みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ざわめくままの世界を。:森健『グーグル・アマゾン化する世界』、アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

またまた、青臭い感想文を。
ロングテールISBN:4152087617然としなかったことが何なのか、ジョン・ケージの台詞にからめて、先日の日記でごにょごにょ・もやもやと書いてたんですが、続けて手に取ったこの新書の「セマンテックウェブ」から続いて、「パーソナライゼーション」の章に、そのものズバリが書いてありました。

アマゾンでレビュー記事を書いていた前述のジェームズ・マーカムは、同社にリコメンデーション機能というパーソナライゼーションが導入されるに際し、負け惜しみではないとした上で、こう記している。
「パーソナル化は両刃の剣ではないかということだ。パーソナル化により、顧客が欲しがっているもの−あるいは顧客が欲しがっていると僕らが思っているもの−を与えることはできる。でも一方で、自発性も排除される。うれしい誤算や思わぬ発見といったものはなくなる。これは大きな問題だ。」
サイトの性格は異なるが、大意は外れていない。パーソナライゼーションのプログラムによって、関心があるものだけが自動的に選ばれてしまった場合、個人の関心の強化には有効だが、他の多様なものには目が向けられないことになる。データベースには多様なデータがあるにもかかわらずだ。
−−−−−−−−−−−前掲書p.211より引用(太字強調は引用者によります)

要するに自分が「セレンディピティ」→Wikiの説明という言葉を知らなんだ、ということがわかりました。
最近の新書は役立つものも多いですが、ニッチなキーワードをつくって軽く一発当てたろと考えているとしか思えないものも散見できるなか、この新書は、「ロングテール」が(触れていないわけではないけれど)逆に覆い隠してしまっている部分をしっかり見据えていて、Web時代の「民主」「主体」とはなにか?という、ネグリ・ハートまで引用してくる硬派なつくりで、余談がまったく冗長にならずに状況分析に直結しているところ、第一章から第五章くらいまでは、Webの現状説明ですがこれも視点がぶれていないので、飽きさせません。
要は、「テール」部分で商売できるのは、結局「ヘッド」*1だけの「金持ちがさらに金持ちになる」一極集中が起こっているのであり、経済活動なのだからひとり勝ち自体はやむを得ないことだとしても、今後のWeb上の膨大なデータベースのフィルタリングなどの方向付けを否応無くGoogle主導で進んでいくことを認識せよ、という事。そしてそれは、漠然と感じるより、はるかに政治的な問題ではないのか、という問いかけのように思われます。現実的には、Googleを利用せずにWebの生活を送ることはもちろん不可能なので、どっぷり利用しながらも裏のデータベースを妄想しつつ他の可能性もケアし続けるという、積極的「ぬるさ」「ゆるさ」が肝要なのかと。

アプローチの方面は全く違いますが、アルフォンソ・リンギスの「何も共有していない者たちの共同体」は、予測しえない情報との出会いというか、峻別する権利について、独特な「ぬるさ」「ゆるさ」的な思索が目指されているように、僕には思えます。この本の「世界のざわめき」と題された章では、コミュニケーションとは本来、理解されうる=構築された意味内容だけでなく、不要な要素とされてきた情報のバックグラウンド・ノイズ(表情、どもり、つまづき、せき、言い淀み など発話内容だけでなく、「どのように/どのような障害と共に」発話されたのか)を含みこんだものから、伝達項目を抽出・識別する行為であった筈(ノイズの排除を目的とするわけではない)、という視点。*2 リンギス自身のわかりやすい例えでいえば、ガムラン音楽をジャワの生活(生活音、鳥の鳴き声などの自然音などの音環境だけでなく気温・環境も含む背景)から切り離し、外界のノイズを遮断した書斎で聴くような行為は果たしてガムランを真っ当な形で鑑賞していることになるのか、という事。近代がとってきた、再コンテクストVS脱コンテクストの構図を想起できる問題でもあり、ルー・ハリソンやケージなどアメリ実験音楽の作曲家がガムランや東洋音楽を取り込んだ手法にも示唆されるものかとも思いますが、ここでのリンギスの立場は、「世界のざわめき」をざわめきとして捉えたいというケージ的な美学*3に立脚していると思われます。

何も共有していない者たちの共同体

何も共有していない者たちの共同体

シモキタINSISTは、庁舎への立ち入りを拒絶されてしまった、とのこと。
ノイズがノイズとして処理されてしまった。。

*1:単に主力商品という意味だけでなく、GoogleAmazonのような巨大なアグリゲーターも指す。ネット上の小売店の売り上げは急激に落ちており、在庫管理やロジスティックのコストダウンが大規模に図れる大手しか生き残れない状況が鮮明になっている。

*2:リンギスが下敷きにして批判しているミッシェル・セールのコミュニケーション論は未読なのでなんともいえないが、必ずしもノイズ的な要素を排除しようとしているわけでもないらしい→ と、すればリンギスは論旨を急ぎすぎているのかもしれない。

*3:1951年、ケージは完全な「沈黙」(つまり情報0の状態)を確かめるべく、無響室に入ったが、そこでケージが聴いたのは自身の神経系統の音と血液の循環する音だった、という有名な逸話。これは「沈黙」とはあくまでも人間のヴァーチャルな設定に過ぎないことを明きらかにし、その後の音楽が楽音と騒音のヒエラルキーを自由に行き来することを容易にしたと考えることができます。