雨の中のいきもの1
子牛の頭ほどの大きさで、ぼんやりとした光彩をもった「のびあがり」*1は、御幣を丸めた塵とクラゲと毬藻の間の何かとしてなんとなく夢圧縮変形された菌類らしいが、とにかく他所でみかけない生き物であることは確かで、その目も鼻も手足もなく、適当に丸まってみましたというぼんやりとした形態からいって、自分としては、生き物と呼ぶのに非常に躊躇いを感じるわけだが、申し合わせたように同時刻に谷から雨の崖の空高く群れなして浮かびあがっていく様子をみるのは、とりあえずそれしか暇つぶしがないのだから、調度いい、としておくしかない。
土地のものの中にはこれをただ「まあるいもの」と呼んでいるものもいるようだ。もともと住民にとっては「まあるいもの」程度のありふれた景色の一部であったようで、「のびあがり」とはどうも外部から訪れた人間がつけた呼称であるようだ。
干肉のかけらを、ふやかし油で十倍の大きさにして十倍の時間をかけてちびちびと齧るのにも、もう正直飽きがきたのではあるが、視界の端から端まで立ち塞がる道のない険しい山に、文字通り手も足も出ない身としては、「のびあがり」が一斉にゆっくりと浮遊して山を越えていくのを、虚脱した羨望の目でぼんやりと眺めて追っていくしかない。
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このおだやかで暖かい雨の底のような集落の住民はみな、腰骨から自分の身体がすっぽりとおさまる傘を生やしている。
傘を拡げれば、よく風をはらみ、一人ならその揚力でもって浮遊し、山を越えることができる。
週に一度はそのようにして、彼らは集落では手に入らない食料を求めて山の向こうへ浮かんでいくのだが、同時に一ヶ月前に飛び立っていった者が戻ってきて入れ替わりになるので、深刻な人手不足にはならないようなのである。そのようにして、生活に必要な浮遊旅行を行ってきたのである。
しかし、自分にはそんな便利なものは当然ないのであって。
それどころか通常の傘の一本・雨具の一つすら持たずにこの集落に到着してしまったため、突然雨季がはじまったこの一週間というもの、濡れっ放しである。
住民は、そんな自分をみて気の毒がってはくれる。皆一応に穏やかで屈託のない人柄で、人を疑うということを知らずあれこれと親身になってはくれる。しかし、彼らとて、もう一人余分に抱えてまで浮き上がれるほどの傘ではないのである。いちど数名がかりでハンモックを吊るして自分を運送してもらえまいかと提案してみたが、一様にあいまいな笑顔で拒絶された。傘での浮遊に関しては奇妙な、しかし厳とした個人主義があるようだった。
困った。こんなところで足止めを喰らうとは。
はっきりわかりやすすぎるくらいに困った。どうしても今月中にこの山を越えて、マインドマップデータが入ったこのフラッシュメモリーを粉挽きに届けなくてはいけないのである。そうすれば、株で損した分を取り返せるだけではなく、先々の目処もたつくらいの饅頭を手に入れることができるというのに。
のたうちまわって無い頭を絞っても妙案は出ず、ふて腐れ、安酒にふやかし油を混入してたちの悪い酔いをして、自分と同じようにこの集落まで来て足止めをくっている旅人となんやかやと揉め事を起こして、周囲に煙たがれるという嫌なサイクルが出来上がり、それすら心地よいものに感じ始める堕落のうちに歳月が過ぎた。
なんども雨季を過ごした。
そのうちに、親切に介抱してくれた娘と結婚して、集落の外れに住まいを持つようにもなった。
そのうちに、時々集落を訪れる隊商と土地のひととの間に入って、ぼられないように固形燃料や保存食、グラビア雑誌や化粧品、iPodを手にいれてやると、これまでの悪行もなんとか忘れて次第に感謝さえ向けてもらえるようになり、ついに集落の男衆にも加えてもらえたりして、生活が落ち着きを取り戻すようになった。
思えば、こんな安定感のある暮らしは生まれてはじめての経験である。
Darkness at Noon [12 inch Analog]
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この雨の底の集落に、腰を落ち着けるのも悪くはないとも思うようになった2年目の雨季に、「のびあがり」たちが、いっせいにぶるぶるっと身を震わせたように見えた後、山の頂にむかってゆったりと浮上しはじめたとき、はたと思いついた。
巨大な「のびあがり」がいれば、それにつかまって山を越えられるのではないのか、と。
そのあとの数年は、「のびあがり」の胞子をあらゆるパターンで混ぜ合わせてみることに費やされたが、なかなか上手くはいかない。あるものは子犬一匹乗せて浮上するにたる大きさにはなったが、浮上せずにそのまま朽ち、泥水へと変わり果てた。
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また歳月が流れた。
子供がもう大きくなってきた。子供の腰にはやはり、やがて傘となる骨の突起があるが、自分の血が混ざっているので、浮かべるほど大きくはならないとユタの婆にはいわれた。この子はここの住民と全く同じ暮らしができるわけではない。また、自分のようによそ者として割り切って生きていけるわけでもなかろう。今はピンクの肉桂のような小さな傘も、不憫であればなおさら自分には可愛いものに思える。
解決というものは、ふいにやってくるものらしい。
7年目の雨季に、隊商から、新しいふやかし油を手に入れた。それは自分がはじめてここに持ってきたものからは想像もできないくらい強力で、さらに数種を混ぜ合わせると、爆発的な力を発揮するのだった。故郷ではテロリストがさかんに使用したりもするらしい。もはや帰りたいなど露とも感じなくなっている自分がいた。
結局、このふやかし油の微妙な調合を決定し、その中に浸しての「のびあがり」培養を数世代にわたって行ったところ、大人一人乗せて浮かぶのに十分耐えうる「のびあがり」を作り出すことに成功した。すぐ腐れ死んだりするどころか、2年経っても生きているので、とりあえずこれで上手くいきそうな心持ちだ。
この話の結末としては、2種類考えることができる、と夢から醒めて思っていた。
- 初志を貫徹し、巨大な「のびあがり」にまたがって雨の降りしきる中、ゆっくりと浮き上がり山を越えていく。
BGMには、ビル・フリゼールが演奏するマドンナの『Live To Tell』が流れる。
- しかし、そのころには、この運送方法を事業化して軌道にのせることの方が重要になってしまった。
BGMには、同じくフリゼールの弾くジョン・ハイアットの『Have a Little Faith in Me』が流れる。
しかし、今ここまで興にまかせて書いてみると、両者を統合したかたちもありえる。
- 初志は貫徹する。しかし、妻と寄り添って見守る自分の代わりに「のびあがり」にまたがって山越えを目指すのは、息子である。息子は、思い切って半端な傘を切り落とし、山の向こうの新世界を目指すのである。「のびあがり」の事を、これからは私も「まあるいもの」と呼ぼう。
BGMには、最初の数分はフリゼールの弾くディランの『Just Like a Woman』だが、その後ファウストの『It's a Rainy Day, Sunshine Girl』に切り替わる。
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のっけからよくわからなかったと思いますが、夢を見た直後は、自分の中では自明のことなのですが、書き出してみると、人様に読んでいただくには一切の約束事を欠いていて、多少なりとも「おはなし」のような形にするには、緩衝材や接着剤をつけ加えざるを得ません。そうすると夢の純度も落ちて、次第に自意識が勝って濁ってくるようで、それがやっかいなものです。
とりあえず「のびあがり」と「ふやかし油」というアイテムを冒頭に書いておかないと、以後の妄想話にまったく意味がなくなるので、ふわふわした心持とはかなり隔たった思いをしなくてはいけません。しかし、当然夢の中ではこのような説明描写は一切なくて、自分は暖かい雨の降る谷間にいて途方に暮れていて、住民はニコニコしながら尾てい骨から大きな傘を生やして浮かんでいるのです。
尻から傘を生やした人々というのも、書いてみると戯言でしかありませんが、確かに夢の中ではリアリティを度外視して存在しているのです、というか存在を歓待されているようであったのです。彼らが飛んでいくさまは、イメージ的は、メリーポピンズ・・・。あの幸福な浮遊感が、フラッシュバックしているのだと思う。そして、醸そうとしてみごとに失敗している旅人ちっくな「夢人称」の出所はといえば、筒井康隆の『旅のラゴス』。これしか思い当たりません。子供心にあの小説はショックでした。
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しかし、話の落ちとしては、なんだか『砂の女』っぽくもあるな・・・。
各CDのAmazonリンクは、このエントリーを書いていたときのBGMです。
こんな夢を見たのも、おそらくは昨夜こんな本のこんな一節に驚愕したからなのかもしれません。
- 作者: ニコラスマネー,Nicholas P. Money,小川真
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アメリカで担子菌の一種、ナラタケの仲間の巨大な菌糸体が見つかったことがあります。無数の菌糸からできている菌糸体の周辺部では、菌糸が土の中に広がって有機物を分解したり、木の根に侵入したりしながら、何千年にもわたって森林の中を移動していたと考えられます。
もっとも普通の状態では、種の異なる菌糸体が同じ場所で重なり合って成長しているので、土の中を調べて、ある種の菌が広がった跡をたどるのは難しいとされています。幸い、地表に出ている子実体は土の中の親、つまり菌糸体と遺伝的にはまったく同じですから、キノコを集めて分析すれば、目に見えない菌糸体の広がりをたどることができます。この方法で調べた結果、ミシガンの巨大なコロニーは十五ヘクタールにわたって広がり、そのバイオマスはシロナガスクジラ一頭分に匹敵することがわかりました。
ごく最近、怪物のようなナラタケの仲間がオレゴン州東部のブルーマウンテンで見つかりましたが、それは優に二二〇〇エーカーの土地に広がっていたと言います。このコロニーがいつの日か、シベリアの広大な森林に広がる仲間と出あうだろうと言われても、私は驚きません。この菌糸体の大きさとコロニーが拡大する速さから見て、オレゴン州にあった菌の年齢は、二四〇〇年から七二〇〇年の間になると、推定されました。今のところ、このナラタケの一種が、その好敵手のアメリカヤマナラシを抑えて、世界最大の生物というタイトルを守っています。
―――ニコラス・マネー著『ふしぎな生きもの カビ・キノコ』第3話菌糸成長のメカニズム p77-78
すごい、とおもいませんか?
- 作者: 筒井康隆
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*1:「のびあがり」というのは、たしか四国の妖怪の名前だったと思います。