みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

クルト・シュヴィッタース『Ursonate(原音ソナタ)』

シュヴィッタースの「原音ソナタ」は、意味を持つ以前の無意味語の連発のみで音楽的な構成をしてしまうという意味で、音声詩の中でも、音響と形式という矛盾する領域を股にかけようとした独特な位置にあるものだと思われる。このWERGO盤は、その「原音ソナタ」のシュヴィッタース自身によるパフォーマンスが全て収録された定番。
シュヴィッタースは、ハノーヴァーで自己流ダダ的総合芸術運動「メルツ」(「メルツバウ」は、「メルツ建築」という意味である、ことは言うまでも無いっすよね?)を立ち上げたわけだが、それにはベルリン・ダダから距離を置くというより、はっきりと疎外され批判さえされていたという理由があった。シュヴィッタースとベルリン・ダダの関係については、個人的に大好きな逸話があって、それは、1920年友人のアルプと共に、ジョージ・グロスを訪ねた時のこと。

ドアが開いて、グロスが姿を現した−だが彼はシュヴィッタースを目にとめると、シュヴィタースには嫌悪感を抱いていたので、「グロスさんは不在です」と言って、二人の鼻先でドアを閉め鍵をかけてしまった。二人は階段を降りると、シュヴィッタースはアルプに「ちょっと待ってくれ、忘れ物をした」と言って、また階段を上がっていった。アルプは彼を追ったが、シュヴィッタースは改めてベルを鳴らした。再びドアが開き、グロスが姿を現した−そこでシュヴィッタースが大急ぎで言った。「あなたにただこう言おうと思ったのです。私はシュヴィッタースではありません。」そういい終えると、彼はおだやかにアルプと一緒に立ち去り、いずれにしてもいささかあっけにとられているグロスを、そのまま置き去りにした。
平井正ダダ・ナチ 1913‐1920 (ドイツ・悲劇の誕生)」p416よりの引用

シュヴィッタースの意地が感じられるようで、最高に好きなエピソードだ。
さて、定式通りにいえば、「メルツ」を立ち上げたクルト・シュヴィッタースは、芸術を「破壊」よりも、「実験」の場として捉え、手法としてのコラージュを純化・援用することで芸術の「構成要素」を置換可能にしたことで、後世のネアダダなどのアッサンブラージュにまでバトンを渡したといえる。大竹伸朗のいう「既にそこにあるものとの共同作業」の殆どオリジンのような人物ではないかとも思う。さらに、第二次世界大戦までのドイツの悲劇へと突き進む姿を、ダダとナチス双方の人物の詳細なエピソードで数珠繋ぎにして描き出した平井正の大著「ダダ/ナチ」では相当なページがシュヴィッタースのために割かれているが、この「原音ソナタ」に関しても相当重要なエピソードが紹介されている。それによると、シュヴィッタースが「原音ソナタ」の着想を得たのは、さきほども触れたように、ハウズマンの視覚音声詩「fmsbw」の凶暴なリズムに衝撃を受けてからのようだが、それから完成まで10年もの歳月を費やしているのも驚きだ。
導入部やスケルツォ、ラルゴなどの構成もちゃんとある。純粋な音響主義を志向するくせに「ソナタ」という古典的な形式をとる言語矛盾的なところはハウズマンからも手厳しく批判もされてもいるようだが、個人的にはシュヴィッタースには「ポピュラリティ」への配慮があったのではないかと思う。今このシュヴィッタースの朗らかな声が溢れたパフォーマンスに接して得ることができる感興は、そういった問題よりも、下記のような指摘に基づいたものだと思う。

そして彼は口を開き、聴衆がこれまで一度も聞いたことのない音を発し始めた。彼は歌い、笛のような声を出し、チュウチュウとさえずり、鳴き、グルルと言い、フッーとうなり、字母を一つずつ読んだ。聴衆はあっけにとられた。(中略)二人の将軍は吹き出すまいとしてこらえたため、顔がまず赤くなり、ついで青くなった。そしてとうとうどっと笑い出した。だがシュヴィッタースは平然として、ただ音の強さを高め、アーティキュレーションを鋭くし、笑い声と騒ぎを歓迎すべき伴奏音楽に利用した。哄笑の渦はしかしすぐにしずまった。次第に聴衆は注意深く耳を傾け始めた。ことによると彼らは、回帰するモチーフ、ヴァリエーション、再現に気付いたのかもしれなかった。四、五分後朗唱が終わると、聴衆は拍手大喝采となった。一部の人は目にまだ笑い転げたために出た涙をにじませて、シュヴィッタースのところに歩み寄り、感激して驚嘆の言葉を述べた。実験は成功した。
平井正ダダ・ナチ 1920‐1925 (ドイツ・悲劇の誕生)」p267-p268より引用

シュヴィッタースの場合は、全てが自由だった。自然の働きに満ちた精神が支配していた。なんのルサンチマンも、なんの抑圧された感情の動きもなかった。すべてが直接、深い底から上へ、ためらいもなく、機敏に、そしてゼウスの頭からアテナの女神が出てくるように、完璧な装いで出てきた。
平井正ダダ・ナチ 1926‐1932 (ドイツ・悲劇の誕生)」p455よりハンス・リヒターの引用

ルサンチマンの気配がないことは「原音ソナタ」だけでなくシュヴィッタースという個性自体に関わる美点だ。