みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

いつだって、うってつけの日

nomrakenta2008-01-19


こんな(ベタな)ことはあんまり書かない。
なんどかこのブログでも古い友達4人でも仲間内だけのCDコンピを企画・編集を持ちまわってやっていることは書いてました。
なんというか、中学生が自分で編集したテープを友だちに渡すようなそんなアナログなコミュニケーションを今になってやっているわけですが、これが酒の肴には相当、いい。かれこれ8回ほどやっている計算になる。年が明けてその最新のものができて、それを今聴いています。今回の企画は、個人的なリスナー遍歴というものでした。それも、4人それぞれCD一枚という結構な分量で。
年齢が同じなので、聴いてきた音楽は80年代からほぼ共通した基盤(アニソンが多いのは僕等の年代だと仕様がない)の筈なんですが、それぞれの感性の違いもあって見事に各人の「色」が出ていておもしろい。これはないだろ、とかこれ聴くのは15年ぶり、とかそういう話をしながら、仕事の話なんかもしながら、酒をのみます。
久しぶりに聴いた歌のひとつにこれがありました。

いまのうちにしなけりゃ
後がないのさ俺には
知らずに立っているここは
誰かが捨てた崖っぷち 
--泉谷しげる『果てしなき欲望』

この曲は憶えている。「ミュージックトマト」かなんだかでミュージッククリップを何度も観た筈だ。これを選んだ友人は尾崎豊は受け付けなかったけれども、泉谷ならいけた、と書いているのがおもしろい。尾崎豊は、曲は割りと屈折の痕跡が感じられるのに、当時の立ち位置としては「いつも正しいこと言って煙たがれる生徒会長」という感じもあった。
泉谷しげるは、自分の中学の頃、SIONかなんかがリスペクトを送っていたので、聴く機会が出来てた。それは泉谷しげるとしては音楽生活の最後の勝負の時期だったわけだけれど、こちらは当然、フォーク時代のことなど知らなかった。こちらにとってはとにかく濃いオヤジさんとして、バンドブームというわけのわからないものやって来るか来ないかのその頃、泉谷は大人の男の「吠える」をかたちにした何枚のアルバムを出していたと思う。当たり障りのよいのと正反対、なりふり構わない泉谷という男の言動に、「おとなしい」僕等の世代はショックを受けていたと思う。
引用した歌詞の、「誰かが捨てた崖っぷち」というのが、今聴いて、いい。たしかに結局のところ、自分で周到に用意できるものなど、ふたをあけてみると自分でもどうでもよかったものでしかない。必要なこと・ものとして自分が取り組むことになるものというのは、つねに/すでに誰かが用意しきれなかった/ないでいるものなのだ。
久しぶりに聴くこの歌は、その頃は気付きもしなかった泉谷しげるという歌い手の当時の心境を窺わせてくれたのだけれど、優れた歌詞の殆どがそうであるように、極めてパーソナルでありながら、どんな人間にもどんなタイミングでも口ずさまないまでも胸のなかで反芻すべきだと思わせてくれる。
こういうことを書くのは、当たり前に過ぎる部分があって気恥ずかしいけれど、この「崖っぷち」は、その前の「後がないのさ俺には」へ動機として絶えず逆流し続けている。

誰でも、人間はいつだって、なにかちょうどいい時季にいるものだ。
--ジョン・ケージの発言 小沼純一 編『武満徹 対談選』p.108

最近、ちくま学芸文庫から出たものをぺらぺらめくっているとこの言葉に出くわしました。なにやら人生の直感的な把握をいっているような感じですが、そのあとこんな風に続きます。

キノコの時季というのはきわめて短い。地上に姿を見せるやいなや、もう腐敗ははじまる。だから、もし君がキノコをひとつ見つけたとしたら、それはちょうどいい頃合いに巡りあったということになるんだ。
--同上

キノコの話なんですね。でも、バナナフィッシュにさえうってつけの日があるように、人はいつだってなにかちょうどいい時期にいるものなのだ、考えようによっては。どうも最近仕事も内容が大きく変わりそうな気配がしているのでそんな風に思うのか。

武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事 (ちくま学芸文庫)

武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事 (ちくま学芸文庫)

対談というものを活字にして読むと、その愉しみは一気に行間を読む、というかその場の空気を頭の中で再創造する方向にフォーカスされますが、最初の黒柳徹子との対談なんか、かなり気になる。

黒柳 そうだ、武満さんの徹っていうのは、あたくしの徹子とおんなじ字なのね。ほ、ほ、ほ・・・・・・。武満さんの作品は、もうずいぶんたくさん外国で演奏されてるでしょ?
武満 そうですね。それ、いいことか悪いことかわかんないけれど、外国で演奏されるほうが、ずーっと多いでしょう。
黒柳 ねえ。
武満 まあ、ほんとうは日本で演奏されたほうが、いいと思いますけどね。
黒柳 あたくしなんか、非常に、一般的って言うと変ですけど、ぜんぜん音楽的じゃないので。
武満 とんでもないですよ。
黒柳 武満さんの音楽っていうとね、"パシッ"とかね、"ビーンヨヨン"とかね、ああいうふうに思うんだけど、それはいやなこと?そういうのばっかり言われちゃうと。
武満 それが目立つんでしょう。僕はね、どっちかっていうと非常にロマンティックで、自分では、僕の音楽はほんとに、ショパンの音楽のようだと思ってますけどね。(笑)でも、だいたいそういうふうに言われてますね。

--小沼純一 編『武満徹 対談選』p.11

字面にするとそうとう間が抜けている部類の筈なのに見事に武満徹という人の来歴を圧縮して語らせてしまっている。「ほ、ほ、ほ・・・・」からの切り込み方の何気なさは、武満徹という人のひたむきな性格を割り引いても尋常ではないのでは、と・・・。やはり黒柳徹子という人の「対談力」の密度が思い知らされる。