みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

mukashi,mukashi,雲のうえで、メアリーを待っている:『キノコの合唱』読み始める、ペル・ユビュ『Cloudland』

雑用に追われ、自分の仕事ができずに終わる。その雑用の数々も、自分のペースでやれれば、「自分の仕事」なわけですが、そこまでいえないもどかしさが。

電車の中と昼休みは、アマゾンから取り寄せたHiromi Gotoの『キノコの合唱(Chorus of Mushrooms)』を読み始める。『崩壊ホームレス』は重いので、就寝前用なのだ(・・・誰に弁解しとるのか?)。

Chorus of Mushrooms (Nunatak Series)

Chorus of Mushrooms (Nunatak Series)

当然原文英語ですが、結構読みやすい文章で助かる。先に小説自身のガイドラインも含めて詳細に扱った論文を読んでからなので、そう思えるのか。原文のところどころに「おばあちゃん」の話す日本語が『Mukashi,Mukashi,Oomukashi・・・』など、そのままローマ字表記ではさみこまれている。民話の「語り手」による再話が物語自体の再生を促す、といった道具立ては、たとえば大江健三郎の『同時代ゲーム』やその「語りなおし」としての『M/Tと森のフシギの物語』がこれ以上なかろうというほど誠実に、豊かに(と私は思っています)使い倒した手ではありますが(祖母の「とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?」という語りはじめ)、これは日本語と異なる言語圏でいきなりコラージュのように挟み込んでいるわけで、平均的なアメリカの読者が理解しながら読めたとは思えず(日系アメリカ人カナダ人が主な読者だったのかもしれないが)、また意味を剥ぎ取った呪文のような音声主体の効果を著者も狙っていなかったとも言えなさそうに思えるので、これはこれで面白く読めそうな気が。


帰宅後、先月購入していたペル・ユビュの1987年作『Cloudland』を聴く。

Cloudland

Cloudland

昨年暮れにペル・ユビュの1980年代のアルバムがリイシューされたが、その一枚。パンク前夜のクリーブランドで産声をあげて、30年以上のキャリアをもつ怪物バンドなわけですが、自分自身「伝説の」ペル・ユビュの、たとえば「Final Solution」や「Heart of Darkness」といった伝説の曲を聴いたのは、1990年代も暮れる頃に、やっと再評価でボックスセットが出た時だった。
Datapanik in the Year Zero

Datapanik in the Year Zero

そのあたりの初期のペル・ユビュの曲というのは(特に「Final Solution」は)見事なアート・パンクの古典なので今でもカヴァーされているみたい(YouTubeでいくつか画像が。)
1997年というのは、個人的な経験ではだんだんNYのアングラ・シーン(後に「グランジ」「オルタナ」という言葉に回収されてしまう前の)がおもしろいと思っていた時で、そのころリリースされた本作「Cloudland」は聴きのがしていたのだけれど、同時期リリースの『Tenement Year』は、そのポップさが自分にとっては半端なものに聴こえてしまったので、素通りしていた。
しかし、ペル・ユビュなのである。その何重にもひねくれた具合の絶妙さの、その実一本気なところなど、いきなり餓鬼に理解できる筈がない。
今日あらためて(いや、はじめて)聴く(向き合う)『Cloudland』のポップさを決して上手く表現することはできません。しかしあえて書いてみるとすれば、あまりに多くの表現欲を抱え込みながら「ポップス」であることを引き受ける姿勢が、ペル・ユビュを、デビッド・トーマスを、何よりも「ポップス」から超然と際立たせてしまうというパラドックス。その、「伝える/伝えない≠伝わる/伝わらない」の葛藤と逡巡と憤激を何千回も繰り返してきたバンドだからこそ持てるほとんど奇跡に近い強さが、やはりこの1987年の時点でのペル・ユビュにはあったのだと。
良くも悪くもデビッド・トーマスの歌、そして過剰なまでに演劇的な身振りがペル・ユビュの最大の個性でもあり障壁でもありますが、今はそのブライアン・ウィルソンにも似た「音楽への稚気」が素直に感じ取れます。いや、受け取らなければ。
最初期の「Final Solution」にしたところで、そのへんのパンクバンドがやれば、ユーモアを欠いてほとんどネオナチかぶれの「白人の餓鬼のブルーズ」(リディア・ランチ)でしかないが(太って禿げる前のピーター・マーフィーのヴァージョンが唯一ギリギリのライン)、トーマスの鬼気迫る異貌による飄けたパフォーマンスあってこそ、特異な音楽のメッセージになり得ていた筈なのだ。

こちらは収録の名曲「メアリーを待ちながら」の映像。昔デビッド・サンボーンがホストをやっていた『Night Music』でのライブ。ゲストがペル・ユビュはもちろん、フィリップ・グラスにデボラ・ハリーとはなんたる・・・

一日の終わりに聴く曲としては、悪くない。
そういえばメジャー進出したてのソニック・ユースも同番組に出演してイギー・ポップと「I Wanna Be Your Dog」を演奏して締めくくっていましたっけ。