みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

山の耳

nomrakenta2008-11-24


昨日の失敗を繰り返さないように7時半に起床。
R-09を持って、瀧道から山へと。
2日にしか開いていないのに、紅葉が深まったような印象がある。これは来週はもうすっかりダメになるなあと思う。

一昨日のスポットまでいって、再度同じように落ち葉の音を録ってみる。一昨日よりも落ち着いたきもちになっていて、周囲の音がよく聴こえる気がした。一昨日は若干気があせっていたようで、音も葉をいたずらにガシャガシャやる音が大きすぎるような気がしたので、今日はもっとこそりこそりと沈黙多めで、とにかく、「音をたててやろう」というじぶんの意図や作為からどれだけ遠く離れられるのか、試してみたいと思った。そうしていると、周囲の音がよく聴こえてくるのだった。

一昨日には気づかなかったが、音をつくれるものが他にもあった。小さなサイズのまつぼっくりがたくさん落ちていて、それらの笠を擦り合わせてやると、乾いた良い音がした。また、松の幹の皮がまたいっぱぼろぼろと落ちてもいて(決して剝したりはしていません)、これらを毟ったり力を加えてみたりすると若干湿った音がした。名前は知らないがまだ緑の葉をつけた小振りな木の枝をゆすると、葉たちがこすれ合う音が録れた。

こういうことはもちろん通りがかりの人に見られると、ただの危ないひとなので、説明するのも困難(というか弁解しだしたら余計引くでしょうな)につき朝早く出かけたわけですが、幸運にも誰とも出会わなかった。
そうやって、最後に落ち葉溜まりの音を録りながら、音に集中するのでもなく、あたりの音にみみを澄ますでもなくしていると、急にパラパラはっきりとした音が粒だってきたので、見上げると、雨だった。本降りというより、どこかから風と吹き運ばれてくるような感じで、雨脚が強くなるような気配もなかったが、そのまま下山。すると、11時くらいから本格的に雨になった。
行楽客も雨では来る気にならないだろう。せっかくの休日なのに気の毒なことだなあと思った。



全然関係のない話ですが、エリアス・カネッティの『蠅の苦しみ−断想』asin:4588120506というアフォリズム集には、タイトルの通り、苦渋に満ちたというか、ドキッとして絶句してしまいそうな思考の声が詰まっているけれど、中には、こんなかわいいのもあるのです。

雨は、私が苦もなくいとも簡単に生まれたかのように、私を幸せにしてくれる。

忘れっぽいおかげで、全然知らなかった素晴らしい新世界と出会う。

ほんとにカネッティが書いたんだろうか。

たった一通の手紙からはじまった一生

他にどんな補うことばも展開も必要としていない最小の物語。

忘れ去られたものは、密かに暖められているのだ。