みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

読みつけている本・聴きつけているCD(ピーター・ガーランドとソニック・ユース)

本の雑誌』でのレビューがおもしろそうで、購入。

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

イスラエルが建国直後に壊滅し、アラスカにユダヤ特別区が出来ている、というP・K・ディックの「高い城の男」を思わせる可能世界的設定。コーエン兄弟が映画化するらしい。どんな映画になるか想像しながら、読み進めてみる。舞台がアラスカということで、トリンギットワタリガラスといった個人的に馴染みのある「北西海岸ネイティブ・アメリカン」用語が出てくるのが嬉しいかも。

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

お約束通り、ハーンの「耳なし芳一」から序章するのですが、着目点がまずおもしろかった。「なぜ耳なのか?」。ヒューマニスティックな視線よりも、「琵琶法師」という「さわり」にも代表されるようなノイズ的な存在感に注視している様子。新書にはめずらしくDVD付属(まだ観ていないけど)。

Live in Boston

Live in Boston

ドアーズのライブ盤が出ていた。とりあえず1枚目を聴いてみるが、ジム・モリソンがとてつもなくかったるそうなのに驚いてしまった。それに合わせてバンドの演奏ももたついているように聴こえて、最後までこれだと相当きついのだが、と危惧。まだ全部聴いていませんが。
String Quartets

String Quartets

ピーター・ガーランドの新作弦楽四重奏作品が、ポスト・ミニマル音楽的レーベル「Cold Blue」からリリースされていました。ケージの美学とルー・ハリソンの情緒を受け継いでいるように思えるガーランドは、現在活動中の「作曲家」のなかでも、最も好きな作曲家の一人ですが、最近、TZADIKから昔の「ボーダー・ミュージック」が「Three Strange Angels」としてリイシューされていました。リイシューのタイトル「Three Strange Angels」という作品は、かつて「Cold Blue」のレーベル・コンピがCDで出た時に収録されているのを初めて聴いたもので、それはピアノとドラムとブル・ロアーラーの3つの楽器のみによる作品でした。
Cold Blue

Cold Blue

ドラムに重ねるようにピアノが一定の間隔で打鍵される構造のなかを(それはリズムというよりも沈黙を分節していくように聴こえる)、ブル・ロアーラーのビュウ、ビュウ、ブウウー!という唸りがワイルドに絡む凄い曲なのですが、そこにさえ、ガーランドのリリシズムは充溢していくようでした。この弦楽四重奏も、それはまったく変わらない。ガーランドは、はっきりと「自分の声(トーン)」を持った作曲家だと思う。あとは、ガーランドの音楽が、鳴り響き・沁み拡がりつづけるような映像作品があれば、状況が変わると思うんだけでもなあ…。
Three Strange Angels

Three Strange Angels

Love Songs

Love Songs

The Days Run Away

The Days Run Away

アメリカ実験音楽は民族音楽だった―9人の魂の冒険者たち (Art edge)

アメリカ実験音楽は民族音楽だった―9人の魂の冒険者たち (Art edge)

あとになってメモをとりながら、ガーランドはなぜあんなに熱心にインディアンの遺跡を案内してくれたのか、なぜホピのお祭りを見るようにと勧めてくれたのだろう、と考えた。そもそも彼はなぜインディアンの音楽を研究したりしているのか。実験音楽を理解するためには、インディアンの音楽を知らなくてはいけないということなのだろうか。では新しい実験的な音楽は、先住民たちの遙かなる古来の伝統といったいどう繋がっているのだろう。思いをめぐらしているうちに、アメリ実験音楽はただ新しく、奇抜なだけの音楽なのではなくて、おそらくどこかでインディアンを含めた土着の文化と結びついているのではないか、と思いあたった。
――柿沼敏江アメリ実験音楽民族音楽だった』p.10

実験の向こうにある響きや構造を、ネイティブ・アメリカンの音楽などに見出そうとしたプリミティヴィズムの動きは、当然実験音楽の研究者でもあった作曲家の中にモチーフとしてあったのだろうと思いますが、それよりも、作曲家個人のリリシズムの深いところで、共鳴りし続けるものがある、ということがピーター・ガーランドの音楽については言えるように思えます。

ジ・エターナル(Limited Edition/T-shirts S size)

ジ・エターナル(Limited Edition/T-shirts S size)

実験的なものや他のリソースへの共振・共鳴を、極めて極私的(作曲家単位であれバンド単位であれ)な処から持続に変えることができている、という意味では、もはや若者(Youth)ではない、という禁句すら旬を過ぎて清々しいこの人たちにも同じものを感じます。
限定仕様の冊子とTシャツがついたこのヴァージョンについている2008年のライブ盤のセットリストは、デビュー当時の「She is not alone」「World looks red」や「Making the NatureScene」といったナンバーとブラストファーストに残した名盤「Daydream Nation」からのナンバーを中心にしたものになっている。「SilverRocket」や「HyperStation」へのメドレーなどで頭と身体がむずむずしてしまうのはもうしょうがないことだが、初期の曲のプリミティブなビートにギターがザクザクと絡む演奏からは堂々としたものを感じる。ゲフィンから離れたことはもちろん大きな転機だけれども、むしろ「Daydream Nation」ツアーや初期の曲の演奏を通じて、SYはバンドのモチーフを(これまでの成果を無しとしてない形でリセットする伏流としていたのかも、と思った。
最近Youtubeで見つけたSYの「BadMoonRising」期のモハーヴェ砂漠でのライブ映像がとても良い。ドラムはもちろん、Bob Bert。
ここには、とても、若い(それこそYouthな)SYがいる。この2009年の音楽産業の苦境を、金もうけでなく、むしろ本当に音楽に対して献身的でなければ作れない良い状況だ、と言ってしまえる彼らに、何のシニシズムもないのだ、ということは、このライブから現在に至るまでのSYの音楽の持続を考えれば、自然に納得できることだとも思う。


お客にビールをねだっちゃうキムが、とてもいい。

「Brave Men Run」の後半の深い残響には既に2000年代のSYがいる。映像の途中で、「あたし声出ないんだわ」とキムがリーに耳打ちしているようにも見え、次の「Death Valley 69」では、レコードでリディア・ランチが歌う(ライブではキムの)パートをリーが歌っている。





この時代の演奏をよく収めている盤といえば、
Bad Moon Rising

Bad Moon Rising

もちろんこれと
Sonic Death

Sonic Death

これか、名高いブートライブ盤「Walls Have Ears」あたりになるのだろう。この時代に、まずひとつのプラトーがSYにはあって、「Day Dream Nation」はまだまだ先の話だったりするのだから、おもしろいのである。