読了:二人の利休:野上弥生子『秀吉と利休』、井上靖『本覚坊遺文』
野上弥生子『秀吉と利休』をやっと読み終わる。あいだにいろんな本を挟んでしまって3ヶ月くらいかかってしまった。なので読後感に濃密さがないのはまったく自分のせいです。本書と、以前日記にもつけた↓
- 作者: 井上靖
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1984/11
- メディア: 文庫
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『本覚坊遺文』での利休は、その死後に弟子だった本覚坊が折に触れて面影を垣間見ようとする幽かな存在であって、その切腹の理由も本覚坊がおぼろげに推察するような形。
反対に『秀吉と利休』での利休は、朝鮮出兵をひかえた独裁者・秀吉と緊張感もって対峙しながら、石田光成一派との確執が原因となり、切腹までしだいに追い詰められていく過程を人間関係の機微や季節感、社会情勢などと一緒に第三者の視点から緻密に描かれている。大徳寺の自刻像を咎められ謹慎中の利休がはっきりとその死を予感した時、一休宗純が示寂の時「死にとうない」といったエピソードを口にする場面がある。ひょっとして利休の「休」は一休から来ているとか、そういう事実があったりするのだろうかと、ふと思った。*1
「侘び数寄」というものに関して何らかの合点がしたくて読んだ2冊でしたが、『本覚坊遺文』の殆ど幻想小説のような雰囲気は期待していたものに近かったような気が。反対に野上弥生子の描く主人公は天下一の茶頭でありながら「売僧」と呼ばれても恥じることのない現実的な人間・利休であって、山上宗二の死について息子から問い詰められて絶句するなど、人間的な厚みがある。
『秀吉と利休』を読んで、その後日譚として、『本覚坊遺文』を読んでみる、ということも可能かも。
- 作者: 山田芳裕
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/12/22
- メディア: コミック
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先日の<極私的>というコトバに関するエントリーで、詩人の鈴木志郎康さんご本人からコメントを頂き、そして映像作品のDVDまでお借りできることになってしまいました・・・。今はただただ<極私的>映画を楽しみにして待っている状態です。