みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ぼくたちにはシモキタが必要なんだ、と言ってみる。

僕は2000年から2001年の1月までわずか1年だけ東京の目黒に住んでいた。
その間、下北沢を訪れたのはたったの2回。1回目はボリビアのウカマウ集団の映画「鳥の歌」*1を観にいった時で、2回目は後輩(2000年の時点ではバンドマンだった。近況は知らない。故郷の加西に帰ったんだろうか。)が上京してきたのでその部屋探しに付き合った時だった。そのときの街の印象は今やあやふやで、確かに駅前は狭い道が多く、車が入り込みにくい感じ(でもちゃんと入り込んでいたと思うが)だったのは憶えてはいる。高層ビルも少なくて田舎者にはホッとする街だった(でも一番のお気に入りは吉祥寺でしたが)。
これはつまり、他人から言われなくてもわかるように、関わりは「無きに等しい」というものだ。
そのシモキタが消えるかもしれないらしい。ふーん。それで?
小田急線を地下化し、下北沢の中心に、26メーター道路を通そうという、行政の都市再開発計画が進行中なのは皆さんご承知の通り。このことによって下北沢の商店の多くが立ち退きは必定、サブカル兄ちゃん姉ちゃんたちの街の風情が跡形もなくなる。なるほど。
この事自体は、もちろん昨年からずっと話題にはなってきた事だが、ここにきて、住民の意見書の作成に区役所職員が開発賛成への故意の誘導をしたとかしないとかの話題もあり(おお!)、来週17日に抗議のサウンドパレード(『下北INSIST! 世田谷区長よ—シモキタの声を聞け!!』渋さ知らズ中川敬SOUL FLOWER UNION)などもライブ出演予定)があるらしい。
今回ばかりは、世田谷区も用心しているので、もしかしたら逮捕者も出るかもしれないらしい。
国の借金が減るどころかまた増えて、そのうえ下北沢を再整備する必要なんてあるんだろうか、そもそもこの国の根本的な問題は、建設業者が多過ぎるということなんではないのか、というド素人な感慨はさておき、街の風情など、道路一本増えるかどうかで消し飛んでしまうのは、誰だってわかっていることだ。
実際住人でもない者が勝手なことは言えないことは確かだし、個人的にそんなにシモキタに愛着があるのかというと、正直それも怪しい。でも、今、僕より真っ当な意義を持った人々はもちろん、この進行中の再開発を知っている人が、シモキタがそこに踏みとどまっていいのだという意志表示もできずに、現在の下北沢がなくなってしまうことを、見送り三振のようにして通り過ぎてしまうことは、多分、今後一切特定の町並みの文化への愛情を表明したり維持する権利がないことを認めてしまうことなのだ。これは中間の<公>を一切認めずすっ飛ばした<セカイ系>の話じゃないのだ。<公>を作っていくのは、どちらからなのか?ということなのだ、多分。
だから、ぼくたちにはシモキタが必要なんだ。

つか、これはシモキタ文化じゃないのか(すいません、でもご自宅は世田谷区だった模様?)。

[追記]18日、下北沢再開発地区計画に事業認可がおりた。

*1:鳥の歌  Para Recibir el Canto de los Pajaros 1995年 監督/ホルヘ・サンヒネス 先住民社会に映画製作に乗り込んだ集団が、その過程で直面した先住民社会との間の摩擦を、鳥が鳴き止んでしまうというメタファーで表現した映画。その対立と葛藤はウカマウ集団の実体験でもある。