みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

Who Makes Gloria Sings?:ビョルン・クラーケッグ『 Sidewalk View 』

nomrakenta2008-06-10


ギターって結構、聴くのに体力及び精神力を要する楽器なのだなあと感じることがある、ということを自覚し始めたのは最近で、それまではもちろん歪みきった大音量がバース・コーラス・バースのお約束を突進したり、フィードバックノイズに塗れている様を当然のように受け止めてきたし、今も自分の常温としてはそうなのですが、数年前から急に耳の重心がギターからベースに移ってしまって、即興音楽でもコントラバス奏者のそれを集めてみたり、ふちがみとふなとの演奏に聞惚れたりするようになって、どうもギターの音への接し方に、別の角度と距離が出来たような気がしていました。
例えばオーソドックスなジャズギターのソロを聴いていて、妙にざわざわして落ち着けなかったり、ヒーリング系のギターインストを聴いて就寝していたのが、急に眠れなくなったり、どうもギターって、基本的に不穏な楽器なんじゃないのかと思うようになった。で、自分でも変わっていると思うのが、デレク・ベイリーのそれこそ70年代くらいのインプロヴィゼーションを聴くと、これは吹っ切れていて逆に居直りの中で落ち着くというか、深呼吸できそうな感触なのである。
なので、ギターアルバムというものに割りと距離をとってきたりしたのですが、これはノルウェーのギタリスト、ビョルン・クラーケッグ の(サイトを見る限り)自身のレーベルを立ち上げてのソロ3作目『Sidewalk View』。「路上の眺め」という直球なタイトルと体重計一回いくら?みたいな良い感じのモノクロ写真につられて購入。しかし、この人は初見(もとい初聴)ではない。2000年くらいにこの人の『Gloria』というソロを聴いたことがあったのだった。

Gloria

Gloria

たしか「グロリア」というのは自作の木製ギターの名前だったかと思うのですけど、とにかくこの「Gloria」というアルバムは、最小限のギター、自作楽器、共演者のパーカッションなどで点描的な音景を作り出していて、透明な佇まいながら気の置けないギターアルバムだった。これを「癒し」とか単純言ってはいけないなと思っていた。
ソロ2作目は飛ばしてしまっているのだけれど、手にとってみた本作は、いい意味で「北欧ジャズ」的な空気を若干裏切っているように思えて、その裏切り方が、とてもまっとうに「音楽している」と思えた。ぱっと通して聴いたときの印象が、「ミミョ〜ンとならないビル・フリゼール」といった感じで、Townes Van Zandtに捧げられた曲が冒頭に置かれていたりで、かなりアメリカーナな志向を感じますが、とってつけたようなところは一切ありません。ギターの節回しも点描どころか饒舌だともいえるのだけれど、パーカッションやハーモニウム、トランペットなどのアンサンブルの中にしっかりと溶け込んでいます。
繊細な神経と過不足ないテクニックで、あるべき音・鳴るべき音がそこで息づいていることを感じさせてくれるアルバム。
インプロヴィゼーション(紙ジャケット仕様)

インプロヴィゼーション(紙ジャケット仕様)