クルト・シュヴィッタース、ハンス・アルプ、ラウル・ハウズマン『Dada Antidada Merz』
今年はポンピドゥーでもMOMAでも大規模なダダの回顧展があって、「水声通信 (No.7(2006年5月号)) 特集 ダダ 1916-1924」の塚原史(ちくま文庫の「ダダ・シュルリアリズムの時代」を書かれた方)の記事によれば、ハッピー・ダダ・イヤーらしい。この記事は、芸術の前衛(アヴァンギャルド)として、ではなく、「作品」の不在と「中心」の不在を特徴とするムーブメントとしての「ダダ」という別の見方を教えてくれて、とてもおもしろい。ところでダダの音源としては、詩の朗読がいくつかあるが、ダダ詩を朗読する声からは、いつも既成概念を挑発しハプニングを夢見る高揚が感じられた。ある意味それはひねこびたパンクロックの声とは対照的なんではないかと。
こちらは「ダダ」、「アンチ・ダダ」、「メルツ」の3つの前衛運動の詩のパフォーマンスをまとめたもの。自己申告によって運動名称は異なってはいるが、この3人(ハンス・アルプ=ダダ、ラウル・ハウズマン=アンチ・ダダ、クルト・シュヴィッタース=メルツ)には、ただ単に芸術を「破壊」するのではなく、産まれたばかりの新鮮な感覚にフォーマットしなおすために、新しい「言語」(文字であれ、視覚言語であれ)を開拓しようとしたあたりが相通じるところだと思える。そんな彼らの肉声が聴ける歴史的な音源が、手堅くまとめれていて優れ盤。
チューリッヒからダダの中心メンバーだったハンス・アルプの音源は、抽象的だがどことなく有機的で古典美とさえ言える彫刻からもその資質を推測できるように、文学形式を守ったちゃんとした「詩の朗読」であり、コトバがわからないと、十分には鑑賞できない面がある。
ベルリン・ダダが失速した1921年頃から「アンチ・ダダ」として自らの運動を形成したラウール・ハウズマンの音源は、後年(1931年頃)クルト・シュヴィッタースの「原音ソナタ」へのインスピレーションを与えた重要な視覚音声詩「bbb」や「fmsbw」などが含まれており、これらは凶暴なインパクトがある。爆撃などの大音響を想起させるような擬音的なモチーフがゴツゴツと感じられデモーニッシュな印象を与えるのは、ハウズマン自身の声質が割りと硬質なせいもあるかもしれない。おそらく一般的な(?)ダダの攻撃的イメージに一番しっくりとくるのはハウズマンのパフォーマンスかもしれない。ノイバウテンのブリクサの声にも似ている気がするのは俺だけか(バーゲルドっていうダダイストもいたしな)。ハウズマンの作ったフォトモンタージュやコラージュはダダのラジカリズムをまっこうからとらえて形を与えていた。これと比較すれば、シュヴィッタースのメルツ絵画やコラージュは明らかに静的な構成主義を向いていたことがわかる。
シュヴィッタースの音源では、下に挙げる盤が定番として存在していた「原音ソナタ」(一部分)以外にも、彼の名を一気に有名にしたナンセンス詩「アンナ・ブリューメ」が収められているのが嬉しい。