あけましておみでとうございます:フィネガンの目覚めの中の木の子供&ケージの『49のワルツ(5つの独立区のための)』
今年も拙ブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
「めでたい」とは「目出度い」と書くようでうすが、ここは「みみのまばたき」らしく、「耳出度い」と書いてみます。・・・ひかないでくださいね、新年早々。そういえば、昨年まとめ聴きしたAtomicの2006年のCDのタイトルが『Happy New Ears』でした。
今日は、お雑煮を食べたあと、いそいそと箕面の瀧道を登って、勝尾寺までいってきました。といっても、勝尾寺さんではお参りせずに、去年も買った黒豆クリームのゴーフルや出石そばやきんつばなんかを買い込んだ後はそそくさと下山、途中の龍安寺でやっとお参り。脇の役行者さんの祠にも忘れずにお参り。本来は行者さんが昇天なされた「天上ヶ岳」まで登りたいところでしたが、生憎そこに至るまでの自然研究路が工事中。
**
今年の抱負はですね。
昨年もいっていたかもしれませんが(・・・)、ジョン・ケージの『木の子供』(Child of Tree)そして『枝々』(Branches)*1を準備していきたいなあ、と。「完成」ではなくて「準備」と濁すあたりが、性懲りもないところですが、急いでやりたくないんですね。昨年何もしなかったわけではなく、念願のICレコーダーEDIROLの「R-09」を導入しまして、ちゃんと音の素材集めはやっておりました。箕面山のうえの方(極力、ひとに出会わないとこ)まで行って、秋の朝の清々しい空気の中、落ち葉をカサカサゴソゴソやっていましたし(風邪ひかなんだのが不思議)、この曲では「必須」とされている「サボテンの棘を爪楊枝で弾く音」を録るために、ノイズ・ミュージシャン御用達の楽器屋さんから通販で、コンタクトマイクを購入したのも昨年のことなのです。ですから、この企画が全く進んでいない、という批判は、的外れなご指摘、否それこそ全く根も葉もない中傷、といっていいでしょう(誰からも突っ込まれませんて)。
それで、先ほど電池を挿入するところのカバーを紛失して送ってもらった(このカバーはすぐに外れてしまいます)R−09に前述のコンタクトマイクをつないで、マイク部をサボテンの胴体に密着させ、棘を指で軽くピンピン弾いてみると、ものすごい音がしました。あわてて入力レヴェルを下げてみてもかなりハッキリとしてピキンピキン音が録れている。すでにサボテンも3種類ほど棘長めのものを仕入れてありますので、これにはとりあえず安心しました。
あとは、「楽器」を10種類は用意していかなければなりません。考えていたマツボックリはすでに入手済み(リスのエサとして販売されているんです)。あとは種を使ったガラガラも自作するつもり。植物から出来た「楽器」というと、どうしてもパーカッション系になりがちで、そうすると似通った音にどうしてもなってしまうから、ここはもうちょっと考えたいところではあります。
**
昨年読んだ本のなかに、『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』の翻訳者である宮田恭子さんの『ジョイスのパリ時代』(みすず書房、2006年)がありました。
- 作者: 宮田恭子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2006/06/10
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
最初ダンスを学んだルチアは、その後両親の強い勧めでダンスをやめ、ジョイスの門弟に等しい存在だった若きサミュエル・ベケットに拒まれるなどして、徐々に常軌を逸していきます。ジョイスの著作のために独創的な(といって見たわけではありません。この本には図版がない・・・)装飾アルファベットを作成したりして、才能はある人だったようですが、父親の神経質なところが悪く出てしまったようにしか僕には思えず、読んでいて痛々しいものがありました。
ですが、このルチアを取り上げた章で、ジョン・ケージの『木の子供』の曲名の引用元になるフィネガンズ・ウェイク中の文章が、宮田恭子氏によって引かれているのを発見しました。
イゾベル、あの子は本当に美しい、本当に、原生林の色の目と桜草の髪、森全体がたいそう荒れているというのに、静かで、苔と月桂樹の藤色の服をまとって白サンザシの木の下で何て静かにしていることか、木の子供、迷子の幸せな葉っぱのように、じっとしている咲きかけの花。喜んで参ります、すぐにまたそうなるんだわ、わたしを口説いて、求婚して、結婚して、ああ、くたくたにして!
---宮田恭子「ジョイスのパリ時代」p.242
著者によるとどうも、このイゾベル(イシー、とも)という作中の少女が、娘のルチアを直接反映しているという説に与しないまでも、イゾベルの描写に打ち込むジョイスの脳裏にルチアの面影が一瞬でもよぎらなかった、といえば嘘になるだろう、という意味の示唆をしておられます。その説が正しいのだとすると、「木の子供」という言葉に、ジョイスは植物の受動性と神秘性を託して、娘に投影してもいたのだ、ということになるのでしょう。
「木の子供」という言葉もいいですが、「迷子の幸せな葉っぱ」という表現もいいですね。
**
そして、元旦だからというわけではないですが、ジョン・ケージ関連でおもしろいDVDが、ケージの音源を多くリリースしているMODEから出ていましたので、それを紹介してみます。
「49 Waltzes for the Five Boroughs : For Performer(s) or Listner(s) or Record Maker(s)」(5つの独立区のための49のワルツ:一人もしくは複数の演奏者または聴取者またはレコード制作者のための)
この作品は、1977年、ローリング・ストーン誌のNY移転を祝う記事として掲載されました。「ニューヨーク楽派」の長老がロック雑誌を出迎えるというのも粋な企画ですね。
ジャケットのケージによるアートワークを見てください。
ニューヨークの地図の上に、さまざまな色で、「く」の字形の線が描き込まれています。ブックレットによると、「く」の字の直線がカメラの向けられる向きを、「く」の字の角度がカメラがパンする角度を表しているようで、カメラが置かれる住所を示す「く」の角は、やはり易経によるチャンス・オペレーションによって決められた地点のようです。あと、「カメラ」と書きましたが、実はこの作品、タイトルの補足に「レコード制作者のために」とあるように、ケージ自身は、「音」のみを使う、つまり、カメラではなくて、録音マイクを向ける向きと角度の指示のつもりだったようです。つまり原作としては、ニューヨーク49カ所の生活環境音のサンプリングからなる音響作品だった、ということになりますが、1992年のケージの死にあたって、制作者のDon Gillespieは、この作品のリアライゼーションを思い立ち、どうせなら録音だけでなく、49地点をビデオで撮影してしまおうと、映像作家も巻き込んで計画を進めるに至ったようで、映像作品で写しだされるNYの49の地点の映像は、1994ー1995年に撮られたものです。ケージの指定した住所がどうしても撮影できる環境ではなかったり、たとえば、ブロンクスの柄のよろしくない地点での撮影では、機材が盗まれないか心配で、NY市警に同行してもらった、とか、制作者たちは決してカメラのフレームには入らない、ただし、撮影に気づいて「何してんの〜?」「どこのチャンネル?」などと関心を示してくる通行人には対応する、など、撮影にあたっては様々な配慮をして、結局スタッフは、49地点での撮影を全て了えるのに丸一年を費やしたそうです。
Don Gillespieに、そうまでさせた動機としては、それまで存在していた「49のワルツ」の音源が、どれもケージが指定したNYの特定の地点を無視した任意の都市の音を切り取っているに過ぎず、到底、ジョン・ケージの「49のワルツ」の音響化とはいえない、と感じていたことがあったようです。
その結果、この映像作品では、1994ー1995年の(そう、09.11以前の)ニューヨークの、ほんとうに飾らない姿を見ることが出来ます(是非、DVDメニューで、撮影区域名を表示するモードをONにして見てください)。NYに行ったことがない僕でも、各地点の「裸」の日常の風景は、興味深いものでした。
さて、これらの映像は、注視しても飽きるわけではありませんが、映像になんらかの「展開」を期待しだすと、当然弾かれてしまう自分がいます。なにも物語を孕まず、期待に応えようともしない日常の断片。だからこそ、じつは代用が利かない瞬間・瞬間の事物の出会いで充満した日常。カメラはただ、偶然によって指定されたニューヨークの街角の地点に立ち、指定された角をパンするだけです。それが49カットあると思っていただければ、大枠は結構です。しかし、このテキストを書きながら、この映像を見つつ感じるのは、退屈とは別のことでした。
こんな演出のない音や風景を、鑑賞者の前に現出させるための「かまえ」を用意すること。音楽家として出発してその方法に打ち込み、方法そのものになりきろうとすること。言ってみれば、それがジョン・ケージの美学なのかもしれません。
「49のワルツ」は、ニューヨークという都市が*2踊るワルツでした。
今年もよろしくお願いいたします。