●Fleet Foxes『Fleet Foxes』
Fleet Foxes

Fleet Foxes

The Temper Trap 『Conditions』
Conditions

Conditions

●湯浅湾『港』
港

●東京ローカルホンク『クワイエット・ロックンロールの世界』
クワイエット・ロックンロールの世界

クワイエット・ロックンロールの世界

夏にStarPinesCafeで観たライブも良かった。
SAKANA『initial work collection 1990~1991』
initial work collection 1990~1991

initial work collection 1990~1991

初期の忘れられない名盤4枚をリマスター。ジャケ絵の動物たちを指して「こんな感じの3匹だったよね」と西脇さんが呟いたのが印象的でした。
Sonic Youth 『The Eternal』
Eternal

Eternal

盤そのものよりも、mikkさんも引用されていたサーストンの音楽の状況そのものへのメッセージ。音楽への愛情の示し方。バンドであることそのものへの喜び。そんなことを聴きとれました。
Ethernet『144 pulsations of Light』
144 Pulsations of Light

144 Pulsations of Light

深いところで刻み続けられるキック…。深海からだんだん上昇していくような感覚。クラブで目を閉じて聴きたい。レーベルがあの「Kranky 」というのも感慨深いです…。
青山陽一 the BM's『GUITAR=ORGAN= DRUMS』
ライブを思い出すのに最適。あれはファンキーかつ優しいグルーヴだった。
●Peter Garland『String Quartets』
String Quartets

String Quartets

●Peter Garland『Three Strange Angels』
Three Strange Angels

Three Strange Angels

上はガーランドの新作。下は過去の名作の待望のリイシュー。最も好きな現代音楽作曲家のひとりですが…もっと聴かれていい筈なんだが。報われていないイメージが拭い難い。
『phew×bikke』(カセットテープ)
「うたの在りか」を示してくれたのがカセット・テープだったことの二重の幸せがありました。カセットテープについての小笠原鳥類さんから頂いたコメントは、やはり今年最高の贈り物でした
●フランス国立ジャズ・オーケストラ, イレーヌ・ジャコブ, ロバート・ワイアット他『アラウンド・ロバート・ワイアット
アラウンド・ロバート・ワイアット

アラウンド・ロバート・ワイアット

●Earle Brown『Contemporary Sound Series, Vol. 1』
Contemporary Sound Series 1

Contemporary Sound Series 1

故アール・ブラウン監修の現代音楽の貴重な音源をテーマごとにパッケージしたシリーズのリリースが始まった。今後が楽しみ。
●Joe Lally『There to Here』
There to Here

There to Here

フガジのベーシストのソロ2006年作。
dos『Justamente Tres』
Justamente Tres

Justamente Tres

これもベース。「dos」(スペイン語で「2」)は、元ブラック・フラッグの女性ベーシストKIRAと、元ミニットマン(ストゥージズ再結成にも参加)マイク・ワットの2本の夫婦(のちに離婚)ベース・デュオ。「キル・ロック・スターズ」から1996年に出ていたが、こないだYouTubeで思いがけなくライブ映像を観て取り寄せてから、かなり愛聴。

やっぱり、ベースって好き。
Lou Reed『ベルリン』
ルー・リード/ベルリン [DVD]

ルー・リード/ベルリン [DVD]

これは、すいません。シュナーベルが撮ったライブDVDのほう。
渋谷慶一郎『ATAK015 for maria』
ATAK015フォー・マリア

ATAK015フォー・マリア

文句もいわせないところが憎らしいピアノ。「美」とはたぶんそんなもの。
●The Thing『BAG IT!』
Bag It

Bag It

池田信夫ブログで、総じて音楽に力がない、特にジャズが、というふうに書かれていたのですけれど、いくらなんでもオーネット翁をつかまえてそれでは酷なのでは?と思ってしまいました。素直に首頷できなかったのは、駆け込みで本盤を聴いていたから。「The EX」、「54 NUDE HONEYS」(!)、「Ake Hodell」、アルバート・アイラー、エリントン のカバーもやってしまってなんの違和感もないどころか、音楽する力がもっとも無駄なく高速に炸裂していると思えた。ジャズ本来の、などというのは物足りない。音楽のパワー、なのだと強弁したい。個人的に特筆すべきはエリントンのカバー「Mystery Song」。この曲のエリントンによる原曲を聴いたことがないけれど、スティーヴ・レイシードン・チェリーの1961年のエリントン、モンク集『Evidence』のバージョンが絶対オマージュとして隠れていると思う。
Evidence

Evidence

マッツ・グスタフソンは昔、レイシー曲集を出したことさえある人なのだから。
Windows

Windows

『BAG IT!』での「Mystery Song」は印象的な導入テーマから入らず、いきなりインプロで吹きまくる。「えええっ!」と驚いていると、4分の3を過ぎたあたりから悠然とあのテーマがエンディングに向けて現れてくる。こういう人を喰ったアレンジも厭味さのみみちさはまったくなくて秀逸
●popo『macadamia』
macadamia

macadamia

待望のセカンド。来年はライブ観たいです。
湯川潮音『Sweet Children O'Mine』
Sweet Children O'Mine

Sweet Children O'Mine

ズル過ぎる選曲…。
●Clemencic Consort『Carmina Burana』
Carmina Burana: Medieval Songs from the Codex

Carmina Burana: Medieval Songs from the Codex

オルフの、ではなくて、「ボイレンの詩歌集」そのものに基づいたもの。野法図さと宗教性が綯交ぜになっている。阿倍謹也の『社会史とは何か』に「カルミナ・ブラーナの世界」という短文が収録されていて、それを読みながら聴いて、おもしろかった。

支配しようとするものは支配されるものの原理をとりこむとき、最も有効に支配を貫徹しうる。教会はこの点でも巧みでありグレゴリオ聖歌の原型はそのままにしながらモテトゥスやセクエンティアをとりこみ多声音楽ポリフォニーを形成していったのである。
近時オルフをはじめとする人びとによって近代的な楽譜に移され、我々もその一部を聞くことができるようになった。これらの曲には二声ないし三声のコンドゥクトゥス様式のものもあり、セクエンティア様式のものもある。カルミナ・ブラーナにはこの時代のあらゆる歌曲の様式がとりこまれているのである。このように多様な形式がとりこまれている点でも制度化になじみにくい性格をもっていたといえるであろう。
カルミナ・ブラーナはヨーロッパが文明社会を建設しようとしはじめたときに生まれた。したがって作者も聴衆も国際的であり、イギリス、スペイン、フランス、ドイツなどにまたがっていたし、聴衆もラテン語を解するものに限らなかった。エロイーズの書簡にあるようにアベラールの歌は魅惑的な曲のために無学な者も聞きかじって小歌を歌っていたという。
――阿倍謹也『社会史とは何か』p.183

社会史とは何か (洋泉社MC新書)

社会史とは何か (洋泉社MC新書)

●エルメート・パスコアール 『スレイヴス・マス』と『ライヴ・イン・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』

スレイヴス・マス

スレイヴス・マス

ライヴ・イン・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル(紙ジャケット仕様)

ライヴ・イン・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル(紙ジャケット仕様)

10月から今にいたるまで、自室にいるとき、他のアーティストとシャッフルのプレイリストを作って本当にこの2枚での演奏をよく聴いていました。数年前にはピンとこなかったパスコアールの音楽の自由さが、浸みこんで来るような気がしました。特に「スレイヴマス」は、「CAN」のような演奏がときどき顔を出したりして楽しい。



つぎは書籍
●廣瀬 純『シネキャピタル』

シネキャピタル

シネキャピタル

ドゥルーズに沿いながら、映画を思考することのおもしろさ。
エドマンド・ホワイト『ジュネ伝』
ジュネ伝〈上〉

ジュネ伝〈上〉

ジュネ伝〈下〉

ジュネ伝〈下〉

上下本。これは2008〜2009を跨いで読み終えました。ジュネという唯一無二の作家の人生詩学は興味深いもので、ホワイトの飽きさせない筆力がまず凄い。詠み終わったらパレスチナブラックパンサーを描いた遺作『恋する虜』を読みたくなって仕方がなかった。しかし、この本めったに古本屋にも出ないし、出てもとても高価。とても入手できない。新訳が出版されるのを待つしかない…。『ジュネ伝』に、呼び水されて読んだのが、
ジャン・ジュネ『花のノートルダム
花のノートルダム (河出文庫)

花のノートルダム (河出文庫)

意外と、ちゃんとした「小説」だったことに驚いてしまった。
●ヒュー・ケナー『機械という名の詩神』
機械という名の詩神―メカニック・ミューズ (SUPモダン・クラシックス叢書)

機械という名の詩神―メカニック・ミューズ (SUPモダン・クラシックス叢書)

この本を読み終えて半年ほどして、僕は、「ポスト、ポスト」といいながら、誰も「モダニズム」について話そうとしなかった時代に、本を読み始めたのだったなあと感慨しました。
●フランソワ・ドス『ドゥルーズガタリ 交差的評伝』
ドゥルーズとガタリ 交差的評伝

ドゥルーズとガタリ 交差的評伝

カバーのガタリの写真など、いったい誰なんだと最初思いましたが、圧倒的に面白いのはラボルドを中心としたガタリの人生。ドゥルーズの哲学へのひたむきさと優雅さも胸を撃つ。2人の思考が交差するころには、時代も白熱している。
こういう基礎的な伝記本があると、彼らの著作への向き合いかたもなんとなくつかめてくる気がして、もともと「哲学脳」を有しない者にとっては有難いです。

概念というものがあることを知ったとき、別の人物がいるような気がしたもんです。それがじつに生き生きとした生命力を持っているように感じられたのでね。
――ドゥルーズ p.108

ずっと以前から音楽的対象は時間と関係づけられてきた。音楽が時間に宿っているのは当たり前のように思われてきた。しかしそれがもし逆だったら、もし時間が音楽に宿っているとするなら、そしてそれが時間の展開の総体においてではなくて、少なくともある種のリトルネロの内部でのことだとしたら、どうだろう?
――ガタリ p.438

ガタリの『オイティプス草稿』は翻訳されないだろうか…。
最近は、impuissanceさんのブログ、『菌曜日、午前三時』で書き始められている「ガタリ・トレーニング」の進み行きがとても気になっています。杉村昌昭や粉川哲夫そして三脇康生でもないガタリの「読み」の予感。
●白石美雪『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

本邦の研究者によるジョン・ケージ本としてかなりの好著。「混沌ではなくアナーキー」と、とかく安易な「自由めいたなにか」と履き違えられてしまいがちなケージの美学を、再度整理してくれた気がします。
●デヴィッドグレーバー, 高祖岩三郎『資本主義後の世界のために』
資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)

資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)

「VOL」が好きだったから、対談など内容はおもしろいのだけれど…グレーバーがピエール・クラストルが「国家に抗する社会」において、原住民社会のレイプなど内側の暴力装置のことを見過ごしていると鋭く指摘しているのと全く同じにように、グレーバー自身もなにか重要なものを見落としているんじゃないのかという疑念が残るにしても。
●藤枝静雄『悲しいだけ/欣求浄土
悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)

悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)

章はこういう木を見ていると、時々それが人格(も可笑しいが)、それに似た変なものをそなえていて、言語に類するものさえ持っているような気がすることがある。自分が立ち去ったあとで、木が、不明瞭な声を出してブツブツ云うような、かなり実感的な想像が頭に浮かんで、何だか後ろ髪をひかれることがある。
――欣求浄土 p.76

詩の雑誌『TOLTA 4号』
小笠原鳥類さんのロング・インタビュー。詩の言葉への赤裸々な向き合い方がスリリングだった。
●『水声通信』2009年7・8月号「アナイス・ニン特集」
[rakuten:book:13281635:detail]
この号に載った小笠原鳥類さんのボルヘスについてのエッセイ「書物を並べると出現する、幻の、あの人」が、今年のベスト・エッセイだった。
●アニー・ディラード『本を書く』

本を書く

本を書く

岡田尊司アスペルガー症候群 (幻冬舎新書) 』
アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

新書のかたちでとてもわかりやすくよくまとめられた解説書だと思う。幼少から成人にいたるまでのどこかで、アスペルガー症候群的振舞いや衝動を経験したことのない人などいるのだろうか。そう思ってしまうくらいに、自分として心当たりがある記述も多かった。
前野佳彦『散歩の文化学〈1〉ホモ・アンブランスの誕生、散歩の文化学〈2〉東洋的都市経験の深層』散歩する人間。散歩するから人間。東洋的散歩と西洋的散歩??
原武史『“出雲”という思想』(講談社学術文庫)
<出雲>という思想 (講談社学術文庫)

<出雲>という思想 (講談社学術文庫)

渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース
新書498闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

新書498闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

共産主義者だった青年時代が前半かなりの部分を占めていておもしろい。神話論理など主な著作への言及もダイジェスト的読めて参考になる。


漫画についても最後に触れると、
福島聡機動旅団八福神」の完結だけは挙げておきたいです。

「殺さない・人を助ける軍隊」という、ベタといえばベタなモチーフを、自律をあらかじめ奪われた日本というしゃれにならない仮想国家での模擬戦争というフレームのなかで描き、キャラクターの言動はつねに不穏に揺れ続けて、最終的な物語の帰結などあるのだろうかと思ったけれど、物語終盤まで謎の人物だった布施の「戦争とは自分の仲間を如何に助けるかに他ならない」という名セリフを生んで、大きな呼吸を終えた。記憶に残る名作、になるのではないかと思います。

以上、絶対なにか書き洩らしている、という確信がありつつ(毎年ね)、今年はこれにて仕舞いといたします。
つづきは新年のごあいさつをしながら…というのでも良いはずですし…よいお年を!