みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

Steve Lacy& Joelle Leandre 『One More Time』

沖縄まで台風が迫ってきていて、この連休は諦めなくちゃならない様だが、随分と涼しくなったので、またこういう音楽を流していても抵抗なく聴けるようになってきた。

ディキシーからモダン〜フリー〜インプロヴィゼイションまで音楽を見送った(/に見送られた)ソプラノ・サックス仙人レイシーとフリー・コントラバスの女傑レアンドルの最後の最後の共演盤。
「音楽の自由」の荒野と沃野のその全てを踏破してきたもの同士の、その果ての、柔和な表情での昔話。
そんなありそげな聴く者の期待などどこ吹く風で、レイシーは飄々と吹きまくり、レアンドルは黙々と弦を擦りまわして自分の音を耕す。ほとんど頑迷といってもいいようなほど、付かず離れず互いの音楽を探り合っている様が聴ける(ただ、ハードコアな方向を求める向きには、音の離散具合を「弛緩」ととらえて、不満に感じることもあるかもしれない)。
たしか決して交われない直線のことを数学では「ねじれの位置」といったと思うけども、ここでの二人の演奏は、そんな言葉すれすれのものに初めは思える。でも、そもそも二人の人間がいれば、そこには首尾一貫少なからずの「ねじれの位置」が存在し続けるのだ。そう思い直して聴いてみると、そんな緊張が溶解しそうな瞬間がところどころ孕まれているのにも気付く。

「われわれは音楽を決め付けたりはしない。逆に音楽がわれわれを決定してくれるんだ。われわれはそれに従うだけ。人生のおわりまでね。そしたら音楽はその後も自然に続いていくだろう。」とはレイシーの言葉(本盤ライナーの引用から)。意思決定の放棄のようにとる人もいるかもしれないが、終生、鳥のさえずりのような音色を、金太郎飴のように奏でつづけたレイシーに想いを馳せれば、偽りのないイメージが立ち上がってくるはずだ。

それにしても、「もういちど」っていうタイトルは音からすれば空振りな気もするが*1、胸にジンとくるものがあるのは、これはしょうがない。

*1:一部ポエトリ・パフォーマンスもあるにはあります