九条で映画
土曜日は、久々に中央線にのって九条のシネ・ヌーヴォで『あんにょん由美香』を観る。シネ・ヌーヴォは、これで三回くらい行っている。もはや前後が定かではないのだけれど、ボリビアのウカマウ集団の特集をオールナイトで観にいったのもここだし、リュック・フェラーリのドキュメンタリーを観て、マイケル・ナイマンの『実験音楽 ケージとその後』を翻訳した椎名 亮輔氏に本にサインをもらったのも、ここだった(こういうふうに、極めて局所的にミーハーなのですね)。
家人に九条というと、ストリップ劇場?といわれるが、返答に困ってしまう。
映画が上映されていたのは、シネ・ヌーヴォXという通常のシネヌーヴォの上の階の、20人くらいが座れる上映スペースで、ここはフィルムでなくてMiniDV作品なんかの上映スペースのようだった。たしかにデジタルの画像なんであればこれくらいの小規模のスペースの方が、こちらも気が休まるかもしれない。以前のウカマウ集団のDV作品を下で観たときは、正直、辛かった覚えがある。それでも京都のドイツ文化センターで観た鈴木志郎康さんの『極私的にコアな花たち』は、同じDV作品だったけれど、しっくりと鑑賞できたから、DV作品自体がどうしても保持してしまうプライベートな空気と上映の環境との微妙なかけひきが、やはりあるのではないかと思う。
この年代の男なら、林由美香といえば、ああ、と記憶を呼び起こせるのだろうか。2005年に急逝した(死因がわからない)もはやカルト的な(?)AVおよびピンク女優だが、こんなに根強い人気があった(ある)ことすら知らなかったが、豊田道倫が音楽を担当しているという事と、監督の松江某というひとが最近おもしろいということで、観てきました。
「カメラ=万年筆」ということを誰も形容に使わなくなって久しいように思いますが、このドキュメンタリーはそういっていいものだったように思う。林由美香じたいにあまり思いいれがないので、いまいち乗れなかったと思うが、なぜか林由美香のフィルモグラフィーにのっていた、日本で撮影された韓国製のC級エロ映画のなぞを追いかけ、最後には未完のラストシーンを韓国から当時の監督、俳優を呼び寄せて撮らせてしまう、そのことを自体を、監督の、林由美香という女優へのオマージュにしてしまう展開は、手法というようなアコギなものともいえないし、実現するかどうかも瀬戸際な感じだったことが、映像からよく伝わってくる。件の韓国映画の中で韓国人の俳優がわざわざド下手な日本語をしゃべっていることや、ラストシーンだけ韓国語に戻ることなどへの追及は、監督としてはたぶんもっと裏があったほうが良かったのだろうけれど、観客にとっても肩すかしをくらわせるような、あっけなさが待っていて、まあ…それが現実だよな、という気にもさせる。それよりも、韓国での、そういった映画への蔑視がほとんど物質的な強固さで存在していることのほうが、日本国民としては考えさせられることが多いだろう。
こういったドキュメンタリー的な映画は、映し出されるものが全てではなくて、自ずから撮影で切り取れる絵やコメントには限界があるし、計算の出来無さが、作品自体を方向づけていくのは、観る人も了解済みだろう。今後のこの作品が、映像に収められなかったことや、映像の行間みたいなものをどれだけ孕めるのか、というところに、作品の中でコメントとした平野勝之氏の「林由美香を今撮ることのリスク」があるのかもしれない、とちらりと思ったりもした。
映画を観終わってシネヌーヴォを出たら、豪雨だった。
これは、豊田道倫がプロデュースした大阪のブルースマン「AZUMI」のアルバム。

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