みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

音樂多面軆〜Experience Diversity〜Cプログラム@新世界BRIDGE

nomrakenta2007-03-25


出演:popo、口八丁、音あそびの会

昨年暮れのビヨンド・イノセンス・フェスに続いて、ちょっと覗いてきました。
一時に開演かと思ったら二時から開演で、仕方なくフェステバルゲート上を滑走するジェットコースターを眺めながら屋外で読書。曇ってなければ最高なのになあ。


斉藤環の『生き延びるためのラカンasin:4862380069
たとえば、電車の中で携帯で話す人に対してムカつくのはなぜか?みたいなわかりやすいところからラカン派の考えをくだけた調子で書いてある。「日本一わかりやすいラカン入門」を標榜するだけあってわかりやすく、今まで理解できる気が全然しなかった「シニフィアン」やら「象徴界」やら「鏡像段階」やらが、なんだかちょっとわかるような気がしてきた。や、あくまで気がしただけですが。

フェスティバルゲートの五階の屋上にいたけれど、それにしても空きテナントが目立つ。
開演五分前くらいにブリッジ会場に入ると特に混んでいるわけでもなく疎らなわけでもなく、要するに丁度いい感じのお客の入り。
前も感じたけれど、ブリッジって気軽に立ち寄ってショービス的な集中から無縁で過ごせる雰囲気がいい。
後ろのほうの端の席に座っていたら、やおら隣でpopoの演奏がはじまる(やおらって、機材のセッティングは見えていたのでおかしいですけども)。

popoは、世界でいちばん小さな音楽を演奏する世界でいちばん陽だまりと子供が似合うバンドだと思う。
ヴィンテージのKORGと小さなキーボード2台とトランペット2本がなぞりあうメロディーはどこかで聴いたことのあるような、でもやっぱり聴いたことないような音楽。しかも演奏するpopoの背後の大ガラスには滑走するジェットコースター(無音)が数分おきにうつっておもしろい体験だった。
popoの演奏は、表面上は限りなくほっこりしていてアンチームこの上無いものだけれど、気がつくと割りとひんやりとしたリリシズムが顔を出しているようなところもある。あと何回か演奏を聴いたらもうちょっとはっきりわかるような気がする。

続いて、森本アリ氏と高岡大祐氏による「口八丁」。
おもちゃ楽器やサンプラー(のうように見えた)や口琴、チューバをとっかえひっかえ即興でつなぎまくる演奏は、どこか大道芸のようなとぼけたユーモアがあって楽しいものでした。

最後は、大友良英氏や千野秀一氏などとの共演盤『音の城/音の海』asin:B000JJ3W6Qを昨年リリースした「音遊びの会」による集団即興。

2005年9月、即興演奏を得意とする音楽家知的障害者音楽療法家が、神戸大学音楽棟に集まった。共に即興演奏を行うことにより、新しい音楽表現の地平を開拓しようとする「音遊びプロジェクト」が始まる。

------『音の城/音の海』ライナーより

ミュージシャンたちは、楽器を演奏する子たちの演奏をまとめたり、ある方向に持っていかせようとして「サポート」しているわけではなかった。むしろ、彼らの演奏の中にある響きやリズムをなぞりながら見つけ出して、増幅し豊かなパルスにしようとしているような印象だった。
そしてそれはとても納得のいく自然なかたちのものだった。
特に印象に残ったのは弦楽4重奏のパートで、ヴァイオリンの子と千野秀一氏(・・・と思うのですが)とが、とても親密な様子で互いの楽器に弓をあて合い交互に弾きあうところだった。
Eギターやドラムなんかを交えたロックバンド?のパートでは、かなり真剣にヴェルヴェッツの「シスターレイ」を想起(但し暗黒面はありません)。
「状況収束」という感じで、あくまで暖かい余韻を残しながら「音遊びの会」の演奏は終わる。
こういったプロジェクトに接するとき、観る者にはなにか「良識的」な対応を迫る不文律が、ある種の「気構え」をさせることがあるようにも思うのだけれど、今日観たこの演奏は、いい。
そういう対応自体がいびつなものに思えるくらいに「音遊び」の空間は、何の気兼ねなしに会場を満たしていました。

このあと、若尾裕氏のレクチャーが5時からあったようですが、生憎時間切れで私は退場。