みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

モノであってモノでないもの/コトバであってコトバでないもの:鈴木志郎康映像作品『極私的にEBIZUKA』,『山北作業所』

nomrakenta2007-01-18


(注)右の画像は映像作品とは無関係です。テキストばかりで殺風景なので自分で撮ったものです。
映画のイメージに関してはこちらの鈴木志郎康氏ご自身によるHPのフィルモグラフィーをご覧いただければと思います。

今回の2点は、鈴木志郎康さんが多摩美大の同僚である現代彫刻家・海老塚耕一氏(→WIKI →作家HP)に密着して撮影したものですが、同時にジャンルの異なる芸術家の対話として興味深いものになっていました。芸術大志望の学生さんは受験する前に観ておくべきだろう、とこれは冗談ではなく思います。

1:『極私的にEBIZUKA(40分) 2001年作品 ( EBIZUKA in my own field  2001 16mm color 40min.)
2:『山北作業所(70分) 2002年作品 ( The Yamakita Workshop 2002 miniDV color 70min.)

まずは『極私的にEBIZUKA』ですが、冒頭から電動グラインダーが咆哮しつつ堅い木材を切りつけていき、木屑や粉塵が舞う彫刻家の作業場の戦場のような様相が、通常の「彫刻」というイメージを吹き飛ばします。そうそう簡単にその形相を変えようとはしない素材との格闘なのです。
さらに彫刻家は、鈴木氏の映像演劇科の授業に招かれ、学生に机の上に白紙を被せて鉛筆で擦らせる「フロッタージュ」をやらせます。
「表現するな。素材に語らせろ」と。
この2作品は、このように鈴木志郎康さん自身の中の「表現」を考えていく、その仕切り直しの契機を海老沢氏の制作に求めた形になっています。
そうやって1年間を、彫刻家の野外設置作品を追いかけて映像に収めていきます。

『空/海 YURAGI』
生口島の潮風に晒されて錆びるがままに放置されている巨大な鉄板による作品です。
その表面の様々なテクスチャーをなめるようなショットが続きます。
ここで鈴木志郎康さんの中で、作品を「撮る」という行為の中に変化が起こります。従来通り16ミリカメラで固定フレームで撮っていたものがどうも釈然としない。いっそ持ってきていたDVカメラに持ち替えると、今まで作品を外から静的に眺めるという形だったものが、身体が作品の中に入っていき、作品に乗ったり触ったりといったアクションが可能になる。作品とダンスを踊っているような、むしろ映像の中に入り込むような撮影に切り替わります。このDVカメラへのスイッチは、これ以後の映像作品にも反映していきますので、なかなか重要な転換だったように思えます。
作品の上に乗って、釣をしている人のショットがおもしろい。

『水と風の光景』
沖家室島の古井戸の上に鉄板を伏せた作品。この鉄板には無数の孔が開けられていて、その穴から覗くと、闇の中の井戸の底の水面に整然と並んだ孔の光が映りこみ、鉄板を揺するとまるで星が瞬いているような錯覚があります。この映像が美しい。

『揺らぎ・水と風の積分』
神奈川県藤野町のハイキングコースの枯れた川に架かった橋に放置されている4つの鉄のケースの作品。それぞれの中には鉄の断片やアルミニウム、クリスタルワックスのオブジェが構成的に配置してあり、水が張ってあります。そのまま何ヶ月も放置される過程で、水の汚れや木の葉、紛れ込んできた生物など、風や水と時の流れに作品の成り行きを任せてしまう。それは時間を作品に取り込むというより、時間と寄り添い不可分な関係を持つことで、時間を彫刻している、といっていいかもしれない、そんな作品です。
海老塚耕一氏は、現代美術界で「ポスト・もの派」と形容されることがあるようですが、こういう態度はたしかに物体そのものにこだわる「もの派」にはない感性なのかもしれません。

これらの作品を順番に見つめていきながら、こちらに向かって親しげに語りかけてくるような鈴木氏のナレーションは、『草の影を刈る』以来のもので「円熟」を感じさせます。結論的には、

表現とは、人とものの関係を作りそれを広げていくことであり、そこにはフレームというものがない。

となります。

しかしどうやら映画作家は、まだまだ喰い足りなかったようです。その収め切れなかった分が次の年の『山北作業所』で補完されていくわけです。
今度はさらに彫刻家の懐へ飛び込みます。作家の「城」であるアトリエ(彫刻家はそれを「作業場」と呼びます)への詩人の潜入レポート、といった感じでしょうか。神奈川の西のはずれにあるというこの「山北作業所」が、彫刻が始まる「場」としてどのように機能しているのか、それをを炙り出そうとします。
インタビューでは「言葉」が重要なのか、「言葉」の外のものが重要なのか、という話になりますが、ここでの鈴木さんと彫刻家の立ち位置は、若干ねじれの位置にあるようです。いわば「言葉」を彫刻する詩人である鈴木さんは、「言葉」あるいは「概念」をどう作品に移し変えていくのか、言葉の作業としての彫刻のプロセスに迫ろうとしますが、彫刻家は先ずその入り口で身を翻します。自分は「言葉」の外、あるいは「言葉」ではすまない部分で行為しようとしているというわけです。素材の「美しさ」というのは確かに「言葉」ではあるけれど、それは実は言葉の外にある筈だと。素材に語らせるには制作するしかない。その手続きというか回路がこの「山北作業場」である、ということです。

このフィルムの殆どを占めるのが、大阪の明治生命ビルのエレベーターホールを飾ることになる巨大な鉄と木材のレリーフ作品『浮遊する水-風との対話Ⅰ』『浮遊する水-風との対話Ⅱ』 で、これはガラス作品『詩人の風景より-風Ⅰ〜ⅩⅠ』も含み、1階から3階までビルを垂直につらぬく構成になります。その最終的な作業工程から搬出、設置作業までを丹念に追いかけていきます。
ここでさきほどのインタビューが編集で織り込まれ、彫刻家の素材である「もの」に対する持論が展開されます。
「素材と物体が何なのか感じること。」そして、「言葉(コンセプト?)から行為に移ることは自分の中では純粋に「仕事」」と断言され、作業場をある意味その「結界」なのだと形容する彫刻家の言葉で、鈴木さんはやっと腑に落ちます。ねじれの位置に、やっと結び目(Knots)がもたらされるのです。この辺りの流れは観ていて本当に興味深いものです。
作業場の庭には、巨大な鉄板が錆びるに任せて放置されています。これは別にうち捨てられているわけではなく、れっきとした次の作品の製作中なのです。時折作家がホースで水を撒いてわざと錆びを進行させます。鉄が錆びてその表面に時間の経過という表情をつけていくこと、それが作品の要素として取り込まれていくわけです。またその間別の制作にかかれるので、効率的にも思えます。「結界」ですね。
ガラス作品の制作では、細かい粒子を吹き付けてデザインを処理する加工が特殊なため、外注業者の手を遠慮なく借りています。自分に無い技術はどんどん外注してコントロールする、この辺りは欧米のアーティストでは当たり前のことですね。そういうのに抵抗あるのは、レベルの低い「表現」主義です。
いよいよ搬入と発送そして作品の設置というかなり大掛かりな作業になりますが、ここで荷造り用に巨大なレリーフが解体されることが、一旦張った「結界」が解きほぐされているようで鈴木さんは興味深げにその様子を映像に収めています。巨大な彫刻を搬出するためには、当然専門の業者の人の大勢の手を必要とし、その作業はある意味社会化されています。ところが芸術を鑑賞するとなると、人は作品を純粋な「表現」物とみなして、自分と作家の閉じられた「系」でのみ理解しようとしがちで、そういった開かれた側面は殺がれていまう。これは十全な鑑賞とはいえなさそうだ、と鈴木さんは呟きます。

作品がついにビルの所定位置に設置されると、空間自体が堂々とした息吹を持っていて、それは「完成」と宣言しているようです。彫刻家の表情もついにホッとしてうれしそうに緩みます。最後のインタビューでは、編集上、作品の設置後のように観ることができるためか(実際そうなのかもしれません)、彫刻家の表情は冒頭よりも柔和な語り口になっています。
「自分は「表現」ではなく、作業でいい。基本的に、町工場のオヤジと何ら変わらない。職人だ。ただひとつ違うのは、職人は「障害」を除外していくけれど、作家は「障害」をむしろ作っていく。だから考える余地がある。」と語ります。
この一連の流れを共に体験した詩人の中に言葉が降りていきます。

 時間を感じるということ、そこに強く引きつけられる。生きている人間は時間から逃れられない。そして時間を忘れるところに喜びがある。彫刻っていう物は、物の持つ広がりと、物が引き受ける時間の、両方を、改めて人に感じさせ、生きていく上で、それを超える手だてを教えてくれるものと言えないでしょうか。結論として、彫刻は「物」で作られているけど、実は「物」ではない。というような言葉を思いつきました。

もちろん、この言葉が鈴木さんの中へ、「言葉」であって「言葉」ではないもの=詩の方へパラフレーズしていっただろうことは、想像に難くないのです。

物でないものをつかまえるために、物と取り組んでいる、というのが彫刻家なんですね。