みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ラディカルな意志の墨攻:酒見賢一 『墨攻』

なんでも学校で「いじめ」をした生徒を出席停止処分にして*1 「再教育」するらしい。「いじめ」をする生徒は「強い」のだろうか「弱い」のだろうか。そんな問題を超えていまや学校は「内戦」状態なのかもしれない。「兼愛」と「非攻」を掲げただけでなく戦うプロでもあったという「墨家」は、今の日本になんらかの教訓を含んでいるのだろうか。*2
昨日ブック○フでCD数枚買ったら200円OFF券をもらったので、購入。んで本日帰社中に読了。遅読疑惑の昨今快挙ではある。と、いうか相当読みやすいうえにおもしろい。半日でも時間があったら是非。
森秀樹による傑作な漫画版は友人に借りて読んでいたが、2007年2月には映画『墨攻http://www.bokkou.jp/も封切られるみたいで、全然知らなかったが、当然独自の膨らましの多い漫画ではなくてこの原作がベースになっているんだろから都合よく予習できた感じです。
春秋戦国末期、諸国が周辺の城邑国家を力で併呑しようとして時代、特異な「非攻」の哲学をもって、危機の国々を助ける「墨子教団」がいて、それはまた防衛戦に特化した職能軍人の集団でもあった。侵略の危機におびえる小国・梁は教団に救いを求めるが、やってきたのはボロを身にまとった男唯一人だった・・・。
という筋は皆さんご存知の通りで、儒家と勢力を二分していたらしいのに、忽然と中国史の舞台からその姿を消した(著者は秦が墨家組織を呑み込んだのでは、と)この「墨家」自体、中国史音痴(わたし)にでさえ相当魅力的な素材なわけですが、無償のお助けマンのランボーみたいな軍人が打ち寄せる敵の大軍を撃退するのではなくて、「墨子教団」内に勢力争いの軋轢と内圧が、また主人公を追い詰めているという設定があって、こう書くとたんに「ふーん」でまた自分の表現力を呪いたくなりますが、これがそつなくキャラに厚みを加えていて、難しい導入部に最適のバネになっていて、いい。
職人的な話の進め方とところどころの薀蓄は無駄なく読んでいて小気味良い快感。「任侠」の発生を「墨子教団」の無償のポリシーである「任」にもとめているのもおもしろい(史実としてそうなのかはすいません知りません)。
文庫版あとがきで、だいぶ前から小説がつまらないと思っているとしたうえで、著者はこう書いてます。

「べつに小説なんてどうでもいいけどさあ」
てな感じで小説は生き残るのかもしれない。また面白さを決めるのは個人の主観の問題だということもある。
そこで別の言い方をしてみる。少なくとも、僕は小説は動きながら死ぬべき(daying in action)だと思っている。
p.147(文庫版あとがき)

あとがきはこの後なぜかいきなりHPラヴクラフトの話になってとてもおもしろいんですが、こういった姿勢は本書の主人公・革離の死に様にも直接投影されているかと。まさに職務を貫徹しながらあっけない理由で死んでいくんである。が、そこにしみったれた悲哀はない、「小説家はとにかく話のおもしろいところだけをぶっとく、さらにおもしろく書き抜いて終われ」というラディカルな意志のスタイル(c S.ソンタグ)だと思ったとしたら、それは誤読なんだろうか。
それにしても南伸坊のイラストが素晴らしい。

墨攻 (1) (小学館文庫)

墨攻 (1) (小学館文庫)

漫画版も名作。
ラディカルな意志のスタイル (1974年) (晶文選書)スーザン・ソンタグ

*1:11月29日の時点で「出席停止」は見送られた様子

*2:なんだかよくわからないことを書いている。こちらの「雑種路線でいこう」というブログで書かれていることが一番自分としては納得できることだったことを書き加えておきます。