「うた」の浸透圧を、ふちがみとふなと&外山明『はじめまして』に観る。
先日行った『春一番』の会場物販で購入したDVD(1000円)を晩御飯のあとに観てみました。
これは、東京渋谷O−NESTで今年1月に開催された高円寺の『円盤』主催による5周年記念円盤ジャンボリーSPECIAL!! での、全部で20数分の短いセッションの記録です。外山明氏とは事前リハーサル完全に無しで、まさに「はじめまして」状態で、この映像に納められた4,5曲を演奏した模様。
『わたしにおこると思わなかったこと』、『ママの山羊は十匹』、『はじめまして』など、「ふちがみとふなと」ファンならお馴染みの曲が、普段とはまた異なって即興的な緊張感を伴って聴けます。カメラが客席からではなくて、ステージ袖の外山氏のドラムセット側から演奏を捉えているのも、外山氏のドラムプレイの細部がよく観れて良いかと。
外山明氏は、昨年のBRIDGEでの最後の『フェスティバル・ビヨンド・イノセンス(FBI)』でその演奏を始めて観ました。
特に、3日目での野村誠氏とのセッション(これも初顔合わせだったとのことでした)で、どんどん「音楽」から「パフォーマンス」へはみ出してハラハラさせる野村誠氏に、ドラムの言語で応戦していく様子が印象に残っており(多少「しょうがないなあ」というニュアンスもあったようにも)、外山氏のヴォキャブラリーの多さに感心してしまいました。
そんな外山氏が「はじめまして」であれ、「ふちふな」の楽曲のタイム感覚を掴めないわけがないわけで、その意味では外さない演奏だとも思いますが、それ以上に「ふちふな」外山氏双方が即興での「外しあい」にも楽しみを感じ合っている(ように思える)のが興味深い。多分、ドラムマシーンのように曲に合うビートを探し当てる、など外山氏には簡単なことだと思うのですが、決してそうはしない。マーチ風の曲でもいわゆる「ズタタ、ズタタ」っていうのは極力最小限で、「うた」の隙間隙間を縫って、コントラバスのうねりに寄り添うように、「ふちふな」の音楽をビートで平面化するのではなく、もし「ふちふな」の音楽に「充填された寡黙さ」(多くは編成からくるもの?)があるとしたら、それに可変的な隙間を与えて、活発な透明の生き物ように伸び縮みさせているような錯覚がありました。
ドラムスティックをもって何かを叩けばそれがドラム演奏になってしまうというのは、余程その人の身体が「音楽」で漲っていなければ無理な筈であり、外山氏の演奏はその稀有な例をみせてくれます。シンバルの上部をスティックで弧を描くように撫ぜることでとてもおもしろい効果音を出したり、勢いがついてくると自分の座っていたシートまで叩く瞬間がありますが、それでもビートを崩したりはしません。というか、それは聴き誤ることなく「音楽」であって、観たことありませんがハン・ベニンクのドラム・プレイって、こんな感じなんだろか、とぼんやり思ったりも。
外山氏と船戸氏のコントラバスが、即興演奏的にバトルしだすところもあり、そこでは渕上さんはすっ、と身を引いている。「ふちふな」を聴くと、いつもコントラバスの伴奏のみでよくあんなに音程が維持できるなあと、ど素人ながら渕上さんの「みみ」に感心してしまうのですが、今回のこの「はじめまして」、ドラムがあるからといって決してビートの整合性がでてきているのではなくて、即興セッション的な不規則な振幅が多くなっていて、船戸氏のコントラバスも外山氏の即興性に浸透して、まあ言ってみれば「不定形」になっているところが若干多い、にも関わらず渕上さんの歌はまったくひるまず、演奏を貫流するものになっています。
絶妙な空気の中、三人が音楽を縫い合わせていくのを観るような、贅沢な20分といえるかと。
「ふちふな」の音楽は、そのヴォーカル・鳴り物・鍵盤ハーモニカ×コントラバスという最小編成とどこか懐かしい曲想(もちろん笑いもありますが)から、とてもフラジャイルなようでいて、強靭な「うた」である、と常々思っていたのですが、ちょっと甘かった。弱さ・小ささを感じるのは、実は観る者の勝手であって、「うた」の強靭さと生硬く言ってしまうものは、この「はじめまして」での演奏のように、柔軟さが続いていく・生き延びていくその動詞的なすがたのことなのだ。
「です・ます」ではじめて、そのまま終わろうと思っていたのだけれど、やっぱり「なのだ」で終わってしまった。まだまだ修行が足りない私(なのでした)。