みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

春の怪物:小谷美紗子『Quarter note 2nd』『グエムル 漢江の怪物』

nomrakenta2007-03-31



近所の坂は、毎年桜の時期になると通行量が増え(路駐により)渋滞してしまう「桜坂」です。
今日昼過ぎに通りかかったらもう桜が咲きはじめていた。

どうやら4月に間に合った。

実は昨年まで家の前にも箕面市が植えた桜の木があったんですけど、年数が経って幹がスポンジ状態になってしまったらしく、とうとう切り倒された。今年からは近所の桜といえばこの桜並木が最寄ということに。
今まで贅沢だったわけなので、いいんですけど。

小谷美紗子に関する体験は、『Adore』の一曲目「まだ赤い」がタワレコでかかっているのを聴いてびっくりして聴き始めたという浅いものですが、このベスト盤にも収録されている『エリート通り』という曲はおそろしい曲です。おそろしいことを歌っているのにむやみに希望に向かって突き進んでいくようなところのある曲でもある。


Quarternote 2nd-THE BEST OF ODANI MISAKO 1996-2003-

Quarternote 2nd-THE BEST OF ODANI MISAKO 1996-2003-

小谷美紗子の凄さは、「魂の真実の歌」みたいなありきたりなところにあるのではなく、少なくとも自分にとっては、にっちもさっちもいかなくなるような歌詞を童女のような声で、上級のポップマナーで歌いあげてしまえるところ。それと、どこか中島みゆきニルヴァーナミッシングリンクを埋めているような(とはいえ、中島みゆきよりはニルヴァーナの方に重心があるような)ところだと思う。・・・もちろん、もともと中島みゆきニルヴァーナが同根だと言い切れる人には意味のない喩えですけれど。
アンビバレントでエモーショナルなところに惹きつけられるコアなファンが多い反面、受け付けない人もいるだろう。自分がどっちなのかはよくわからない。受け付けない人の気持ちが分かりながら、そこが楽しい、みたいなところかもしれない。

DISCASレンタルでやっと観る。
おもしろかった。いまどきまっとうなモンスタームービーとして爽快さすらあるのは珍しい。
冒頭から素直におもしろい映画を作ろうとしているのがわかったし、「怪物」の登場するところなんか、淀川べりのバーベキュー場みたいだし、「怪物」の動き方もおもしろく、しかもわざとらしくなくて等身大の感じが上手く表現されいてよかった。
「怪物」自体はオープニングで下水に流される薬品が原因の突然変異と暗示するにとどめられていて馬鹿らしい生物学的な「いいわけ」は皆無だが、これは別に手抜きではないのだと思う。
「怪物」を描く、ということは、多分基本的に世界の「反作用」として侵入してくる「怪物」に対する人間の反応を描くしかないのだと思う。
「怪物」自体の来歴が細かく描かれて感情移入の対象となっている場合、その文脈自体は、ただちょっと特異なヒューマンドラマになっているのだと思って良い。

トマス・ハリスが『レッド・ドラゴン』から『羊たちの沈黙』を経て『ハンニバル・ライジング』に至る過程で自分が創造したハンニバル・レクター博士をあつかったやりかたのように。
「怪物」を神話化することは「人間化」することなのだと思う。

この『グエムル』が単純におもしろい/楽しめるという範疇にありながら、賢明な印象を与えるのは、「怪物」の描きかたはまったく手堅く純粋な「動き」として捉えて深追いをせず、ドラマを「家族」の物語を主軸にしながら、ウイルス発生や生物兵器のような有事の際の「在韓米軍」との関係もちゃんと示唆することを怠らなかったからだと思う。

それにしても、ソン・ガンホっていい役者ですね。「殺人の追憶」たらいう映画も床屋さんの映画(いい加減ですいません)もソン・ガンホの顔だけ観ててあきなかった。
役所広司よりソン・ガンホの方が感情移入できる人間です、わたしは。

追記:
「怪物」っていう言葉はどうにも大江健三郎の『叫び声』を想起させます。

叫び声 (講談社文芸文庫)

叫び声 (講談社文芸文庫)

ジャガー」じゃなくて「ジャギュア」。