夢みる頃を過ぎても夢はみる:「美大惑星」序章
『美大惑星』という夢をみた。惑星全体が美術大学*1の構内という非常に野心的な設定だった。あんまり奇妙だったのでブログにみた夢のはなしを書くという愚行権を行使して、その余韻を甘噛みしてみたいと思う。
まず、夢にタイトルがあるというのが妙な話かもしれないが、その原因ははっきりしていて、夢を見終わった直後、起きぬけの寝ぼけ頭で思いついたもので、茫漠とした印象から、故・石森章太郎の『番長惑星』というマンガと、CMの『化粧惑星』とを思い浮かべて「それじゃ今のは『美大惑星』だな」と思ったせいだ。
夢の印象自体は茫漠かつ混沌としたもので、タイトルを思いついてはじめて珍妙な印象に収まるというのもおもしろい。
この『美大惑星』では、住民は皆、不法占拠者のようで、政府なり大学らしく講義が行われている様子はない。では、なぜ「美大」なのかというと、大陸全土を覆うコンクリート建物の廃墟の印象*2が、学生時代に何度か見に行った美大の、特に美術学部の常時文化祭前の準備中といった雰囲気だったから、というのと、住民が皆、そこらじゅうの壁にタグを描きまくる(絵描き)とか廃材を組み合わせる無意味なオブジェをつくる(彫刻家)とか廃材を組み合わせて音の出るものをつくる(音楽家)だったので、そういう印象が形成されたのだと思う。
この連中は、貧乏で血の気の多い美術彫刻学部国、セレブな音楽学部国、おたくな文芸学部国という風に分かたれているとか、あるいは学部ごとに社会階層化しているとか、そういうありがちな設定になっているのかといえばそういうこともなく、それぞれの特技を活かして異学部混成集団を形成していて、互いに他集団の人間を拉致・懐柔したり、他の集団の開催する「芸術」イベントに乱入し破壊的な行為に及ぶかと思えば落書きの規模やほら貝の演奏で「抗争」を繰り広げるという、なにか炭酸の抜けた「北斗の拳」のような世界なのであった。
よくわからないのは、それぞれの集団が何をもって他と自分たちを区別しているのかで、雑多な寄せ集めであることに関して全ての集団は何ら変わるところが無く、そして血縁集団でも地理的共同体でもなさそうなのである。多分一番近いのは「サークル活動」かもしれない。夢だけに説明義務がないわけで単に「考えていなかった」のだろう。
夢特有の物語人称の激しい移り変わりがまたおもしろく、さっきA集団のリーダーだったかと思うと、訳知り顔で話の展開を語る作者のような俯瞰で、惑星大の廃墟をロングショットで眺めたかと思うと、次の瞬間はA集団に拉致された美少女になっており、目が覚める直前は「マッドマックス2」の如き無頼の主人公にシフトして無理矢理話に流れをつけようとしたりするのであった。この辺りで「たいがいにキリのない話やね」という意識による睡眠言語態への介入が始まったようである。
夢というものが無意識の欲望の噴出であるとして、無意識の欲求を特定しようという態度は今では明らかに言語のユートピアでしかないように思える。
自分としては、夢は単に壊れた再生装置が気まぐれに投影するもので、多分に体調によるものだくらいの認識で調度よいのだろうと思っている。
はじめ、鈴木志郎康さんの夢を踏み台にしてイメージを凝集した名エッセイ『浴室にて、鰐が』(思潮社刊の「鈴木志郎康詩集」に収録)のような文章を書いてみようと思ったのだが、描き始めた瞬間にそうはならないと悟った次第です。
いや、迷文で申し訳ありませんでした。最後までお読みいただき恐縮です。
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こういう夢を見るのは子供の頃にこんな本を読んだ素地のせいかもしれない。
→石原藤夫『ハイウェイ惑星』
*1:ちなみに私は美術大学に入学したことも卒業したこともない。受験したことはありますが。
*2:この辺は多分、ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』とジョン・バースの『やぎ少年ジャイルズ』(大学国家でやぎに育てられた少年の話)の印象が敷衍されたものではないかと思う