みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ソニックユース『ソニックユース』

待望の新作もやっと6月にはリリースされる様子だが、その前にファンとしてはうれしいボリュームでリイシュー相成った。6-13曲がアルバム発表当時1981年のライブ(またはスタジオ)トラックである。本編はミニアルバムだったから、半分以上 ボーナスになるが、ライブトラックも通して聴いてしまうと、もしかすると漫然とした印象になってしまう恐れがあるので、はじめての人は、オリジナルリリースの5曲を聴いた時点で一旦印象をまとめた方がいいかもしれないので、くどいようだがその辺りを以下に少し。
有名なグリール・マーカスの評論(『ロックの新しい波』)もあって世間的には初期ソニックユースの記念碑は自作「コンフュージョン・イズ・セックス」だとされている。確かに「コンフュージョン・イズ・セックス」は、激情が襞のように畳み込まれた混沌とした音像や、それこそ「混沌が未来だ!」という「ロックバンド」としての初心表明、ストゥージズの「アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ」の地獄版カバーなど聴きどころも多く、手放せない作品だが、この「ソニックユース」は、名は体をあらわす、つまり、フレッド・ソニック・スミス*1+レゲエ*2というコンセプトを感じられる唯一のアルバムなのだし、ジャンク版グレイトフルデッドソニックユース」の名が冠された最初のアルバムとして、もっと正当に言葉が費やされるべきじゃないかと思う。
このミニアルバムは、ミニマルミュージック的な方法をパンクロック形態に移植する事でアンダーグランド内の近親婚を行うという、明らかに方法論的な使命感を感じさせるにも関わらず、すでに、たとえばアンダーグランドロックの現場感覚*3や、悲痛かつロマンティックなサーストンの「歌心」をも、しっかり備えており、現在にいたるまでのバンドの魅力がすでに確立されていることも確認できる。特に近年のライブでも演奏された「SHE IS NOT ALONE」などは一回りして現在の彼らがのアルバムに収録されても全く違和感がないのでは思う。ミニマルミュージックの土壌からクールネスを吸い上げ、ポストパンク仕様に加速されたファンク/レゲエミュージックにブランカ仕込みの鋭角的な剃刀ギターがフリーフォームに切り込んでくるという構図は、とてもわかりやすい。ノーニューヨーク絡みの影響や、ライス・チャタム、グレン・ブランカ等の実験音楽の文脈でこの時期の彼らを捉えるのは、ちょっと音楽誌を読めば習得できることであり、音楽マニア向けの一般知識としてはそれで十分なのかもしれない。しかしいつもこぼれ落ちてしまうのは、80年代のニューヨークが、混沌としながら豊かな音楽シーンを持ち、そのストリートワイズとしてソニックユースを生み出したこと、そしてそれこそが、現在に至るまで、ソニックユースにとって決定的な出来事として刻印されているという事実だ。トム・ヴァーレインを加速してノイズ化した末に生まれたカオスと詩情が、幾多のメンバーチェンジを経ても、常にソニックユースを殆ど唯一無二のバンドとして規定してきたのだ。
以上のような過剰な思い入れもあって、このジャケットのなんともいえないアートくずれな不気味さが、大好きなのである。

*1:MC5、USプロトパンクからの血統

*2:当時ユースという名前がよくレゲエミュージシャンの間で使用されていたらしい

*3:80年代のニューヨークの音楽シーンを納めたビデオでブランカのギターオーケストラで演奏するサーストンとリーを観た事があるが、サーストンはともかく、リーの痙攣的な体の動きは、はっきりと「ロック」的で、周囲から浮いていた。