みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

そして、<極私的>へと。:鈴木志郎康映像作品『日没の印象』,『草の影を刈る』,『15日間』,『野辺逃れ』

nomrakenta2006-11-23

(注)右の画像は映像作品とは無関係です。あまりにテキストばかりで殺風景なので自分で撮ったものです。
先日<極私的>というコトバについて書いたエントリーで、自分も含めて今では誰もが何気なく使用している言葉を「発明」された現代詩人・映像作家の鈴木志郎康氏のことに書いたことから、鈴木さんご本人から滅多に観ることができない映像作品をお借りすることができ、貴重な体験をさせていただきました。
感想は極力簡潔に、とは最初は思ったのですが、思うところを言葉に置き換えていくと、ブログ記事としてかなり長いものになってしまいました。削る気にもやはりなれず、このままアップすることにしました。
映像作品の詳細情報は、こちらの鈴木志郎康氏ご自身によるHPのフィルモグラフィーが当然基礎的な情報ですので、こちらをまずご覧ください。今回拝見できたのは、下記の4作品で、僕は制作年順に観ていきました。
①『日没の印象』24分(Impression of Sunset.1975 16mm film 24m) モノクロ
②『草の影を刈る』200分、1977年作品(Harvesting The Shadows of Grass. 1977 16mm 3h20m) モノクロ
③『15日間』90分(15 days.1980 16mm 90m) カラー
④『野辺逃れ』20分(Run away to savage field.1993 16mm) カラー

まず、
①『日没の印象』(1975年 24分)です。
僕自身は、高校生くらいから日本の戦後の現代詩というものを知り、その挑発的な言語の形相に驚き惹かれるものを感じながらも、50〜70年代のそれらの現代詩人と、自分が生きている時代との間に、深くて広い断絶があるような気がしていたのですが、この作品に続く4本のフィルムは、ある意味、その間のミッシング・リンクをやっと確認できたように思えます。
当時NHKのカメラマンだった鈴木志郎康氏が、中古の16mmカメラを見つけることから、<極私的映画>の長い旅が幕を開けます。もしかしたら自分よりも長い時間を生きているかもしれないその古いカメラが動くことへのおどろきと感動、それが個人的な日常の視線から映画の撮影をはじめる、そもそものはじまりの「動機」として、<極私的映画>の始源を駆動していくわけです。まず、1975年という、僕自身も生まれて2年ちょっとという当時の風景を見ているだけで、個人的にはもう、なんだかたまらないものがあるんですが、「日常を撮る」ことに対する洞察が、鈴木志郎康氏自身によるナレーションで加えられていて、それが、観る者の「動機」とも呼応して、いわゆるホームムービーとははっきり異なる映像体験を呼び覚ましていきます。
そこがポイントです。
そこには、はじめて「個的」な理由により映し出された「世界」という初々しい感覚が溢れています。カメラ自体への接写、奥さんと赤ちゃん、自宅の室内や窓から見た風景、職場の同僚、教え子、そして神社の境内など、はじめて「世界の目に触れる」よろこびがあふれているように思えました。そして最後の窓から捉えた日没の映像は、モノクロでもなお美しい色彩をありありと感じさせてくれます。


そして、全4部・200分に及ぶ大作
②『草の影を刈る』(1977年 200分 4部構成)
映像そのものは一般的な意味で家庭的であって心温まるものであるにも関わらず、これは、<極私的>手法へと至る大きな「けものみち」でもあるように思えました。
第一部は、1976年11月から12月。新しいカメラを購入し、日々の暮らしを撮り始める1977年の映像から始まります。
第二部は、1974年の暮れから1976年10月までの、過去に撮りためてきたフィルムを一気に編集してナレーションを加えたもので、年から年のもの。詩人のいう「大過去」(映像的プロフィール)を編集し、日次的に並べていく、そして「大過去」に対する感慨をナレーションしていくさなかにも、「大過去」への記憶は更新され変質していきます。撮るものと観るものとの間には記憶を軸とした断絶が常にあり(この断絶は商業映画のシステムの根本的なトリックであり資源でもあるように思えたり。)、その断崖両方に脚をかけた詩人のナレーションという「表現」は、ある種震えるようなとまどいの中に置かれます。
第三部は、第二部からの続きで、1977年1月から2月の撮影分。ガラスの正四面体の撮影からはじまり、「何もおこらないこと」への戸惑いが次第に意識化されていくように思えます。
さいごの第四部は、同年3月より10月まで。私生活の煮詰まりも反映して日常を撮り続けることを中断してしまった詩人は、愛媛の友人の家に家族で訪ねていくことで、開放されていき、最後は「このフィルムをつくることで、退職することを決意した。」というテロップで全編が終了します。といっても、全編を通じて沈鬱な感情が支配しているのではまったくなく、初めに書いたように、日々の映像それぞれは、どんな断片であってもむしろモノクロの暖かみさえ湛えていますし、ところどころで使用される遠藤賢司の音楽も効果をあげています。
それでもこの作品を根幹をなしているのは、編集し、映像の言語を見つけ出そうとする過程です。
「ただ撮る」という事の不可能性。
これもまた、ポイントです。
それは、「物語」の中にいながら「物語」を撮ることはできないということかもしれませんし、毎日撮るということが次第に対象を内面化し均一化してしまうことからくる戸惑いと苛立ちであるように思えます。対象との関係とのいきづまり、こういってよければ、セレンディピティの減衰が、「フィルター」として機能してしまう撮影者の輪郭をはっきりさせていくわけですが、同時にそれは、撮影者が鈴木志郎康氏という詩人の持つ厳しい視線・意識あってこその問題でもあり、観る者にとっては、映像自体は、また別の「物語」である可能性は残るのだとは思います。そういった意味で、このフィルムに定着されているのは、やはり<極私的映画>の大作と安易にいえるものなのではなく、詩人・鈴木志郎康氏にとって、<極私的>表現へ至るための欠かせなかった道筋、方法自体を見出すための重要な試練の課程なのではないかと思います。
そして、その「戸惑いや苛立ち」は、実はそう簡単に静まるものだったわけではなく、次に観た『15日間』においては、激しくマグマのように吹き上げるのです。



③『15日間』(1980年 90分)
映像はカラーになっています。これは、15日間という物理的な時間枠を設定して、何が起こるのかを見極め、「撮る」動機自体を炙り出そうとした究極の作品といえそうなものです。そして、そのフィルムの撮影初日から大きな「つまづき」を内包しています。詩人は「15日間、とにかく自分を撮ることに決めた。」とカメラに背を向けて話はじめ、そして撮る意味に対しても自問自答を続けていきます。詩人はカメラに背を向けた状態で、ボソボソと「動機」について話はじめ、その日あったこと、進行中の執筆について時間がくるまで話をする、時には途方にくれてフィルムが終わるのを待つ、そういう日がはじめの5日間くらい続きます。途中アンプの故障疑惑や、知人からの厳しい意見に落ち込んでしまってたり、観ているのが気の毒になるくらいロウな状態になってしまい、「この作品を撮ることに意味があるのか」というような発言まで出てきます。また、「自分を撮る」というコンセプト自体に自分への陶酔があるんじゃないか、と言うところなどは、同時に観ているこちらへまで突き刺さってきて、思わずぎょっとします。
正しくはこう↓

とにかくこんなふうに自分を撮るということが、また自分を突きつけているっていう感じになるんじゃないかって思ったけれども、意外にそれが、なんか自分のやってることに陶酔してるような感じがあって、それがちょっといやな感じを与えるのが、僕としては気がすすまない感じがしたけれども、しかし、とにかく、撮りつづけていくことによって、自分の何かが出てくるんじゃないか、つまり何もしないで、こんなことやってるっていうのは、なんかこうちょっと、突きぬけられるんじゃないかって、そういう感じが若干したことはしたわけです

*↓こちらの鈴木志郎康さんのページに『15日間』の台詞全てが採録されています。
http://www.catnet.ne.jp/srys/films/15days/15daystxt.html
不思議なのはこちらも簡単に声援を送れるような状態ではなくて、「動機」や作品の「意味」について考え始めているのだ、ということです。
このはじめの数日間の撮影分のラッシュを観た後、詩人の態度に変化が訪れます。やっと正面を向いて座り直し(つまり観る者の方を向き)、語りにも「これではいけない」という前向きな意思が見え始め、表情にも「なんとかしよう」というハリが見えてきます。

今日撮る背景を変えてみた。昨日、あのラッシュを見て、ちょっと、なんか、つかみどころがないっていうか、つまらないのか面白いのか、結局自分自身について、自分をそんなふうに思うことはできないということがわかって、それで、とにかく、撮影するっていうのはもう、カメラは必ずそこにあって、で、こちら側に私がいて、それで、画面の中ではもう完全に人に見せるんだという、そこへ、なんか、その関係はもう崩せないっていう、そのことがはっきりわかって、で、今日はもう背景を変えて、なんか変なところに入ってしまって、本と本との間にいる自分というものを、ま、撮ることにしてしまったわけです。

いくつかの試みを経て、この辺りのどこかで、詩人はいわゆる「ブレイクスルー」の段階に至ったことが、晴れやかな表情と下のような語りからも、観る者にも伝わってきます。

自分自身を撮るということの不可思議さっていうか、普通ならなくなってしまわなきゃいけないものが、なくなんないっていうこと、普通なら現れてこなきゃいけないものが、いつになっても現れてこないという、そういうなんか、ものになってしまってるっていうことがあるんじゃないかと思います。とにかく、ここにあるものはなくなるわけで、そのなくなるものを、何かこう、撮ることによって、で、闇の中に現れる人たちに対して、夢のような、あるいは、何か、別の世界っていうか、虚構が成立する、そういうのが映画だってことが、ずっと撮ってきて、はっきりわかったと思うのです。

ここには狭隘な「実験映画」になりかねないスレスレのところで、個人的な営みから実感をもって作品を再構成していくという、誰もができるわけではない貴重な瞬間があるのだと思います。この作品が尋常ではない点は、だからといって、「見せるためだけ」の撮影になるわけではない点で、それが、このフィルムをモノローグとダイアローグとの間の中間的な存在にしているのではないかと思えます。一日分の時間は決められていて、フィルムの終了が自動的にその一日の撮影分の終了を意味します。それは最終日である15日目でもまったく変わらず、結論めいたものを詩人が言っているさなかにもフィルムは容赦なく終了します。この強烈に宙吊りな感じも、このフィルムには、まったく似つかわしいものであることに、最後には観る者も同意するでしょう。
『草の影を刈る』と並んで、この作品は、<極私的であること>自体を追い詰め、方法にまで収斂させていくまでの、長く容易ではない道程=通過儀礼であるように、僕には思えました。



④『野辺逃れ』(1993年 20分)
そして最後の「野辺逃れ」では、詩人は、<極私的であること>の視線、被写体との距離、そういったものからの乖離への苛立ちといったものから完全に遠くにきています。もはや<極私的であること>と、意味無意味はまったく乖離せずに、カメラの視線の中に溶け込んでいるように僕には思えるのです。カメラはそこに何の迷いもなく、球根が芽生えていく過程をコマ撮りしていきます。こういった特殊効果はもっと費用をかけ高度なものをよく見かけますが、ここでの映像は、それ自体が視線としてリアルな存在感をもっています。こういう映像を見ると被写体に同化していくような錯覚が味わえます。それ以外でも、例えば、ガラスの花びんの底に映りこむ陽光をじっとみつめるような映像は、本当にとろけるようで、なんだか「みつめること」自体が祝福されているかのように思えてしまいます。ナレーションや解説は一切ありませんが、そのかわり映像が雄弁に語っていると思いました。それは、抽象的な論理でもなく、具体的な<もの>からの思考を映像に定着させる、個人的な視点=<極私的>方法ですが、それはもちろん矮小なのではない。ミクロ(詩的)政治的ともいえそうなものです。文学的なものを超えて純粋に映像的な「思考」へと至った詩人の、とくに植物たちに注がれる視線が、何にもまして豊かに感じられました。

最後に、今回、貴重な映像を観ることをお許し頂いた鈴木志郎康さんに深く感謝します。また機会があれば、是非他の作品も拝見できれば嬉しいのですが・・・。
ありがとうございました。