みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

いわゆる「おかえり」という感覚:ザ・シー・アンド・ケイク『エヴリバディ』

Everybody

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正確にいうと「おかえり」というよりも、「やっぱりこういう感じでしょ」といった方がいい種類の、昔が忘れられない困った感情なのだとは思う。
多少マンネリ気味のバンドサウンドの巻き返しを図った作品、といってしまえばそれまでだし、そう見做す洋楽ファン(って今も言うのだろか)も多かろう。そんな風にさえ思わず無条件に受け入れる人を、むしろ俺は信じられない。

とにかく、最近(といってももう10年くらい)のシー・アンド・ケイクのアルバムには愛着が湧かなかった。正直、金出して買ったのはたしか97年の『ザ・フォーン』までで、その後の『ウイ』や『ワンベッドルーム』は試聴して、「こう来たか」という感慨もなく「そりゃそうだろうな」という感じであって、そのままレジには持っていかずに終わるものだった。聴くべき音楽は他にいくらでもあった。
ここ数年のシー・アンド・ケイクには、なんというか、とどまっているように感じられて、そのとどまり方が彼らの洗練されたスタイルなのは大変よくわかるし、バンド自体が各方面で活躍するメンバーの中継地であることもよくわかってはいたんだけれど、そういった洗練さを求めるなら、俺はモダンジャズを聴いてしまうのであって、いまひとつ彼らに何か伝える気持ちがあるのか疑う気持ちさえ抱いていた。
なんだか思いっきり否定的なことを書いてしまったのだけれど、しかし、少なくとも、ファースト『The Sea & Cake』とセカンドの『Nassau』まで(『Biz』を加えてもいい)は俺にとって彼らは「ポストロック」なんぞではなくて、90年代に入ってオルタナなロックが取りこぼしてきた微妙な機微を掬い取って投げ出していくそのさまが心地よく、痛快ですらある本当の「ロックバンド」だった。そもそも俺にとっては、カクテルズは置いておくとして、極私的な評価として「さかな」と同格でもある、あの「シュリンプ・ボート」の延長線にあるバンドだったのだし。

彼らの、間違っても拳を振り上げたりしない大人なサウンドやどれも秀逸なアートワーク(彼ら、というかシカゴ周辺のアーティストの素晴らしいジャケがなかったら、90年代LPを買ったりしなかったと思う)、ジャズやらフォークやらブルーグラスやらジャムバンドやらの影響だとか共通点から、彼らがいかに従来のロックのスタイルから洗練されつつ「ルーツ」なバンドなのか、言い募るのはたやすい。しかしそのとき、その人は、基本的にロックが混淆したものを「他者」のいる方向へ投げ出していくスピードそのものであって、実のところ「音楽」でさえなくていいこと、そんな開かれた回路が「ロック」である事を忘れている。要は、大昔「ブライアン・イーノはロックやった方がおもしろい」と言い放った誰かと同じことがいいたいのかもしれない。
まったく個人的に幸せな思い出とともに、当時の俺の耳を捉えて話さなかったのは、そんなもろもろの要素とバックグランドを軽快かつタイトにつなげていく彼らの演奏のスピードであり、それは諸要素が豊かであるだけに、かえって官能的なほど「速く」感じとれた。それが時々、他のどんなバンドよりもヴェルヴェッツっぽく聴こえてしまう辺りももちろん含めて、それが俺にとってたまらなく「ロック」だったのであり、それが表面上後退してしまい、彼らがおそらくはこのバンドをそれぞれの活動のホームグラウンドとして捉えて、洗練の極みに向かっていった時、俺の心は反応しなくなってしまった。
本作では、サム・プレコップ自身が語っている通り、その感覚が戻ってきている。というより、漲っている。基底材も猛り狂っている。しかもクールに。キンクスに影響を受けた云々がライナーに載っていた。確かに9曲目の『Left On』のリフは、『Victoria』そっくりに思える。しかしクールにうねるサウンドインタープレイが、彼ら以外では期待できない音の場をつくっている。
本作でもってザ・シー・アンド・ケイクが昔のサウンドに戻る、とか、そういった言説もまたナンセンスだ。また新しい形で、彼ら得意の「まどろみ」の中に還っていくだろう。身についた繊細さや洗練は変えられる種類のものではない。
でも、とりあえずは、おかえり。「It's a Rock Album」(サム・プレコップ)。

The Sea and Cake

The Sea and Cake