みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ウカマウ集団

nomrakenta2006-05-03

ボリビアの映画製作集団「ウカマウ集団」の映画が、九条のシネ・ヌーヴォで連続上映されていたので、観て来ました。
なぜかというと、学生時代に観た「地下の民」(1989)(画像)という映画が強烈な印象で、村を裏切った過去を持つインディオが、死ぬまで踊り続けて祖先の霊に許しを乞うという壮絶な物語がボリビアの荒涼とした神話のような風景の中で描かれるものすごいもので、それ以来気になってしょうがなかったのです。その後東京にいた頃「鳥の歌」(1995)を観たんですが、これも「地下の民」ほどの衝撃はなかったものの最後には詩的な味わいが残るものでした。
今回観たのは「反グローバリズムデイ」というものものしいタイトルのオールナイト上映で、
「革命」「ウカマウ」「第一の敵」「最後の庭の息子たち」(+ジャマイカの映画)でしたが、
「ウカマウ」・・・妻を殺害された先住民青年が犯人のメスティーソの仲買人に一年かけて復讐するという、ちょっと松本清張めいた作品。
「第一の敵」・・・かなり反地主・反アメリカに貫かれたプロパガンダ色の強い作品。都市からきた共産ゲリラが先住民に合流して悪徳地主を倒すあたりはまるで「七人の侍」のようだが、その後米軍が出てきて「反米帝」が鮮明になる。
「最後の庭の息子たち」・・・最近作で、ウカマウとしては初めて都市の若者を描いた作品ということで、情熱を傾ける運動もない若者の状況が題材となっていることは理解できるんですが、DVCAMの平板な映像に最後まで抵抗を感じて乗り切れませんでした。「地下の民」のような詩的なエネルギーを常にウカマウに期待するのは、ウカマウの存在意義を考えれば邪道ということになるのでしょうが、自分のぬるさはさておき、政治的な姿勢があってこそ、あの「地下の民」のボリビアの地に足を下ろした詩情が生まれたのだなあと再確認。

関係ないが、自分のウカマウ映画への接し方に、ちょうどウカマウの映画を知ったとき、大江健三郎の「同時代ゲーム (新潮文庫)」や「M/Tと森のフシギの物語」を読んでたこともあって、文化人類学的な魔術リアリズムへの憧れというか、そんなバイアスでもって、接していたことにも気づいたのでした。