夏の終わりにオーネット!:千野秀一トリオ + 川端稔 @graf salon
ひさしぶりに瀧道を歩く。夏バテやら雨やらで、丸2週間は歩いていなかった。
こないだの『ホープ県』でもらったビラで観に行くことに決めていたライブへ。『ホープ県』のBRIDGE即興勢が、そのまま北から中之島に漂着したかのような(…すいません)風情の企画である。
昼過ぎに梅田に出てはみたものの、日差しが容赦ないので、インターネットカフェで読書。最近、濃ゆい読書をしていない気がしていて、オリバー・サックスの『手話の世界へ』を読み返している。原題は「Seeing Voices」。代用言語どころではない手話の世界-まさに「こえをみる」言語としての手話と、その市民権を得るまでの長い道程を、サックスの明るく優しいが、もちろん厳しくもある筆致で書かれていて、少なくとも僕自身はこの本を読んで手話への無知が晴れた(いや晒されて清々しくなった)気がする。詳しい感想はここでは触れないほうがいいので、機会があれば詳しく。
夕暮れ時に「中之島線」工事中の中之島を漫ろ歩きつつ、会場へ向かう。実は前職でデザイン事務所にいたころ、正直営業なんだか制作なんだか日に日にわからなくなっていく日々だったんですが(どっちもおもしろかったんですが身体が保たかなった)、この大阪市と京阪電鉄の中之島線工事の前触れというか見取り図みたいなものを見る機会があって、正直こんな狭いとこにこれほどの利便性が必要なのかと仰天していた記憶があって、その感慨は、そういう狭い業界と全く関係のなくなった今でも変わらない。20分以内で徒歩で移動できる距離なのである。しかも夕暮れ時の風景など工事中であってさえ、割りと乙なのに。
10月には運行されるんだとか。
中之島の国立国際美術館の前にあるgraf BLDGは、昔から気付いてはいたし、インテリアのフロアなんかにちょこっと寄ったような覚えはあるが、1Fのサロンでライブもやっているとは初めて知りました。
こないだの『ホープ県』でも、2Fの「マンボカフェ」の空間が異常に嵌ったし、BRIDGEも元はレストランだった。加えて、ここ数日最近出版された『ナイロン100%』を読んでいてドキドキしている。どうもレストランとかカフェで、というより、ライブハウスのように「ステージVS客」とはっきり腑分けされていない親密な空間、というのが自分には心地よい。
ただし、『ナイロン100%』でも野々村氏がインタビューで回想しているんですが、カフェやらレストランというのは当然生演奏の音の反響やら吸音のことはまったく配慮できないリスクがあって、そこのところはあらためて確かにそうかも、と意識立っていたので、今夜も若干そこのところが気になった。
さて、フロントアクトは OORUTAICHI(オオルタイチ)と半野田拓による即興デュオ『ベレー帽』。
数年前、はじめてBRIDGEでFBIを観たときに、『ベレー帽』の変形CDが目にとまって、思わず買い求めてしまった。おもちゃ箱をひっくり返したような、という表現はすでにしてクリシェですが、そこに風が吹いていたというか、ハチャメチャだけどバラバラではない、というような難しいニュアンスの真摯な「遊び心」があった。
今夜の演奏も、OORUTAICHIが、ギター&ヴォイス→オカリナ→変な楽器(小さな太鼓状のものに紐と棒がついていて、紐の軋みや棒を弾く音が、その太鼓の中で小さな反響を起こす…ちっちゃなビリンバウみたいだった。)→ピアノ→ギター&ヴォイス、そして半野田拓が、ピアノ→ギター→サンプラー→ギターとスライドしていく構成でした。店内の反響というか吸音が気になったのははじめのギター2本のところで、OORUTAICHIの親指ピックで弾かれるギターの音がアタックばかり強すぎて、どうも演奏の全体像が伝わってこなかった。それが段々と場の響きと客の反応に慣れてか、中盤のサンプラーとピアノによる演奏では、クラウトロックのように硬質な浮遊感が醸されていた。個人的には昨年から半野田拓というギタリストのファンの「つもり」だが、考えてみれば、このひとは最初サンプラー奏者だった筈なのである。・・・なのにサンプラー演奏するのを観るのは初めて、という?
OORUTAICHIのヴォイス・パフォーマンスを聴いていると、この人は空気の中から言葉になりかけのなにかを掴みだしているんだなあ、と思ってしまう。或いは、たぶんこの人のパフォーマンスを観ているときだけ、そういう妄想を自分に許してやれるのだと思う。
尺がもう少し長ければおもしろい展開が「生えてきた」んじゃないかとも思うが、そこはフロントアクトなのだからしょうがない。
千野秀一トリオ(千野秀一:piano / 稲田誠:bass /楯川陽二郎:drums)+ 川端稔(soprano saxophone)
…しかし、例えスペースに制限があるからといっても、主役のピアニストが客に終始背を向けているステージって、どうなのよ…と万人が想うであろうことを、僕も思っておりましたが、演奏が始まるともう、どうでもいいです。しかも演奏されたレパートリーが…。
千野秀一さんは、ものすごいキャリアのミュージシャンだが、知ったのはやはり一昨年のFBIを通してでした。その間、とくに印象に残っていたのは昨年BRIDGEで催された『音遊びの会』でこどもたちと演奏をしておられる姿で、ともすれば演奏から注意がそれてしまいそうな子となんとか音楽を作ろうと音で誘い出そうとする姿でしたが、それと同時に、それ以外のFBIなどでの即興セッションでの共演者を突き放しつつ、音はきっちりみたいなクールネスもまた合わせ鏡のように印象付けられてはいたのでした。
トリオの中で知っていたのはベースの稲田誠氏で、この方も「ブラジル」とか「Suspiria」とか、とにかく旺盛な活動をしておられます。ゲストのソプラノ・サックス川端稔氏は先日の『ホープ県』で初見。今回は当然歌はなくソプラノサックスに専念されてました。
千野秀一さんはインプロ猛者という印象なので、そういわれると不思議なんですが、「ピアノ・トリオ」というのが初めての試みなんだとか。そしてそれは単にピアノトリオということではなくて、ジャズのコンポジションを演奏することに専念する編成という意味でもある様子。
4曲目にどうも聴いた覚えがあるなあ、と思っていたら、なんとオーネット・コールマンの「PEACE」だった!というのも千野さんのMCでわかったんですが。1・2曲目がカーラ・ブレイで3・4曲目がオーネット・コールマンの曲だったよう。3曲目はまったくわからなかった。数曲挟んでのラストは、お約束とばかりに「ロンリー・ウーマン」。もともとひしゃげきった哭きのキラー・フレーズを有するジャズ・クラシックですが(ですよね?)、ここで聴けた「淋しい女」は、さらに爆音であり、たぶん孤独をなんとも思っていないようなイイ女です、きっと。
この頃のジャズっていうのは、ジャズっぽくなくておもしろいんです。
と、たぶんそんなふうなことを千野さんは仰っていたと思うんですが、「この頃」っていうのがいつのは話なのかちょっと気になりました。
カーラ・ブレイとオーネットの活動期が重なるのって70年代過ぎるんじゃないのかな…などと。もちろん「PEACE」や「ロンリー・ウーマン」が演奏されたわけなので、オーネットがそのオリジナル・カルテットでアトランティックに吹き込んでいた頃-50年代末のお話なのかと思います。
そして、その意味でならば、確かにオーネットやドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルのカルテットの演奏は、ジャズというより速度とブラックネスを獲得したモダン・アートだったし、その意味であれば、オーネット・コールマンの当時のコンポジションは、ジャズのフォーマットにありったけの「フォーム」と「破線」を、「図と地」を限りなく曖昧にさせるような快楽を持ち込み続ける装置になっている(ように、当時を知らない僕にはそう聴こえる、そして、これは、「抽象表現主義」が単なる「抽象美術」になってしまう直前の最も快楽的な状態でもある)。だからこそ、ジャズ的な風情を担保しつつ、そこには沈みこまない「抜け」が、「回路」がそこにある。あり続ける。
ディドリー・ビートに酷似したベースラインの「Ramblin’」を聴いてみればいい(「世紀の変り目」に収録)。
そんなふうに、オーネット・コールマン・カルテットの演奏の快感を知ってしまったら、ほかのジャズメンとかジャズの闘士がいかにクールだろうと、政治的アヴァンギャルドだろうと、不感症になってしまう危険がある。比喩でもなんでもなく「おっぱずれた」オーネットのフレーズは、おっぱずれているが故に、双子のようだが若干ブルージーなフレーズのドン・チェリーのトランペット、不規則なリズムでクールな熱狂を刻むブラックウェル、その若さでそこまで悟りきっていいんかいと言いたくなるほど無慈悲なベースラインを究め尽す白人ジャズ青年ヘイデンをひきつれて、来るべきスウィングを目指し続ける。誤解ないように書き添えると、それは「遅延」でも「差延」でもなく「爆発し続けるジラし」である。
僕がマイルス・デイビスが今に至るまでよくわからないのはオーネット・コールマンのせいです。完全に。
オーネット・コールマン・カルテットの楽曲と編成をそのままにして、ただ高速ハードコアな演奏にして愛情を叩き込んだジョン・ゾーンは、そんな感情を誰よりもわかっていたのだ。
夏の終わりにこんな演奏を聴かされては、帰ってオーネットのアトランティック時代に聴き溺れて、こう呟くしかありません。
「Beauty Is a Rare Thing」。
川端さんはいつもはいないわけでしょうし、僕としては、千野秀一トリオでオーネット・コールマン・「カルテット」のコンポジションを編曲してガンガン演奏して欲しいです(できればローランド・カークなども)。
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もちろん「ナイロン100%」は、キャバレー・ボルテールではありえず、そしてCBGBでさえもないのだが。なぜこの時代にこんなに憧れがあるのだろう。
- 連帯感みたいなものが生まれたりはしませんでしたか?
Phew それはないです。それははっきり、即答で断言できます(笑)。だからすごく不思議なんですよ、。ナイロンの本ができるって。そういうものから最も遠いイメージというのかな。
この、ほとんど哀願に近い編集者ばるぼら氏の問いかけをばっさりと両断するPhewの「KY」コメントが、逆説的に80年代のすべてを包括しつつ、なお万感の想いがある(ように思いますが)。
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